百一033解題)久方の光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ

久方の光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ
『古今集』春下・八四(紀友則:きのとものり)(男性)

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解題

 『小倉百人一首』の人気投票をしたらベスト3入選は確実、かなり高い確率で第一位を取れる歌、そう断言できると思います。何でそんなに好かれるのか、検証するつもりでこの歌を解剖してみましょうか。
 「久方の光のどけき春の日に」・・・この部分だけでもう、音感的に、この歌の成功は決まったようなもの。だって、「ひ・・・ひ・・・は・・・ひ」ですよー(字で書くと酔っ払い虚ろな笑いみたいだけど・・・)春の日に相応しいこの優しい響き、これ以上ない滑り出しだと思いません?個人的には私、この上の句をみるといつでも浮かんでくるメロディーがあります:The Beatlesの(というか、今は亡きGeorge Harrisonがビートルズのレコーディングセッションの合間に親友Eric Claptonのおうちの庭でインスピレーションを得たという)"Here Comes The Sun(1969)"のイントロのアコースティック・ギター・・・あの優しい弦の響きが、この歌の「光のどけき春の日」にオーバーラップして聞こえてくるんです・・・曲や話芸のアタマの部分を業界用語で「ツカミ」って言うけど、この和歌も"ヒア・カムズ・ザ・サン"も、「短い出だしの魔法の魅力で聞き手の心をむ歌」の名作だと思います。
 そんな、ゆったり流れる春の優しい時間と光に包まれて、誰もが心安らかに過ごす中、「静心なく」桜の花だけが、散るんです・・・ほんとは春一番の人気者なのに、もっとゆっくり見ていたいのに、無数の桜の花びらたちは、まるで「われ先に!」と競い合うかのように、切なく慌ただしい春の雪となって、惜しみ見送る人々の目の前を、せっせ、せっせと散って行くのです・・・そんなに急ぐ必要がどこにあるの?と、心優しい詩人は花に問い掛けます・・・いいえ、花には直接聞きません:聞いても答えてくれなさそうなぐらい、みんな散るのに忙しそうだし、それに、きっと「答え」なんて、何もないのだから・・・「咲いたら、散る」ただそれだけが桜の(そしておそらくすべての生き物の)自然なの成り行きなのだろうから・・・そう考えるとこれは、何も、桜花だけに向けるべき問いでもない・・・人間だって、きっと・・・あまり深入りするとこわいから、詩人の問い掛けは、さほど真剣な響きを帯びてはいません:けれども、なかったことにもできない疑問だから、誰に言うともなく、詩人はつぶやきます・・・「なぜ、散るのかなあ・・・そんなに急いで生きて、慌ただしくさよなら言って・・・もっとゆったりしては、いられないのかなぁ」・・・
 せっかちな桜花には向けられない自問の形(・・・自答は、ありません)で終わる「しづ心なく花の散るらむ」は、上の句ののどかさとは対照的な寂しさを宿しています。表面的にはそれは「万事が長閑な春の日に、唯一はかない桜花の散り様」を、のどかに生きる者の側からめる悠長な「哀れみ」の感覚です・・・けど、その言葉の響きの奥には、傍観者・第三者としていつまでも「散る」ことと無縁ではいられない、いつかは散り行く生身の我が身に、やがては跳ね返ってくる遠く切ないこだまが、込められているのかもしれません・・・聞き耳立てて、実際聞こえちゃったらいやだろうから、優しい詩人はただぼそぼそと、あまり大きな声では言ってませんけど、ね。祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きのようには、「世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞなくなる」(第83番歌)の藤原俊成の慨嘆ほどには、正面きって哀調の音色を奏でることはしないけれど、優しくて、やがて切ないこの響き・・・この歌の終わりにも、"Here Comes The Sun"の曲の終わりに似た「あぁ、終わっちゃうんだよねぇ、どんなに素敵なひとときも・・・(ビートルズも、このアビー・ロードで、解散しちゃったんだよねえ・・・)」の、曲調はメージャーなのにひどくマイナーな、聞き手の心が生み出す不思議な転調が、エコーのように響きます・・・"All good things must come to an end"・・・"All Things Must Pass"(ジョージ・ハリスンのアルバムタイトル)・・・いいものも、いい人も、いつかはみんな、いっちゃうんです・・・終わって行くものたちを、まだ終わらずにいるこちら側から、それでも自分のことのように、切なく見送る共感の姿勢が、やがては死に行く運命を背負った全ての人間たちの感性に、しっとり、しんなり、訴える:その傍観者的当事者の目線が、この歌を「すべての人々の心の歌」として、いつの時代にも人気者にしているのでしょう。・・・
 ・・・なーんて、ちょっぴりしんみりしすぎた後は、ちゃっかり文法・修辞法のお勉強用にこの歌を使っちゃうことにしましょうか。
 「ひさかたの」は上代からある「枕詞」だけど、実は語義未詳。何の意味かはわからないのに、その掛かる先の語句だけは決まっていて、「お空」関係だと「天/雨/空/月/星/雲/日/光」に懸かり、「天下」絡みでは「都」に掛かる限定修飾語。このように、「枕詞」はある一定の語にのみ掛かる語(その意味では「形容詞」)で、中古以降は殆ど生まれず、その大部分は上代(奈良時代ぐらいまで)に既に出来上がっていた「五音の一句」。和歌が隆盛し始める『古今集』時代にはもう既にその語源も語義もわからなくなっていたものも多いけれど、定型句として「Aと言えばB」みたいな相関図だけは(古歌の中に)残っていたので、相変わらず使われ続け、その意味不明性が神秘的な呪文みたいな響きも帯びていたので、そこが「枕詞」の魅力にもなりました・・・あれ、これはむしろ逆かな?・・・そうした魔力をこそその主たる効用にしていた文言だったのかもしれませんね、何せ「言霊(=言葉に宿る霊力)」が信じられていたという上代生まれの語なのだから・・・まぁ、いずれにせよ、現代の受験生にとっては「AといえばB」のその相関関係を公式的に丸暗記せねばならぬ、単に厄介なだけの言葉のペアでしかないかもしれませんが・・・。
 この歌で文法的にもう一つ重要なのは、「静心なく花の散る+らむ」の末尾にある疑問助動詞「らむ」が、文中には直接表現されていない疑問詞「など/などか=何故・why?」と呼応して「落ち着いた心持ちもなく花が散る+のだろうか?」だけではなく「何故+落ち着いた心持ちもなく花が散る+のだろうか?」という補足解釈を要求する特殊な用法であるということ(見えなくても「疑問詞対応」なので、この「らむ」は「連体形係り結び」になっています)。織り込める文字数に制約がある歌の中では、こうした「本来ならばなくてはおかしい語句」が、省略されたり、縮約されたりする例が多いので、和歌もろとも、生きた用例として覚えておくことをお勧めします(この用法は、また、和歌から飛び火する形で、散文にもよく用いられました・・・ってことは、試験によく出るってことでもありますヨ)。
 この歌の作者は紀友則さん。紀貫之さんの従兄にあたります。言わずと知れた日本初の勅撰和歌集『古今集』(905)の四人の編者の一人で、入集46首は貫之(105)・凡河内躬恒(62)に次ぐ第三位(・・・第四位は37首同着で同じく撰者の壬生忠岑と、非撰者で「僧正遍昭」の息子の素性法師)。官位が低かったのは他の編者たちと同様ですが、彼はその『古今集』が世に出る前に亡くなったらしいです。生没年は不詳・・・寂しい話で、優しく漂う諸行無常を感性細やかに詠んだこの33番歌を読んだ後には、その哀調もひとしおです。生没年不詳なのに「この集が世に出る前に死んだらしい」とわかるのは、『古今集』巻第一六・哀傷歌の八三八と八三九に、紀貫之壬生忠岑の「紀友則身まかりにける時よめる」という追悼の歌が並んでいるからです(・・・躬恒さんだけ哀悼歌がないのが気になると言えば気になりますが、事情も色々あったのでしょうから、別にこれを以て友則さんと躬恒さんは仲良しではなかったのだろう、とか勘繰るのはいびつな想像でしょう)。貫之・忠岑から友則への別れの言葉は、次のようなものでした:
 あすしらぬわが身と思へど暮れぬまのけふは人こそかなしかりけれ 紀貫之
 明日はどうなるか知れぬ無常の世を生きているのは、この私自身とて同じこと。人の死は、いつだって突然に訪れるもの・・・とは解っているつもりだけれど、それでもやはり日暮れまでとっぷりと照る夕陽のように、天寿をたっぷりと全うした後の大往生でもない死に方で、唐突にこの世を去ってしまったあの人の身の上を思うと、まだ生きてこの世にある今の私は悲しい気持ちを抑えることができない。
 ・・・「暮れぬの今日」は、「貫之自身がまだ"人生の暮れ時=死"の向こう側に行ってはいない(=自分はまだ存命である)現在」を意味すると同時に、「人生の暮れ時とも言うべき長寿の年齢に達する前に、早死にしてしまった友則、を追悼する今日」をも示唆しているように思われます;それに加えて、『古今集』が世に出るのを見ることも出来ずに死んだその無念をも、思いやっているのでしょう。
 ・・・この歌の前半部の「自分とて死とは無縁の存在ではない」→「のだから、他人の死を、殊更に驚いたり悲しんだりすべきではない(どうせいつかはみんな行く道なのだから)」というくだりには、仏教の無常観がよく説くすり替え論法的な「死への恐怖の克服法」の受け売りみたいな響きがあります;が、貫之は、そうした乾涸らび説法味気なさを、最も強く感じるタイプの人(=詩人)なのですから、一応お行儀良く(詩的魅力には欠ける)仏教的お悔やみ文句を並べた後で、第四・五句では「詩人・個人」としての紀貫之に戻って、生身の感情をストレートに表出しています・・・理知的な古今調の代表的歌人である貫之の歌の中の「かなしかりけれ」は、普通の重みじゃ、ありません。この直情的な言葉の響きは、友則さんにとって、千万言の追悼文句よりも、重かったでしょう。
 時しもあれ秋やは人のわかるべきあるを見るだにこひしきものを 壬生忠岑
 よりにもよって秋にこの世を去るなんて。生きてこの世にある人に対してさえ、恋しさがるこの秋に、あの人が亡くなってしまうだなんて、それはないですよ。
 ・・・技巧派歌人の忠岑なので、ここでも「悲しい、ただひたすら悲しい」とは詠まずに「ひどいにもほどがありますよ、生きてる人にも恋しくて無性に会いたくなる秋なのに、今生の別れでもう会えない旅立ちに、秋を選ぶだなんて、そんなのアリですか、友則さん!?」と、変化球を投げています。「悲し」を出す代わりに「恋し」を出し、裏返しの気持ちとして「悲し」を読み取ってもらおうとする・・・忠岑らしい訴え方ですよね・・・人によってはこういうのを嫌うかもしれません ― 「亡き人こそが主役なのだから、そこに技巧派詩人の""を出すなよなー」と。でも、忠岑さんのそうした歌人としての(いいえ、たぶん、個人としての)性格を、友則さんはよーく知っていたはず・・・だから、ここはやはりストレートでないこの詠みぶりが、彼に相応しい手向けの言葉になっていると思います。
 詩人の追悼は、やはり、味があるものですね・・・というか、独自の味を相手に感じて受け入れてもらえるほどに、自らの個性を磨いて、極めて、認めてもらうのが芸術家の仕事、ということでしょうか。私達も、いかにも自分らしいやり方で、人への哀悼を捧げられるようにならないといけない・・・って、あらら、なんて縁起の悪い、そうじゃなくって、人に思いを伝える時に、個性的なやり方をして相手に「にこっ」としてもらえるように生きなきゃいけない、って、そういうお話でした。
 33番歌は、桜の花の季節になると、多くの人が思い出し、口ずさみたくなる歌ですが、思い出されるそのたびごとに、歌人紀友則もよみがえり、散りゆくものを悼むのでしょうね・・・自分は千年も昔にあっちへ行ってしまった人なのに、今度は、あっちの世界から、もしかしたらこの世より遙かにずっと「光のどけき」優しい時間が流れているかもしれないところから、「静心なき」現世の我々を、傍観者的共感の溜息をつきながら、見つめているのかもしれません・・・。

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