百一031解題)朝ぼらけ有り明けの月と見るまでに吉野の里に降れる白雪

朝ぼらけ有り明けの月と見るまでに吉野の里に降れる白雪
『古今集』冬・三三二(坂上是則:さかのうへのこれのり)(男性)

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解題

 「朝ぼらけ」は「朝+ほろ+明け」の音便短縮形で「朝がほろほろと(少しずつ)明け行く時間帯」のこと。ほろほろ明け行く「あさぼらけ」であれ、ほのぼの明け行く「あけぼの」であれ、未だ完全に明け切った朝ではない。そんな夜と朝との交替劇が進行中の空に、例の、明け方なのにまだ沈まずに有る夜の忘れ物のような「有り明けの月」の残光が、ほのかに辺りを照らしている・・・のかと思いきや、その妙に明るい光の正体は、有明の月の残照ではなく、朝日を浴びて輝きながら空から舞い降りる吉野の白雪・・・。
 耽美的な叙景詩で、鎌倉初期の新古今歌人たちが大喜びしそうな(・・・りを効かせた技巧歌ともども、物語の一場面として視覚的訴求力をもって迫って来るような見映えのする歌をも、彼らはやはり好んだ)作品だが、これは平安前期の『古今和歌集』(905)の一作である。「雪明かり」と「有り明けの月」の錯覚は秀逸な技巧だが、そうした創作的人為の妙を超えて輝く自然の美景が、「概念詩(a song of idea=アイディアの歌)」ではない「映像詩(a song of image=イメージの歌)」として、読み手の"頭の中"ではなく"目の前"に自然に展開し、心の中へとすーっと広がって行く。
 多くの和歌の中では、「早くも明けてしまった朝の空に取り残されて、引っ込みも付かずに居座る間の悪い存在」として「心残り」の心理投影イメージとなって虚ろな光を放つ「有り明けの月」が、この歌の中では単なる「残照」の物理現象として引き合いに出されているのみ・・・それはそうで、この歌の主役はあくまで「吉野の里に降れる白雪」なのであって、そこに居合わせた詠み手の心理が「有り明けの月」を通して「不完全燃焼の不満顔」として出しゃばったのでは、自然が主役のこの歌が台無しになってしまう。
 作者坂上是則は平安前期の歌人。官位は「従五位下」と(この時代の著名歌人の御多分に漏れず)あまり高くないが、和歌以外にも蹴鞠の名手としても知られた風流人。『古今集』にはこの歌を含めて8首入集しているが、この歌以外は全て「頭で読む歌」ばかりで、「眼で見る歌」はこの「朝ぼらけ・・・」の一首のみである。その他7首と少ないので、いっそ全部紹介してみようか:
 佐保山のははその色はうすけれど秋は深くもなりにけるかな(秋下・二六七)
 ・・・「ははそ」は「クヌギ・ナラ・カシワ」等の樹木の総称。夏は緑色が濃かったそれらの木々の色が「薄くなる」のに反比例して、秋の風情は「濃くなる」という漢詩的な言葉の対照が取り柄の概念歌。
 もみぢばのながれざりせば竜田川水の秋をばたれかしらまし(秋下・三〇二)
 ・・・「水の秋」とは、竜田山紅葉の錦で一面に染め上げる「山の秋」との対照表現で、これまた漢詩の対句に似た技巧。水の流れは春夏秋の変化に乏しい(冬は降雪氷結が見られるから例外)・・・ので、「竜田川に、竜田山から散り敷いた紅葉絨毯でも浮かばない限りは(「(川を)流れない限りは」ではない・・・流れ去ったらただの水、なのだから「(山から川へと)流れ込まない限りは」と読む)、水の上にも秋が来た、とは、誰もわからないままだろう」という概念歌。
 みよしのの山の白雪つもるらしふる里さむくなりまさるなり(冬・三二五)
 ・・・「詞書」には「ならの京にまかれりける時に、やどれりける所にてよめる」とある:京都以前に日本の首都だった古い奈良の都が、その寒さを増してきた・・・ということは、今頃奥深いあの吉野山には、白雪が積もっているのだろうなぁ・・・「風が吹けば桶屋かり、山里に雪降れば人里も凍て付く」式の概念歌。(因みに、これを本歌としているのが第94番歌「み吉野の山の秋風さ夜ふけて古里寒く衣打つなり」)
 秋くれど色もかはらぬときは山よそのもみぢを風ぞかしける(賀・秋・三六二)
 ・・・常磐山(現 京都市右京区常盤にある山か、とされる)は、「いつまでも変わらない」というその"常磐"の名の通り、秋が来ても紅葉せず、その色は変わらない・・・ので、余所の山で散った紅葉の葉っぱを、風が運んで来てこの山に貸してくれているよ、という、名前引っ掛け+擬人化技法の概念歌。
 わがこひにくらぶの山のさくら花まなくちるともかずはまさらじ(恋二・五九〇)
 ・・・暗部山(現 鞍馬山か、とされる)の山桜は間断なく散り落ちる・・・けど、私が恋に思い悩む数の多さに「くらぶ」れば、「くらぶ」山に散る桜の花びらの数も、まさりはしないだろう、という、名前引っ掛け誇張型の概念歌。
 あふことをながらの橋のながらへてこひ渡るまに年ぞへにける(恋五・八二六)
 ・・・「逢う事を無み・・・"み"は理由を表わす」=恋しいあなたと逢うことがないので、「長柄の橋」じゃないけれど、恋慕の念を抱きつつただ生き長らえているうちに、こんなに長い年月を経てしまいました・・・「あふことを"ながら"の橋の」は同音の「"ながら"へて」を導く「序詞」、「渡る」は「ずっと・・・し続ける」という第三の意味を介して「橋」につながる「縁語」・・・という、名前引っ掛け型の概念歌。
 かりてほす山田の稲のこきたれてなきこそわたれ秋のうければ(雑上・九三二)
 ・・・山の田んぼに刈り取って干してある稲が垂れ下がるその上空を、が鳴きながら渡って行く。秋は物憂い季節なので、鳥たちまでも涙に暮れているのかなあ・・・「かりてほす山田の稲の」は「こきたれて」を導く「序詞」であると同時に冒頭「かり」に「雁」を掛け、「こきたる」は「稲穂が垂れ下がる」と同時に「涙が落ちる」の意の「掛詞」にもなっている・・・「屏風の絵によみあはせて、かきける」とあり、秋の空を鳴き渡るの群れ、という絵の趣旨に合わせて詠んだ概念歌であることが解る。
 ・・・とまぁ、いずれの歌も、詠み手の企んだ技巧・趣向を、読み手が頭で読み解くパズルのようになっていて、作者の作為と個性とが否応もなく顔を出しており、この物静かな第31番歌「吉野の里に降れる白雪」と同じ作者のものとも思えまい。言葉のを駆使する面白味を和歌に見出し始めた最初期である「古今時代」の歌詠みの中でも、坂上是則はまずまず上手の部類に入る人(少なくともあの「六歌仙」の一人とされる文屋康秀よりは上)で、上で紹介した7首でも、嬉々として言葉遊びに興じているさまが伝わってくる・・・そんな目立ちたがり屋の技巧派歌人の彼をして、自身の姿を舞台裏にひっそり隠して詠むべきほどに、「吉野の里に降れる白雪」は、自然の情景そのものが、それだけで独り立ちできる美を内在的に含んでいた、ということである。「歌材の勝利」であって「歌人の勝利」ではない、そんな秀歌と言うべきか。芸術作品にはこのように、「素材の妙」が「芸術家の妙技」を必要とせぬほどに素晴らしい場合がある・・・そうした対象と向き合った時に、どの程度まで出しゃばらずにいられるか、もまた、芸術家の甲斐性の一つなのである:彼らはただそっと手を添えてやればそれでよく、顔を出してはならぬのだ・・・が、芸術家の多くは、これがまた、堪え性がない出しゃばり屋なのである。
 「吉野」の風物としては、この歌で讃えられた冬の「白雪」と並んで、春の「桜」も有名である・・・というか、有名も何も、そもそも現代日本人にとっての桜の代名詞と言えるあの「ソメイヨシノ」の名を見れば、「吉野=桜」の図式は"言ふもおろかなり"の自明さであろう。が、その「染井吉野」の名の裏には、あまり賢明ならざる愚かっぽい話があるのでやはりここで言っておくべきであろうか・・・吉野の山に咲く桜(の多く)は「ヤマザクラ」であり、「ソメイヨシノ」とは植物学的に別種のもの。江戸時代に「染井」(現 東京都豊島区駒込界隈)の植木職人が作った新種の桜を、「桜、と言えばやっぱり吉野、でしょ」とばかり「(花のお江戸の)吉野桜」、略称「吉野」と勝手に銘打って売り出した"根拠薄弱名ばかり強烈"という例のジャパネスク・ネーミングが、しばらくは罷り通っていたのだが、明治時代の学術調査でこの「吉野」(と称される染井の桜)が「吉野の里のヤマザクラ」とは別種のものと判明した;ので、本物の「吉野(の山桜)」と区別するために、「染井吉野」という名前が付けられた(1900年)・・・が、よく考えるとヘンな名である・・・「東京都豊島区吉野町」か「奈良県吉野郡染井町」か、いずれにせよあり得ないキマイラ的異種掛け合わせ変てこ名称である・・・が、「千葉県浦安にある東京ディズニーランド」もあれば、お江戸の銀貨造幣局以外にも日本各地に「んーたら銀座、かーたら銀座」が乱立するこのお国"らしい"と言えばいかにもらしいので、「日本の象徴」とも言える花の桜には、この「東京都豊島区駒込・・・なんだけど奈良県吉野郡吉野村・・・なーんちゃってザクラ」の名は、まさに似合いのジャパネスク造語と言えないでもない。
 その吉野の山桜、であるが、奥深いこの山里にまだ冬と春とが同居している微妙な季節に咲く花だけに、前日には山一面の桜の絨毯に感嘆した旅人が、翌朝目覚めて宿の外に出ると、夜の間に積もった雪で一面の銀世界に化けていて、しばらくの間は「花見」のつもりで「雪見」をしていた、という、嘘のような本当の話を記した紀行文も古来伝わるところである。かと思えば、「前日にあれほど美しく咲き誇っていた桜が冬(だか春だか)の烈風に一夜にして散らされてしまった」という慨嘆や、「まだ蕾か、まだ咲かないか、とあれほど気にしながら待っていたのに、ふと気を抜いて数日経ってみたら、咲いて散ってのその後で、今や桜の影もない」という「世の中は三日見ぬの桜かな」(by大島蓼太)的な話も盛んに伝わっていて、地元の人々が(半ば自慢げに、であろう)「吉野のお山の神様は、美しいものを出し惜しみして、長くは人に見せないのさ(もっとも、自分たちは、何年ものうちには随分といいもの、見てるけどね)」と話していた、などという記事もある。
 そうした「吉野の山の歌枕」(=古来、和歌によく詠み込まれる場所や情趣の解説)を元にして、古今時代の技巧派歌人の最高峰たる壬生忠岑が詠んだ次の歌の風情が、読み解けるかどうか、最後に腕試しをしてみて戴きたい ― 因みに、この歌について、紫式部らが活躍したあの「一条帝時代・・・というより、藤原道長の時代」の歌壇の大御所藤原公任は自著『和歌九品』の中で最上級の「上品上」と絶賛し、『新古今集』・『新勅撰集』・『小倉百人一首』撰者にして和歌世界最高の目利きとも言えるあの藤原定家は次のように言っている:「その歌のまことに名歌たることの合点のゆかぬは、それほどの器なり。その歌が合点がゆけば、それほどのなり。まことに名歌たることが合点がゆけば、それほどの名人なり」・・・この歌が真に名歌であることが理解できぬ人は、所詮その程度のでしかない。どういう歌か理解できたなら、まぁその程度の器量はあるということだ。これが真の名歌であることにハタと気付いたら、それだけの和歌の名人ということである・・・では、その公任・定家絶賛の「名歌の中の名歌」というのをご紹介しよう:
 春立つといふばかりにやみ吉野の山も霞みて今朝は見ゆらん
 古今時代の著名な風流人平貞文の家での歌合せでの詠歌にして、第三の勅撰和歌集『拾遺集』の巻頭歌(春・一)でもあるこの歌は、古歌にまつわる各種の文芸常識を踏まえた上で、なおかつ大脳皮質と詩的感性とをフル動員せねば読み解けない(そして、誤読の可能性も高い、いかにも忠岑の作品らしい)手の込んだ短歌である。その真の歌意を紹介する前に、試しに、イタズラに、次の形の「替え歌」も紹介してその現代語訳からお目に掛けようか:
 春立つといはんばかりにみ吉野の山も霞みて今朝は見ゆらん
 ・・・再度断わっておくが、上はこの筆者の手になる「替え歌」で、第二句"いふばかりにや"を"いはんばかりに"に換えてある。この形だと、その歌意はこうなる:「まるで"もう春ですよ"とでも言いたいのだろうか、今朝の吉野山に(春の風物である)霞がかかっているように見えるこの情景は?」・・・一句の僅かな違いが、全首の大間違い解釈に結び付く典型的な例として紹介したが、存外、上のような誤解のままで「本物の忠岑歌」を解している人々が世には多いのではなかろうか?この解釈では「春立つといはんばかりに・・・まるでもう春ですよと言わんばかりに」は、「実際にはまだ春ではない」を含意する訳であるが、しかし、「御吉野の山も霞みて今朝は見ゆ」の方は、実際の気象現象として「霞んで見える」のである。これを「春霞」とは(まだ春になっていないのだから)呼べないかもしれないが、「霞」がかかっているという物理的現象だけは、否定しようのない事実としてそこに確実にあるのだ、ということを(このインチキ替え歌に関しては)再確認して戴きたい。・・・ここまで言えばもう勘付かれたことであろう:インチキ替え歌でない忠岑の歌の方では、実は、「霞」がかかっていないのである。そこのところに気付かなければ、所詮「それほどの」でしかない、ということになる。
 では、ここから肝心の「上品上」の忠岑歌そのものを相手にして、その「まことに名歌たること」の合点作業に入ろう。その前に、一つ、実際の忠岑歌には付随していなかった(これまた筆者自作の)「詞書」を添えておくことにしよう(・・・そうでもしなければ、この歌、現代人にはまず読み解けないであろうから):
曰く、「春立ちける日よめる」
 ・・・忠岑歌の「春立つといふばかりにや」の部分の解釈には、この暦法上の理解が必須条件となるのだ;が、実際の忠岑の歌にはこの添え書きはない・・・が、たとえなくても、この歌が『拾遺集』の「春」の部の「第一首」であることから、当時の歌人達は誰もがこの「見えない詞書」の存在を意識したである:『古今集』・『後撰集』と続いた勅撰和歌集の冒頭には、いずれも「立春の日の詠歌」が置かれていたからである。以下にそれらを引用してみよう:
古今集』巻第一・春歌上・二・・・「春たちける日よめる」紀貫之
 袖ひぢてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ
 夏の暑い盛りに、袖を濡らしてって飲んだ、あの川(なり、池なり泉なり)の水は、冬の間は凍っていただろうが、立春を迎えた今日にはもう、春風が吹いてその氷を溶かしているだろうか?
後撰集』巻第一・春上・二・・・「春立つ日よめる」凡河内躬恒
 春立つと聞きつるからに春日山あへぬ雪の花と見ゆらん
 今日が立春、暦の上ではもう春だと予め聞いていたせいだろうか、春日山に未だ消えもせず残っている冬の雪が、まるで春の花のように見えるのは?
 ・・・貫之・躬恒と続いて、紀友則を加えればめでたく「古今集撰者揃い踏み」となるところ・・・このような先発二集の出だしを踏まえたなら、第三の勅撰集『拾遺和歌集』巻一・春・一を飾る巻頭歌の忠岑の歌の「春立つ」を見た瞬間に(明記されてはいないものの)「立春の詠歌」という背景が浮かんで来る程度の季節感(あるいは、歌学上の心得)がなければ、その読み手は「それほどの」でしかない、ということになる。
 二十四節気の中でも、「大寒」とそれに続く「立春」の間は一年中で一番寒い季節である。現代日本人が用いる太陽暦で言えば、「立春」は二月初頭(大体2/4頃)・・・この時期に「春霞」が立つ訳がない。それなのに忠岑歌の第四・五句は「山も霞みて今朝は見ゆらん」と詠んでいる・・・当然、「霞」ならざる何かを「霞」に見立てているのである。それは何か?・・・上に紹介した『後撰集』の躬恒の歌を見た後でなら、答えを間違う者はもはやおるまい:「雪」が正解である。躬恒と忠岑と、どちらが先かは知らないが、いずれにせよその題意はまったく同じで、<「冬の風物たる雪」が「春の風物たる花・霞」と同じに見える・・・のは、今日が「暦の上ではすでに"春"/現実の風景はまだ"冬"」という「立春」だから>というパターン化された詠歌様式(mannerism・・・和風に読めば、マンネリ)にった歌なのである。
 こうして述べてしまえば、この忠岑歌も、歌学上のお約束にちゃっかり乗っかっただけの勢いで詠んだ凡庸な歌に感じられるかもしれない。が、忠岑歌が躬恒のそれより優れている点は、躬恒が「春日山」(春)・「あへぬ雪」(冬)・「花」(春)と、「春と冬との混在」という状況をしつこいばかりに言い立てて、この<二つの季節の狭間のどっちつかずの面白さ>を言葉の上で目立たせようとしているのに対し、忠岑は「み吉野の山も霞みて」としか言っていないところ・・・これが、実に、素晴らしい。奥ゆかしさの究極芸とも言うべき忠岑歌の真骨頂、と誉め讃えたくなる表現である。どこがそんなに素晴らしく誉めるべきところか、まだよく解らぬ人々の方が多かろうから、(ここまでの解題と重複するのを承知で)以下に改めて説き明かして、「まことに名歌たること」に合点がゆくようにしてみようか:
 歌学上の約束事(所謂「季語」)で割り切ってしまえば、「霞」は「春」に属するもの・・・だが、この歌の「霞」は「実際の春」には程遠い「名ばかりの春」である「立春」に見える「仮想"霞"」である・・・から、この「霞」は、現実には、存在せず、「霞」に似た「何か白いもの」が、「み吉野の山」の上に見えるばかりである・・・「吉野の山」と言えば「桜」と「雪」の「歌枕」・・・その山を覆う「"霞"めいた白いもの」とは何か?・・・「太陽暦でいう2月4日頃の山にある白いもの」と割り切れば、答えは「雪」である(・・・ここまでの理解が、定家言うところの「その歌が合点がゆけば、それほどのなり」)・・・が、「み吉野の山」に見える「白いもの」を、「雪!それ以外あり得ない!」と、決め付けてしまってよいものか?ここはあの「吉野」なのである;「桜!それ以外あり得ない!」と思ってよく見たら、「花見」のつもりが「雪見」になってしまっていたという旅人も、古来、大勢いるという「雪と花の歌枕」なのである・・・そして季節は「冬、でもあり、春、でもある」"立春"である・・・機械的な暦法上の方程式だけで割り出した「2/4に桜が咲くわけないじゃん!だから雪!それ以外あり得ない!」という解で、本当にそれで、よいのだろうか?・・・躬恒が「春日山/雪/花」と季節の名詞・代名詞を並べ立てたところを、忠岑が「霞み(それも、本物じゃないやつ)」という表現で曖昧に季節感を霞ませた真意は、「吉野の山の白いもの・・・雪、でしょうか、桜、でしょうか・・・どちらもいいですねえ、だって"吉野"だもの・・・どちらでもいいですねえ、だって、立春、"冬と春との分岐点"だもの」というあたりにあるのではないか?それを感じ取れずに、どちらか一方に正解を決め付けてしまう歌読みは、が小さすぎるというものではないのか?春の桜も冬の雪も、双方併せ呑むほどのの大きさがなければ、真の歌読み/歌詠みとは言えないのではないのか?
 ・・・という次第。「吉野の里に降れる白雪」の歌に於ける(本来饒舌な技巧歌人の)坂上是則の慎み深い修辞といい、「み吉野の山も霞みて今朝は見ゆらん」に見る壬生忠岑の(毎度お馴染みの)言葉の奥底に宿した知る人ぞ知る歌の真意といい、芸術は、対象そのもののが深ければ、芸術家が小手先や言葉でウルサく飾り立てたり言い立てたりする必要などない(、うるさくしてはならない)ものなのである。躬恒には気の毒な言い方だが(ここに紹介した歌に関する限り)彼のは単なる「詩人が調子に乗って演じた知的な言語遊戯」、同じ題意でも、忠岑のこそ真の芸術品。その違いを実感して戴けたなら、この筆者の解題も、まぁ「ほどほどの」・「上品下」ぐらいの誉め言葉を以て自讃させてもらってもよかろう、と思う(・・・この筆者はうるさいくらい饒舌だが、散文執筆に於いてはそれでそれが、よいのである)。

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