百一008解題)わが庵は都の辰巳しかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり

わが庵は都の辰巳しかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり
『古今集』雑下・九八三(喜撰法師:きせんほふし)(男性)

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解題

 「しかぞすむ」に「然ぞ住む(人はあれこれ言うけれど、ほーれ、こうして私は生きています)」/「鹿ぞ住む(人里離れているので鹿が住んでいます)」の二つの意味を、「よをうぢやま」に「宇治山」の他に「世を憂し山・・・俗世を嫌なものとみなした隠者の籠もる山」を掛けた技巧を、それぞれ指摘できるだけで、取り立てて何ということもない歌である。
 そして、作者「喜撰法師」のものとして世に伝わる和歌は、実にこの一作のみである。
 そんなこの歌/この人を、何で世間が取り立てて言うかと言えば、それは唯一、紀貫之が書いた『古今和歌集』「仮名序」の中の、後代六歌仙」などと大仰な呼び名で語られることになる例の"昨今著名な歌人の寸評"の中に、この人物に対する言及が見えるからこそである。
 曰く、「宇治山の僧喜撰は、ことばかすかにして、はじめをはりたしかならず。いはば、秋の月を見るに、の雲にあへるがごとし。」(宇治山に住む僧の喜撰法師は、言葉遣い曖昧で、どこで始まりどこで終わるのかがよくわからない。いわば、秋の名月を見ようと目を凝らしているうちに、明け方の雲に邪魔されて結局よく見えずじまい、といった趣である。)・・・これは、「しかぞすむ」/「よをうぢやま」の掛詞を難じたものであろう。「しかぞすむ」に「鹿」を掛けるとすれば、人が結んだ「わが」に野生の「鹿ぞ住む」のはおかしいし、後続の「宇治山」に「鹿ぞ住む」のならば筋は通ろうが、それにしてはあまりに「鹿」と「宇治山」が掛け離れすぎた位置にあるから、「はじめをはりたしかならず」という訳である。
 しかし、たった一首の歌の顕微鏡的分析により捉えた微細な特徴を、勅撰和歌集の巻頭言縷々述べるというのも、実に妙な話である。おまけに貫之はこの喜撰について、駄目押しするようにこうも付け加えている:「詠めるうたおほく聞えねば、かれこれを通はして、よく知らず。」(その詠歌はあまり多く世に伝わっていないので、複数の歌に共通する特性を概括的に論じる、というような形では、私は理解していない)・・・一首だけ取り上げて顕微鏡的解釈をして見せた挙げ句の果てに、「資料不足で総評不能」とは、不自然(or無責任)なことこの上もない。
 この異様性に関し、付けられる理由は二つに一つである:
1)貫之がこの文章を書いた当時、この「喜撰法師」なる人物が、よほどで有名人だったのであろう。
・・・そうかもしれぬが、だとしたらそれなりに歌だの逸話だのの類が残っていそうである。が、「喜撰法師」に関して世に残るのは、その名とこの歌一首のみ。
・・・ともなると、もう一つの可能性の方を強く疑わざるを得まい:
2)実在の人物でもない「伝説の歌人」を、貫之(乃至、『古今集』編者達)自身がデッチ上げた。
・・・この場合、この歌も、当然、貫之(らの)自作である。それも、わざと難点を指摘し得るような「アラ含み」の欠陥品の形で書いた訳である。
 貫之がそこまでする理由がどこにあるか、とも思う。自作自演の幽霊歌人を立てて、それがバレたら大騒ぎになるだろう・・・と危惧するならば、この行為は、見事に決まらぬ場合にはそれなり以上の罰を受けるという点に於いて、「犯罪」に近い。犯罪を犯すには、断罪されて処罰される危険性を押してまでそれを遂行すべき理由が、万一の時の心配を振り払ってまで強引に奪い取りに行くべき加害者側の利得が、何かしらなければならぬ・・・というのが犯罪心理学上の常識ではあろう。
 が、そもそも貫之が、架空の歌人の名を立ててもっともらしくあれこれ論じたり適当な歌を宛がったりする、という営みを、「犯罪」とみなしていたか否かが、まず第一に問題になろう・・・恐らく彼は(そして彼以外の撰者達もみな)、そうした罪の意識とは無縁であったと思われる。「題詠(出された題に応じて、自身が現実に体験しているわけでもない世界の事柄を想像しつつ、架空の歌をそれらしく作り上げること)」に慣れた歌の世界の住人にとって、想像的創造は決して非難されるべき性質のものではなかったのである。従って、悪意も不安も良心の呵責もなしに、気軽な気持ちで幽霊歌人を作り出したり、自分自身が誰か他人の幽霊代筆者(ghost writer)を演じたりすることを、彼らが行なうことは(現実にあったという確証の有無は別にして)十分可能なことであったのだ。
 このことは、後日の日本、特に高貴な御仁の身の回りに於ける(主にお付きの者による御主人様のための)和歌代詠行為の普遍性に照らし合わせてみれば、疑問・反論の余地もない事実として、すんなり受け入れられるであろう。日本は古来、行為者のidentity(本人証明・身許の確かなし)が重視されぬ文化圏であり続けたのだ。
 従って、問題は、この「喜撰法師」が貫之(ら古今撰者のうちの誰か)の手になる幽霊歌人だったと仮定して、それを何のために創出したか、及び、その創出意図は成功裏の結末を見たか、の二点のみに絞られることになる・・・が、上述の「仮名序」中でもっともらしく論評するためという以外には、確たる理由も、興味ある展開も、何一つ見つからず、従ってこの「伝説の歌人作りの試み」は、惨めな失敗に終わったと断ずるより他はあるまい。
 もしかしたら本来、貫之(たち)は、『古今集』本編の中に、「喜撰法師」の名をしたもっと多くの作品を散りばめて、ある特定の歌人像を作り出してみせようという創作意欲を、「仮名序」完成以前には抱いていたのかもしれない・・・ちょうど、「小野小町」と称される伝説の女流歌人の歌、とされる作品群に関して、同様の創作意図が感じられ、かつ、見事に成功しているように思われるが如くに。
 この「喜撰法師プロデュース作戦」、もし仮に、『後撰集』(『古今集』より半世紀後に成立した第二の勅撰和歌集)に収録された『小倉百人一首』第10番歌「これやこのゆくもかへるもわかれてはしるもしらぬもあふさかのせき」(by「蝉丸」)をも「喜撰」に帰していたならば、「仮名序」の貫之の「はじめをはりたしかならず」の文言も見事に奏功して、「小町プロデュース作戦」同様の大成功を収めていたことであろう。時代背景が定かでない歌だけに、あの「蝉丸」歌が『古今和歌集』に収録されていた可能性だって、あれが貫之(ら)による変名の戯れ歌であった可能性だって、「喜撰」歌同様に、十分想定されることなのである。また、そもそも「蝉丸」もその実態は謎(恐らくは架空の歌人)なのだから、『後撰集』の編者たちがこれを「喜撰法師作」として紹介しても一向に差し支えない歌ではあったのだ・・・・この点に於ける「梨壺の五人」(初の「和歌所」の「寄人」として『後撰集』を編んだ者たち)の『古今集』「仮名序」理解の浅さと遊び心の乏しさが、戯作者的には、悔やまれるところである。もし彼らが勅撰二集をまたいでの「喜撰法師」創出に成功していたならば、後代、「文章のどこからどこまでがどこにかかるか見抜き辛い複雑な文法構造を持っためくらまし歌」というやつに対して、「喜撰風」だの「キセニズム」だのといった概括的レッテルが貼られる、という和歌界の約束事が生まれていたかもしれないのである・・・もう一歩のところだっただけに、残念な手ぬかりではあった。
 結局、何から何まで中途半端な「喜撰法師」を巡る伝説劇であるが、この話には更に後世、いかにも和風なオチが付く・・・言葉なり文字なり適当な媒体に載せて世間にバラまけば、無根拠・無自覚・無反省にそれを鵜呑みにしてかかる大衆というものは、自分自身の知的体質が根無し草であるが故に、他者にも同様の無根拠鵜呑み体質を迫るもの・・・そうしてみたとて本物の根拠など最初からないのであるから、論理的必然の帰結として、連中は、自らデッチ上げの「証拠作り」に励むもの・・・そうして出来上がった「これぞ喜撰法師実在のし」というお粗末な「しるし」を二つばかり紹介しておこう。曰く
1)喜撰法師は、和歌の作法について書かれた『倭歌作式』の作者である;によってこれをその筋ではまた『喜撰式』と言う。
・・・無論、これは大嘘で、同書は例の「六歌仙」なる呼び名がまことしやかに世に流布して後、平安後期に書かれた「伝説の喜撰法師」の名でを付けようとしたただの偽書、という次第
2)宇治市の御室戸には、喜撰法師が「しかぞすむ」とったの跡が残っている。
・・・平安末期に鴨長明が書いた歌学書『無名抄』にある記述だが、まぁこちらの方は、はっきりとした確信犯的犯行の『喜撰式』偽書に比すれば罪の少ない鵜呑み芸であろう。言ってみれば、インチキ骨董屋の主人が、何の変哲もない木の棒きれを取り出して、「これはGHQ総司令官のマッカーサー元帥が厚木に降り立った時にくゆらしていたコーンパイプのの部分だよ」などとお調子こいてはお客の笑いを取ろうとする営みに似て、可愛げがあるとさえ感じられる。
 恐らくは、紀貫之(なり他の古今撰者なり)が「喜撰法師」をデッチ上げたのだとしても、これまた、初の勅撰和歌集の編纂という大仕事を完遂した後の、気楽な息抜きとして、であったろう。そしてまたそうしたおチャラけ行為、嬉しくて楽しくてはしゃぎたくて仕方がない場の雰囲気に任せて思わず暴走してハチャメチャやらかした後で「アチャーっ!」とほぞを噛むというお茶目なしくじり(現代関西弁で言うところのイチビリ)を、笑って許して受け流す鷹揚な体質が、当時の貴族社会にはあったのであろう。
 そうした古き良き(ん、今なお残る、か?)関西の緩ーい芝居っ気をもってこの「喜撰法師」の名を眺めてみると、『古今和歌集』の"撰"者となって"喜"ぶ紀貫之&CO.=「喜撰」という、何ともベタな暗号が、浮かび上がって来る・・・とは思われまいか?
 兎にも角にも鹿にもにも、この「喜撰法師」及び『古今和歌集』「仮名序」を巡るあれこれの考察を通して我々が知るべきことは、次のこと:
 「六歌仙」にせよ何にせよ、書いてあるから、よく聞くから、と、それだけの理由で何かを鵜呑みにし、あまつさえ人前でひけらかしてみせるような芸当は、如何にも才芸ありそぉにみえて、その実無様な、しかよぉせん馬+鹿ゲー

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