太宰治(だざい おさむ)

・・・かるた取り名人目指すなら、こちら→
((太宰治に言寄せての当サイト主催者随想録:「かたりべ:太宰がいたからめげずにいられる」))
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あさましきもの
 ★★★ 人の心は見えないけれど、行動を透かして見えた気になる時もある。「読めた!見切った!」と相手見下ろし、態度で優位を気取らねば、怖くて付き合い切れぬから、人はしばしば、演技する。そうした演技派人間の権化のような、戯作者太宰の口からは、見事な話がポンポン飛び出す・・・けれど同時に、書いてるはしから、彼は血ヘドも、吐いている・・・「いい話」、世間じゃそれで通るけど、あなたなら、ただ「感動」して終わりかな?太宰の溜息、臭うかな?

黄金風景(おうごんふうけい)
 ・・・幼年期の自分の家の奉公人で、自分がひどくいじめた女中の身内だという者に偶会した作家は、彼女が自分に是非会いたいと言っていると聞かされて、ひどく戸惑い、固辞するが、しばらくして本当に出し抜けに家を訪ねて来たかつての女中とその家族の姿に接し、ひどくぶっきらぼうな態度を取るのだが・・・
 ★ 昭和十四年三月に発表したこの作品は、まだ、生煮えで全然駄目。二ヶ月後の昭和十四年五月、これと全く同じ構想で太宰は、それはもうすがすがしい『新樹の言葉』を書いている。
 一度書いて駄目でも、投げちゃいけない、作品に、その中の人物たちに、申し訳ない気持ちがあるのなら、焼き直しだの中途半端だのの世間からの非難の矢面の中で、自分が描きたいもの・描くべきものを描き切ってやるのが作家の誠実・・・と、太宰らしい「恥の多い」形で教えてくれるその点にのみ敬意を表して、敢えて掲載。
 太宰治は、文章の魅力だけで読ませる希有なる文章家だが、その人生そのものまでをも作品にしてしまったの深い芸術家なので、こういう駄作も、むげに読み捨てるわけには行かぬのだ。本作を読んでから『新樹の言葉』を読むもよし、逆もよし、後者のみ読み、あとはこの紹介者のコメントのみ読み、ふむふむとき立ち去るもまた、よし。

桜桃(おうとう)
 ・・・外でも、内でも、小説でも、破滅的デカダン文士と思われながらも、誰よりも、誰にでも、親切にしたいんだ、相手に嫌な思いをさせたくないんだ、と苦しい思い抱えて過ごすその自分を、誰よりわかってくれそうなものだろうに・・・家庭には、それがない。家族の前でも、太宰治は演技しなけりゃならない。それも、会っては別れ、で何とか収まるよそさまの人相手の演技とは真剣度のまるで異なるきわどい演技・・・たまらず、父は、家を出る。「ちょっと、仕事場、行ってくる」と言い残しては、たまらぬ気分で飲みに出かけて、子供たちは見たこともない高級フルーツの桜桃を、ヤケになって頬張りながら、心の中で虚勢みたいにく言葉は、「子供よりも親が大事(・・・と、思いたい)」・・・
 ★★★★ 太宰治を語るのに、この作品は欠かせない。入水自殺の1ヶ月前に発表されたこの作品の名にちなみ、今なお多くの愛読者を玉川上水に引き付ける太宰の命日の呼び名は「桜桃忌(おうとうき)」。
 日本文学の(何とも困った)代名詞とも言える「私小説」の名をするに、太宰治以上の存在はないだろう。「偉そうに自分の身の回りの事だの自分はこう思いましただの、そんな私事書き散らして他人に読んでもらって自分をわかってもらおう名を上げようなんて、ムシのいい連中!だから日本の私小説なんてキライだよ。読む気もしない!」が大方のまともな人間の反応であろう:筆者も当然、そう思う。他人の貴重な時間と心を引き付けて空想の世界に遊ばせるのに、何一つ気のいたプレゼントも用意せず、「自分は、私は・・・」のオンパレードに終始して、「自分は特別な人間!その特別な自分がせっせと書いた文章を、特別に君だけに読ませてあげる」だなんて、傲慢・怠慢にもほどがある!平安時代の「蜻蛉日記(かげろふにっき)」に始まる「I, ME, MINE!」の心内描写の寄せ集めへの讃辞を、性懲りもなく繰り返し求めるばかりの愚かに尊大な連中からは、ペンも紙もWEBスペースも、全部取り上げて地獄の閻魔大王に代わってその引っこ抜いて黙らせちゃいたい気分・・・今や「一億・総私小説家」の悪夢も間近の日本にあって、押しつけがましい駄文で「私って、こういう人なの」などとやる前に(否、ある程度やった後でもいいけど)、「私」を人前に書きさらして、それでもなおかつ他人さまに読んでもらうためには、その「私」の個人的人生をどこまで劇的に染め上げねば収まりがつかないか、その現実を、「私小説・・・その行く末に、死小節」の太宰治の人生から学ぶがいい。
 太宰治も、初代林家三平(はやしやさんぺい)も、へらへら笑って卑近ネタ言い散らしてお手軽な仕事して楽でいいねぇ、などと世間は軽く言ってくれるけど、「芸道の定型」ってやつに我が身をねて「mannerism:マンネリズム=形式主義」の力を信じて「芸術の彼方任せに唯々諾々」の賢い同業者の研鑽尻目に、生身の我が身をネタにしてお客喜ばそうと汗ダクダクの生真面目ピエロの私小説家的芸人の苦しさといったら、「もぉ、大変なんっすから」・・・でも、誰もそれをわかっちゃくれない。他人を楽しく笑わすことに命をけた落語家の三平師匠の場合は特に、それを誰にもわからせちゃいけなかったんで余計に苦しかったろう・・・太宰治が愛される理由は、そうした苦しいピエロたちの人知れぬ思いの、惨めで雄弁な代弁者だったから。
 「聞いてくれ、自分はこんなに、苦しいんだ」って、そればっか書き散らして、それで読んでもらえる、愛されるなんて、ずいぶんムシのいいことだねぇ・・・って、そう思っているであろう世間に生真面目にしめしを付けるかのように、太宰治は四回の自殺未遂を繰り返し、五度目に入水して果てたのは、1948(昭和23)年6月13日、当時流れが激しかった玉川上水で遺体がようやく発見されたのは39回目の誕生日にあたる6月19日。この「桜桃」が世に出たのは同じ年の5月。
 よく似て微妙に違う「家庭の幸福」は死後2ヶ月の8月に出ているけれども、さて、こちらとあちら、どちらが先に書かれたか、これらの姉妹のその先に、どういう続編が書かれ得たか、その想像の楽しみを与えてくれるのも、不文に等しい書きかけ小説をもポンポン人前にさらして見せて、後で決着付けてみせるのを彼一流の「芸」とした太宰治ならではのこと・・・だけど、実際、読んでみたかったな、「家庭の幸福」と「桜桃」の行き着く先を、太宰の筆で、もう少し。

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駈込み訴え(かけこみうったえ)
 ・・・古代ローマのお役所へ、息せき切って駆け込んできた男の、一気呵成の愛憎告白(見よ、この一段落の長さ!)、話題の主は「ナザレのイエス」、銀貨三十でこれを売ったは悪名高き「イスカリオテのユダ」・・・
 ★★★★ 裏切り者の代名詞、ただそれだけの扱いで、れたものを避けるように、誰も触れたがりもせぬ「ユダ」にだって、人間の物語は当然ある・・・これを、当時お得意の執筆スタイル「妻を相手の口述筆記」で一気に語って見せた「駈込み訴え」が、傑作にならぬわけがない。人からわかってもらえぬ人生について書かせたら、太宰治の右に出る者は、いないのだ。

佳日(かじつ)
 ・・・銃後の生活も困窮の度を加えつつあった昭和十八年初夏、ひょんなことから、中国で事業を営んでいた偏屈な友人の縁談を取り持つ羽目になった作家が、とんちんかんな仲介者としての奔走ぶりの中で見た、美しき日本の報告記。
 ★★ 随想の散文はともかく、小説の中ではおよそ「戦争協力の檄文」というやつを書かなかった(し、期待されてもいなかったかもしれない)太宰治としては、数少ないそっち方面の小説。状況も人物もペーソスも、万事抜かりなく書かれていて、日本人なら誰もが確実に大喜び(&ちょっぴり涙)する美しい物語である・・・には違いないが、本筋の太宰読者は喜ばないし、太宰自身も書きたがらぬの話ではある。こういうのがあまりに自然に見事に書けてしまう(=世間なんぞコロリとだませてしまう)天分あればこそ、太宰はえてそれを書こうとしなかった(この太宰の厳しい自制と、それを書いてしまった場合の自嘲を知るには、初期の短編「あさましきもの」を読めばよい)・・・そうした太宰の天才ゆえの戒律を、つまらぬ日本の外界の圧力がどの程度まで揺さぶり得たか、の度合いを感じ取る尺度としてのみ、太宰作品としては物の数にも入らぬ(or入れてはならぬ)この一作を、敢えて収載しておこう。
 天分のままに嬉々として書く境地を、太宰治は(そして、芥川龍之介は)とっくに踏み越えてしまっていたのだ・・・だから芥川は自らの本質に逆らって「話らしい話の出てこない小説」なんぞに手を染めたし、太宰は自らの天分を開示するに血染めの生身の自分を行間にみ出させずにはおられなかったのだ。そういう苦しい営みを交えずに書かれたものも、たまには読んでみぬことには、太宰の本当の凄さ・強さ・苦しさは、きっとわからないだろう・・・読んでも、わからない人の方が多いだろうが、それはそれで、しかたがない(「佳日」は、そういう人向けの作品、でもある)。

家庭の幸福(かていのこうふく)
 ・・・知り合いに不義理を重ね、出版社には前借りを重ね、妻子にも何とも困ったお父さんたる我が身を恥じながら、芸術に身を削る大切な仕事のためにこんな苦しい滅茶苦茶な思いを重ねているんだ自分は・・・そう思う病気がちな太宰は、居間にせりながら聞いたラジオ放送の街頭討論会での役人のヘラヘラ笑いに怒り心頭、その役人生活と家庭生活に想像を巡らして、一本の小説のプロットをこしらえあげる・・・
 ★ エンディングの「曰く、家庭の幸福は諸悪の本」の辛辣さと、作中に出てくる「折悪しき巡り合わせのために玉川上水での入水自殺に追いやられる女」と、作品発表が太宰自身の入水自殺の二ヶ月後という三点セットの相乗効果で、やたら有名になっちゃった作品・・・だが、これまた太宰によくある生煮え段階の不文。「遺作」などと高らかに喧伝されたけど、実際には、昇華して「新樹の言葉」になるために書かれた「黄金風景」同様の下書きに過ぎぬもの。作家の真意と、出版社・世間の行動とはまるで一致せぬばかりか、後者は前者を完全に無視して好き勝手に事を運ぶだけ、という好個の一例としてのみ、引用する。
 「家庭の幸福=諸悪の本」の真実が、どす黒い光を増しつつある今日(もっとも昨今の「家庭:family」は、昔ほどには単純じゃないが)、この普遍的テーマに太宰がどんな仕上げのペンをふるったか、結局見られずじまいだったのが、少し寂しい気がする。それより何より、このテーマについて、太宰が実際何かを言った、と勘違いしている自称文芸通の日本人の浅はかさの方が、もっと問題の気もする・・・ということで、「曰く、過程の空文=誤解の本」。

心の王者(こころのおうじゃ) / 困惑の弁(こんわくのべん)
★★★★ 小説じゃないけれど、太宰治を知りたい人は、こんなの読むのも、いいかもしれない(三田にある某私立大学の学生向け新聞と、文学で身を立てたいなどと青く気高き野心に燃える読者が読む類の雑誌に寄せた、正反対な内容の誠実な随想文ふたつ)。

古典風(こてんふう)
 ・・・とある貴族の子弟の物書き志向の露悪趣味の初期の太宰によくあるタイプの物語。
 ★★ 昭和十五年六月(=「走れメロス」の一ヶ月後)の作品ということで、結末の「みんな幸福に暮した。」と、冒頭部――こんな小説も、私は読みたい。(作者)に敬意を表して、掲載。

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座興に非ず(ざきょうにあらず)
 ・・・ 上野駅はいつだって東北出身の若者たちに残酷だ。なにがしかの夢や気概に自分を奮い立たせて降りたって、そうして何年か先にはどうせ、打ちひしがれて古里行きの下り列車に乗ることになるのだ。駅の雑踏に入り交じる光と陰のコントラストを見れば、それはもうどんな愚鈍な親にも子にも、はっきりわかるはずなのに・・・そんな中でもとびきりしゃっちこばってるお上り青年に目を付けて、東北出身の大悪魔の作家は、何をしたか・・・
★★★虚実ないまぜの露悪趣味、太宰治の真骨頂発揮の極超短編。

新樹の言葉(しんじゅのことば)
 ・・・東京でのすさんだ生活から心機一転を図って、甲府の安宿で執筆に励む作家は、ふとしたことから、幼少期に自分を母親代わりに育ててくれた懐かしい乳母の息子と出会う。立派な人にならなくちゃいけない、と自分を励まし教えてくれた今は亡き乳母の思い出と、現実の我が身の悲しい対比に、作家はひどく悪酔いするのだが・・・
 ★★★ 真情と、虚構と、そのどちらが濃密すぎてもいけないのだと、この作品と2ヶ月前の不文『黄金風景』との対比はよくよく教えてくれる。作中事件の巡り合わせのあまりに好都合な展開には、高校の教科書で初対面した時、「ふ、ふん」と多少白けた思いがあった(けど、好きだった)この作品を、筆者が大好きになったのは十数年後、とげとげしいまでに真情に傾いて出来損ないになっちゃった『黄金風景』を見た時のこと。(あれ、こいつ、前にどこかで会ったぞ・・・)の思いで、太宰の文庫本探しまくって再会した『新樹の言葉』の、何と瑞々しく輝いていたことか・・・。
 偶会は人生の必然・・・だけど、いい出会いばかり選別的に求め、気取って動かずいたりすれば、後日の感動の芽を、自ら摘み取ることになる・・・と、あの頃、無性にいろんな場所に出かけたくなった気分を、今では少し、寂しく思い出します・・・
 上手じゃないけど、いい作品です。

親友交歓(しんゆうこうかん)
 ・・・戦争で罹災し、やむなく故郷の生家にお世話になりながら、隠者みたいに縮こまって生活している作家のもとに、小学校時代の喧嘩友達を自称するほとんど記憶のない農夫が押しかけてくる。酒をねだったり、女房におさせろと騒いだり、かつて東京でああしたの自分は地元では知らない者がないほどこうしたのと、やりたい放題の珍客に、作家は、何を思ったか・・・
 ★★★ 話芸の天才太宰治のこととて、作中の出来事の真実を必ずしも手放しで信じるわけには行かぬものの、「私はそこに、人間の新しいタイプをさえ予感した。善い悪いという道徳的な審判を私はそれに対して試みようとしているのでなく、そのような新しいタイプの予感を、読者に提供し得たならば、それで私は満足なのである」という冒頭部のその予言には、「太宰さん、いますよ、います、確かにそういうの、WEBの世界にゃゴロゴロいます、転がりこんできます、怒鳴り倒して去って行きます、来なけりゃいいのにまた来ては’威張るなこの野郎何様気取りだ!’などと他人の家の中で大地主みたいに騒いで、誰も彼もを自分よりもっと惨めで不幸な気分にするまで、決して帰ってくれません・・・」と、冥土の作家に知らせたい気分。終戦直後もネット勃興期も、大方誰もが、誰かからやらずボッタクリで文句言われるまでは何でもかんでもせしめてやろうという強姦に似たあさましさをこそ「VITALITY(バイタリティ)」などと錯覚しながら暴れ回るもの。そんなに対してさえも、「AGGRESSIVE(アグレッシブ)」の一言でおめなしなのが今の世の中。「IMMORAL(悪徳・背徳・陰徳)」なんて文言なぞは、「不倫ビデオの帯の上」にのみチラチラ淫靡に踊るだけ・・・スゴいやつらのはびこる時代は、一定周期で繰り返す、ってか?

水仙(すいせん)
 ・・・ある大金持ちの貴族の奥方が、実家が破産したのを気に病むあまりのその憂愁を晴らさせるべく周囲が気を回した末に、絵画の勉強など始めたところ、「自分は天才!」と主張して、家出をしてしまった。幼い頃からその一族とは家族ぐるみの付き合いをしていた、ようやく売れ出したばかりの作家の元に、その「天才絵描き婦人」が、一枚の自慢の絵を持っていきなり訪ねてくる。が、作家には、彼女を快く迎え入れられない一つのわけがあった・・・
 ★★★ 太宰作品としては、いささか整いすぎた小説で、テーマはそのものズバリ「天才の、自身の天才性を確信できぬがの悲劇」。主人公の「天才画家女史」は太宰そのもの、作中の作家は当然「世間」、という鏡構図の一作は、最初期の露骨な「選ばれし者の恍惚と不安・・・その二つながら常に、我にり」の叫びに比すれば、「随分と大人しくなったなぁ」というか、「読ませ方がますます上手になったなぁ」の感を催させる。太平洋戦争只中の時局が、太宰の筆に、こうしたしかつめらしい行儀良さを強いたのかもしれない・・・何にせよ、人が何かに命を賭けてはあっけなく散って行く日常が、珍しくない時代ではあったのだ。
 太宰作品としては並みの水準だし、そもそもあまり太宰っぽくもないが、作家志向の人ならば、これぐらいの物語が自分に書けるか否か、試してみるには好個の一作だろう。
 こういう「文章」が自然にポンポン書けてしまう「天才」だったからこそ、その天才の代理人として作中に登場する「分身」を殊更「天才どころか、むしろ見下すべきしょうもないやつ」へとねじ曲げねば収まりがつかず、には生身の「自身」までをも「本筋の生活破綻者」へと押しやる羽目に陥った男・・・そんな人生と引き換えに成り立つ太宰治の作品群にあっては、この「水仙」のような良品の影は薄く、血反吐や死の臭い漂う「人間失格」や「斜陽」でないと、「太宰らしくない」と言われてしまうのだから(って、言ったのは誰だ?)、まったく、「天才」なんて、むもんじゃぁ、ありません。

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千代女(ちよじょ)
 ・・・ 小学生時代に書いた上出来の投稿作文が、二度も続けて雑誌掲載されて激賞されたばっかりに、悲しい屈託を抱え込むようになってしまった「元天才少女」のお話。
★★★ 女性仮託の(太宰文学用語で言うところの「女生徒」型)文体でられた、普遍的な(かつ、ごく普通の)「昔神童、今???」の悲哀物語だが、それを一気に読ませてしまう文章力は太宰ならでは。めっちゃ長すぎる「女生徒」と付き合う勇気がもてない人は、こちら「千代女」を召し上がれ。

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葉桜と魔笛(はざくらとまてき)
 ・・・残酷な運命に見入られて、十八にして腎臓結核で余命いくばくもない病床の人となってしまった妹の不憫を思いつつ、献身的な看病をする姉だったが、ある日、妹のタンスの奥底に秘められた、売れない歌人との秘密の恋文の数々を発見し、いけないこととは知りながら、その汚れた悲恋の哀しい破局まで読み終えてしまう。男に捨てられ、運命にも見放され、もう指折り数えるほどの日々しか生きられない妹を思うと気も狂いそうな姉は、ある日、山道で、地獄の底から響き渡るような太鼓の音を聞いた気がして立ちすくんでしまう。その同じ日、この哀しい妹の元に、一通の不思議な手紙が届くのだった・・・
 ★★★★★ 太宰治が、実生活に根ざした悲惨な物語一辺倒を卒業して、天性の文章力と(哀しい生身の体験に裏打ちされた)独自の哀感漂う物語世界構築力との絶妙な融合のうちに名作を生み出すようになった、その最初期の一作。
 ストーリー性もミステリー性もメッセージ性も、そして(この時点ですでに「心中歴 二回」の太宰を思えば、微妙な)センチメンタリズムも、ふんだんに織り込まれた贅沢な短編で、懸賞小説に投稿したら特選間違いなし、ってタイプ・・・太宰文学としては少々目鼻立ちが整いすぎている――O. Henryの「The Last Leaf(最後の一葉)」っぽくもある――けど、なにせ、ある意味「処女作」、それもとびきり「美人」だから、こっちの気持ちも甘くなって思わず最高点付けちゃった、そんな素敵な小説です。
 「ダザイってクライんでしょ?」的な先入観で敬遠してる女性がいたら、これをまず読んでみて、って言いたい感じ。こういう人、じゃなかったけれど、こういうのも書ける人(なのに、なかなか書かない作家)、それが太宰治なのでした。

恥(はじ)
・・・ひどくすさんだ生活をしていることが行間からにじみ出て、およそ女性からさげすまれるよりほかはなさそうな作家に、それでも作品の根底に流れる微妙な哀愁感だけを見所と見込んで、ある一人の女性読者が、匿名の手紙を書いてみたところ、あら不思議、どうしてわかったのかしら、そのすぐ後に、自分そっくりの女をモデルにした小説を雑誌に発表したのを見て、愕然とした彼女は、どきどきしながら再びペンをり、この慧眼の作家へと第二の手紙を書くのだが・・・
★★★★ 芥川龍之介の創作(そうさく)を読んだ後で、この太宰の「恥」を読むとよい。作家としての質の違い、人間としての性格の違いが、たっぷり、にんまり、わかるだろう。

走れメロス(はしれめろす)
 ・・・遠い遠いギリシアの昔の物語。人の心の誠を信じられず、不信の念にせきたてられては身の回りの人々を次々と死刑にしてしまう、心を病んだ王がいた。この国をたまたま訪れた素朴で純真な羊飼いの若者メロスは、この狂った王の話を聞いて逆上、単身王城に乗り込んで捕まり、たちまち死刑を言い渡される。「結婚間近の妹の幸せな花嫁姿を一目見てから死にたい」とのメロスの願いを、「そんなバカげた言い訳が通じるものか」と冷たく言い放つ王だったが、「それならば、必ず私が帰るという誓いに、無二の親友を身代わりに置いて行く。もし帰らねば、この男を殺すがよい」とメロスが言い出すと、意地悪くこれを承諾する:「我が身かわいさに身代わり立てて、いけしゃあしゃあと殺させて、自分だけ生き残ろうとする・・・私が心底憎んでやまぬ人間の醜さを世に示すのに、こんなよい見せ物はないではないか」・・・かくて、古里に戻り束の間の親族交歓に幸せな最後の夜の眠りをむさぼったメロスは、翌朝再び、自ら殺されるための刑場めざして出立する・・・友の信頼に報いるため、狂った王に人の心の誠を示すため、刻々迫る日没の刻限になんとしても遅れてはならぬ、さぁ走れ、メロス・・・
 ★★★★★ 小学生の頃にまず読んでおき、後日、そう、太宰がこれを書いたのと同じ31歳頃にでも再び読んでみたならば、どんな違った味がするものか。そうした愉悦にこそこの作品の、本物の文学の、誠の味わいがある。
 甘美な友情の完璧なる勝利を子供心にえたあの起死回生・天下快晴の物語・・・そんなハッピーエンドを誰より希求しながらも果たせず頓挫しっ放しの裏切り男の死んでも消えぬ悔恨の連続活劇を、生身でるばかりだった太宰治の実人生・・・その二重写しが、どんな陰影をえた妖しい輝きを放つものか、それを味わうためにこそ、日本の全ての小学国語教科書は、太宰の「走れメロス」を、芥川の「杜子春」を、幼い心の「ポジ」として、まず焼き付けておく義務がある・・・対照すべき「ネガ」の方は、世の中が勝手に、豊富に、彼らの心と身体と人生に、いくらでも刻んでくれていることだろう。
 その時になって、かつての無垢だった子供達は、知ることになるだろう:誠実の純潔を守るため命をけて走っては見事願いをえて刑場で抱き合って涙し合う友と友との物語の感動の蔭に隠れて見えなかった、もう一つの寂しいお話を。刑場の友を見殺しにしてしまった我が身のふがいなさを責めさいなみながら死ぬまで人生の刑場をうろつき回らねばならぬ生き地獄の運命を背負わされた、走っても走っても間に合わなかった幾多の悲しきメロスたちの、誰にもわかってもらえぬ、見向きもされぬ、唾棄されるばかりの問わず語りを。
 前者への拍手喝采の蔭に隠れる形で、後者のきを漏らしてみせた太宰には、この作品への大方の世間の反応など、当然、織り込み済みだったことだろう。答えを知っているくせに、さも修身の教科書めいた天晴れ物語の形でこのナゾナゾ話を世に出して見せた作家の魂胆は、作品の陽性の輝きの鮮やかさに反比例する形で、太宰の実人生に対する絶望の深さを感じさせる。その仕掛けは、見える者の目にはあざといまでにあっけらかんとしているが、しかし、その露骨な明暗対照の図にまるで気付いてもくれぬ世間の徹底的に見事な鈍感性をの当たりにする時、読み手はまた知ることになるのである:人間世界の闇の深さと、闇を闇とも思わぬ一般人のただ生きるために他者を平然と無視できるたくましき心根の不浄耐性の強さを。
 この世は、彼らsurvivorのためにある。太宰や芥川やメロスのためにあるのは、唯一、文学という名の非現実世界だけ・・・だが、その現実を越えた世界だけが、生身の生存限界をはるかに超えた何百年・何千年もの悠久の時を、こうして生きて、何かを訴え続けるのだ・・・たとえ聞く者の耳は遠くとも、永遠に。

眉山(びざん)
 ・・・知り合いの店であるのをいいことに、ツケ払いのきく新宿の飲み屋に入りびたる作家とその仲間達にとって、その店は申し分なかった――たった一人、文学も芸術も何もわからぬくせに妙にまとわりついて離れない、「三度の飯より小説が好き」という若い女中のトシちゃん(通称、眉山:ビザン)だけはじゃまっけだったが。あれこれと(大きな声じゃ言えぬような)豪快伝説をトイレ周りに放り散らしながらまるで悪びれることなき彼女にうんざりして、「もう、河岸を変えよう」と相談しても、ツケの磁力に引かれて戻っては、また眉山女史のべったり給仕で迷惑顔して酒を飲む作家たちだった。が、不摂生のツケでしばらく寝込んだ作家が、快癒一番、りもせず久々で「眉山軒」に足を向けてみると・・・
 ★★★★ 個人的には、太宰作品で一番好きなものの一つ。誰からも嫌われることはないこの作品が、誰からもうとまれながら消えてはじめて愛される人の物語なのは、人生の皮肉というべきか、人間性の必然というべきなのか・・・実に、太宰らしい作品である。天才太宰なら二十歳でもこの作品を書けたのかもしれないが、実際の執筆は敗戦三年目の昭和二十三年、太宰治、三十九歳、その人生最後の年であった。太宰の真骨頂の一つ、誰からも見向きもされぬ寂しい人生への応援歌として、自身と世間のために流された最後の涙の真珠、それがこの「眉山」・・・ちなみに、この作品以降に書かれたものは以下の通り――「女類」・「渡り鳥」・「桜桃」・「家庭の幸福」・「人間失格」・「グッド・バイ」、そして文壇への三くだり半とも言うべき随筆「如是我聞」。

富岳百景(ふがくひゃっけい)
 ・・・苦しい思い出だらけの東京での生活から逃れて、恩人の作家が逗留する富士山麓の茶屋に転がり込んできた太宰。途中、来客あり、お見合いあり、バスで出会った見知らぬ老婆との心の触れ合いあり・・・その出来事の背後には、常に変わらず富士山あり。そのあまりに見事すぎる自然の美に、時にげんなり、時にはびっくり、やっぱり大したもんだなぁと感心する時もあったりして、富士に抱かれての甲府の日々に、やがて別れを告げるその日には、太宰の富士への思いも、芸術・人生と向き合う自身の心も、少し、変わっていたかもしれない。
 ★★★ 「富士には月見草がよく似合ふ」 ― この一節を、脈絡抜きで、どれだけ多くの日本人が口にしてきたことだろう・・・太宰の気持ちも知らないで。その本来の姿でならばとても素晴らしいものたちが、言い古されて低俗な「風呂屋のペンキ・芝居の書割」にして行く、その有様を嘆いて見せた作家の真意をえ知るには、今の日本人、この長さの文章とじっくり付き合う堪え性もなければ、行間読み解く細やかな感性もないようだから・・・やはり「日本人には、ペンキ画の富士がよく似合ふ」ということに、なるのだろう。

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令嬢アユ(れいじょうあゆ)
 ・・・大学もほぼ落第確定して「もうこうなったら小説家にでもなるよりほか仕方がない」と覚悟を決めたらしい若く純朴な友人が、文人らしい世間離れした生活の実践訓練に出かけた温泉旅行で、一人の可憐な(はたち前ぐらい?の)令嬢に出会う。スカートの膝上までまくり上げて水辺を歩いている姿にも、岩場で足を滑らせて水に落っこちてびしょ濡れになった格好を見ても、ただ無邪気に笑っていただけの作家志願やけくそ青年だったが、数日後、甥御さんを兵隊に取られてしょげているおさんのために早朝から自転車で走り回っては花束集めてはげましてあげたりなんかしてる彼女の姿を胸に刻んで、無性に恋しくてたまらない思いを抱えつつ帰京。その顛末を「あの令嬢と結婚しようと思う」などと純真に語るこの若き友人を前にして、太宰は何を思ったか・・・
★★★★ 天使と、堕天使と、大悪魔、のお話・・・だが、この大悪魔(堕罪収)、かつて自分のいた場所(ルシファーだって、昔はキリストのおともだち、神のいとし子だったのさ)を忘れられない哀しい宿命と、日々にらめっこして生きている・・・だからこそ、こういう友だち(もしかしたら、絵空の中の人かもね)がいっぱい寄って来るわけだ。
 大人の、せつないおとぎ話。大学卒業する頃(22~24歳頃)に読むと、ちょうどいいと思います。

ろまん燈籠(ろまんどうろう)
 ・・・今は亡き洋画家の、それぞれに個性的な5人の子供達の、とあるお正月(実際の執筆年は1941年5月)の座興としての、連作物語のお話。
★★★★★ 太宰作品によくある「二番煎じ」の生い立ちを持ち、本作の二年前(1939年3月)の「愛と美について」を下敷きにしていて、出だしから相当の枚数をほぼそのまま「原作」丸写しで原稿料稼いでる、というちょっぴりいけない書き方をしてある。新婚当初で、お金が要ったのかもしれない(ほぼ同時期の「新樹の言葉」もやはり2ヶ月前の失敗作「黄金風景」の焼き直しだったしね)。
 でも、この「ろまん燈籠」の原作になった「愛と美について」は全然失敗作じゃなく魅力的(内容重複が多すぎてここに紹介できないのがとっても残念)なのだから、太宰は、捲土重来ではなく、愛児溺愛の気持ちで「愛と美について」を再び愛撫してみたくなった、ということだろう。
 「愛と美について」と同時期に産声を上げた可憐な姉妹たちを紹介するだけでも、昭和十四年という年が太宰にとってどういう年だったか、はっきりわかってもらえることだろう
●「富嶽百景」(1月末脱稿)
●「女生徒」(2月末脱稿)
●「新樹の言葉」(3月中旬脱稿)
●「葉桜と魔笛」(4月上旬脱稿)
・・・それでいながら7月には「座興に非ず」なんてのも書いてたりするのが太宰らしいと言えば言えるのだが、上掲四姉妹の初々しい輝きに魅力を感じる人ならば、二年後のこの「ろまん燈籠」の五人きょうだいの福笑いめいたリレー物語に、魅了されないはずはない・・・とっても長いけど、読むだけの価値は十分にある、日本には数少ない美しい小説です。
 筆者は、太宰の全ての作品の中で、このお話が一番好き(だから最高点の五つ星)。これほど素敵な物語を書いても、世間からはあまり誉めてもらえず、愛読者からも「太宰っぽくない」とそっぽを向かれてしまう、そんな可哀想な書き手の境遇を感じるぶんだけ、なおさら好き。
 ギリシア・ローマ神話に源流を持つ滔々と流れる西欧の「物語」の流れにしっかりと寄り添った日本の作家はとても少ない。千年昔の女の夫への怨恨を軸線とする『蜻蛉日記』に始まる私的感情と身辺雑記の垂れ流しの「私小説」が度し難き「死小説」の死屍累々を築いて来た文芸的糞土上でいまだに「読者が作者を好きになり無条件で受け入れること」を前提とし、「作品」ではなく「作者」に寄り添うことを強要する(現代マーケティング原理に実に見事にった)作品だらけの日本の所謂「文学」の中で、際立って特異な「西欧型=作品そのものに力がある」作家の筆頭が芥川龍之介だが、彼を敬愛した太宰治は「私小説=自分自身の人生そのものを小説として生き、死んだ作家」とみなされることが多い・・・けれども、それは事実の半面しか言い当てていないことが、この『ろまん燈籠』を読めばわかるはず。太宰は、本源的に、極めて西欧的な作家なのです。
 「『蜘蛛の糸』は身につまされる」とか「『杜子春』を読むたび故郷に電話したくてたまらなくなる」とかの形で個々の作品が異彩を放つ作家には「『芥川龍之介』が好き」の讃辞は似合わないけど、「『太宰』が好き!」の讃辞は何だかとてもよく聞くし、それがまたとってもよく似合う作家が太宰治ではあるのだけれど、自分自身の心の入江に幾人もの人々の様々な人生を宿してそれに寄り添うことの自然に出来てしまう人種、つまりは『旧約聖書』やギリシア神話を書くタイプの作家であって決して日本型「私小説家」ではない本筋の物書き、ある意味で芥川以上のストーリーテラーでありながら、その虚構の才を自在に駆使して日本の文学界の新機軸を(芥川と二人で)開拓する道よりも、道化人生を公私双方で演じきることを選んだ(あるいは、世間からそれを求められていると感じて律儀にそれに殉じてしまった)太宰治という作家の歩みは、残念だが、その残念な感じがまた彼の(彼の作品の、ではなく、太宰の)魅力の一つにもなってしまっている・・・「文は人なり」という陳腐な言い回しに、格別な意味を与える希有な作家、太宰治の、世間にはほとんど知られても評価されてもいない「作家性」、それを感じるためには昭和14年の彼の作品群を読むとよい。どれか一作だけというのなら、この『ろまん燈籠』が一番いい。
 半日程度自由な空想の世界に遊ぶ時間と心の余裕があるようなら、どうぞ読んであげてください。『人間失格』や『斜陽』より、たぶん太宰は、この『ろまん燈籠』を読んでもらうことのほうを喜ぶはずです。