百一006解題)かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞふけにける

かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞふけにける
『新古今集』冬・六二〇(中納言家持:ちゅうなごんやかもち)(男性)

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解題

 この歌の「かささぎのわたせるはし」とは、年に一度、7月7日に天の川をまたいでの逢い引きを許された織姫(Vega=ベガ)と彦星(Altair=アルタイル)のために、が天空に橋を架けて彼らの仲を取り持ってくれる、という古代中国の伝説を意識したもの・・・だが、真夏の夜空に浮かぶ想像上の橋に「霜が降りる」訳もない・・・季節を問わぬ「夜露」ならともかく、「霜」なのだから、季節は七夕を大きく外れた「冬」であることは明白だ・・・が、では、この「橋」とはいったい何の比喩か?・・・天空の高みに架かる橋にも擬すべき地上の存在、それはやはり、天子様の御座所である皇居の、最も高貴な場所たる殿上の間へと続く、並々の身分の者(「地下人」)では昇殿を許されぬ優雅なる階段を指すもの、であろう(・・・ここまでの解釈は、江戸時代中期の『万葉集』研究の第一人者賀茂真淵の説に依るところ、大)。
 その雲の上の世界へと昇ることを許される「殿上人」の立場で殿中にある我が身の晴れがましさ故に、この詠み手の目には神々しいまでに映ったであろう殿上への階段に、うっとりとした視線を投げると、そこにはきらりと光るものがある・・・ここで詩人は初めて気付く:あぁ、霜が降りているのだ・・・気付けばもう夜も遅い時間になっていたのである・・・逆に言えば、殿中への階段に降りた霜の輝きによって夜の深さに気付かされるまで、この詩人は、時を忘れていたのである・・・彼は何に心を奪われていたのであろうか?華麗なる宮中のの陶酔か?聖なる場所に初めて足を踏み入れた官人としての初々しい高揚感か?・・・いずれにせよ、この「気付き」の直前まで展開していたであろう何らかの出来事が ― それが物理的なものであれ精神的なものであれ ― そこには確実にあったことを感じさせる、余情たっぷりの詠みぶりである。
 時間・場面の重層構造の詠み込み方といい、七夕にまつわる伝説を下敷きとしている物語性(平安末期に至って「本説取り」として盛行した作歌技法)といい、これは典型的な「古今調」の理知的詠歌スタイルである。『小倉百人一首』の生みの親藤原定家自らも撰者として加わった『新古今和歌集』(1201年に後鳥羽上皇院宣が下り、改訂に改訂を加えつつ、1210~1216年頃に成立) ― 鎌倉時代の初期に、古き良き平安の昔の『古今和歌集』への回帰を目指して編まれた勅撰集 ― の中に収載されていることも、この歌の理知的な技巧の高さをすものである・・・が、実際にはこの歌は、日本初の勅撰和歌集『古今和歌集』(905)に先立つこと約150年前の、古代の和歌の集大成『万葉集』(759年~783年頃に成立)に収められた大伴家持(718~785)の歌なのである。時代に先行する彼の理知的な「古今性」が感じられる一首である。
 大伴家持は、政治家としては幾多の政争に巻き込まれつつも最終的には中納言という要職にまで進む。「大伴」という武人の家柄でありながら、この家持は『万葉集』の編者とみなされている。全四期に分別される万葉歌人の最終期を代表する歌人が家持(そして彼の父の大伴旅人)であること、全二十巻に及ぶ『万葉集』のうちの第十七~二十巻まではそれ以前の巻とは確実に異質で「私家集」的色彩が濃く、家持の詠歌が『万葉集』全体(約4500首)の約一割にあたる473首にも上ること、などから、散発的な形で既に成立していた上代の和歌集の数々を、この家持が、現存する『万葉集』の形へと最終的にまとめ上げたのであろう、との説が今日では有力である。
 家持は、『万葉集』を完成して2年後の785年に亡くなるが、直後に発生した藤原種継暗殺事件に関与していたとみなされて、死後の埋葬すら許されぬままに彼の官位は剥奪されてしまう。そのために、彼が編集に関わった『万葉集』もまた日の目を見ることもなく、一度は野に埋もれてしまった。その後806年、恩赦によって家持が従三位に復帰させられるのに合わせて、『万葉集』もようやく公式に認められることになる。
 天皇・上皇のを受けて編集された勅撰和歌集として、現代にまでその名を残すものは全部で21集、これを称して「勅撰二十一代集」と呼ぶ(『古今集』に始まり、『万葉集』は含まない)。が、その陰で、勅命を受け、実際に編まれながらも、様々な事情によって日の目を見ずに文芸史の彼方に埋もれ去ってしまった幻の勅撰集も少なからず存在するのである。『万葉集』もまた、もしかしたら、大伴家持の政治的汚名と共に、闇から闇へと葬り去られていたかもしれない・・・芸術のさ・さ・頼りなさを感じざるを得ぬ話ではないか。時を越えて永遠の輝きを放つものであるべき芸術も、時の狭間で右往左往するばかりのちっぽけな人間たちの思惑次第で、あたらその生命を奪い去られてしまうことがあり得るのだ・・・歴史の波頭束の間狂乱ダンスを踊るばかりの、遠くを見通す目も心も持たぬ近視眼的な人間達に限って、この種の蛮行を平然と犯すものである・・・目まぐるしく変わる時代の流れの中でそのパースペクティブも加速度的に矮小化の一途を辿る忙しげな現代人は、このあたり、特に自戒する必要があろう・・・後代にVandals(芸術破壊性蛮族)の汚名を残さぬためにも。

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