百一034解題)誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに

誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに
『古今集』雑上・九〇九(藤原興風:ふぢはらのおきかぜ)(男性)

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解題

 冒頭部「誰をかも知る人にせむ」には、古語の常として、「主語」と「目的語」が欠落している。補って書けば「"我は"誰をかも"我を"知る人にせむ=私は、誰のことを、私を知る友人にしたらよいのだろうか?」である。
 こういう自問をするからには、この人には「私を知る友人」が、いないのである。何故いないのか?性格が悪いから友達ができないのか?転校・入社・引っ越しetc.して来たばかりの新参者だからか?答えは「長生きし過ぎて、昔からの知り合いはみんな死んでしまって、今では生き残っているのはこの私一人だから」である。
 "老境の孤独"?そんなことが、この歌のどこに書いてあるのか?・・・書いてはいない。ただ、感じさせているだけである:「高砂の松=播磨の国(兵庫県)の高砂神社の境内に昔からある相生の松」という"長寿の象徴"の「歌枕」を通して。「あの高砂の松も、随分と長生きしていることで有名だ・・・あいつと私は、似たものどうしだなあ・・・なら、あいつのことを"私を知る友人"にしようか?・・・ふっ、それも駄目だな:長く生きているといったって、あいつは"私の昔からの友人"ではないのだから。ただ"私と同様、ずいぶん昔から生きている"という共通性以外、私とあの松の間には、何もないのだから」("ならなくに"は"ではないというのに"の逆接表現。"友なら亡くに"や"友なら泣くに"などと錯覚せぬように)
 ・・・という形で、長生きしたばかりに、一人取り残されて味わう"老境の孤独"を、直接の言葉ならぬ象徴的イメージとして凝縮的に表現する和歌お得意の含蓄語法として働くこの「高砂の松」は、「歌枕」の効用の好個の例と言えるであろう。
 「歌枕」の原義(平安中期まで)は、「歌によく詠み込まれる言葉や、ある言葉に付き物の形容詞的修飾語(枕詞)や、昔の歌に詠み込まれた場所・物事・出来事等の名や、その名を引き合いに出すことでし出される情趣・経緯・・・の解説本」である。"枕"の名が示す通り、<大部分が既に上代に確定していて中古には既にその語源も語義も不詳になっていたものも多かった「枕詞」なる不可思議な形容詞的修飾語がどんな特定の名詞に掛かるものかを示す>のを初めとした「歌人のための手引書」という色彩のものであり、"枕詞"のみに留まらず、古歌に詠まれたことにより、以降、ある種の連想を伴うようになった特定の言葉と、それにまつわる連想の絡繰りを、自分が新たに作る歌の背景事情という"隠し味"に織り込ませてもらうための「言葉の料理人たる歌人のためのレシピ本」=「歌枕」だったのだ・・・が、平安中期以降、この語は、「よく歌の舞台になる地名」の意味のみに局限して用いられるようになってしまった。現代人が用いる「歌枕」もまた「和歌で有名な名所」の語義のみである。が、原義に忠実な「歌枕」は、「場所」のみならず「物事」も「出来事」も含むものであるし、それらの「言葉がし出す情趣や背景にある意味・脈絡」の方こそが、真に重要な「歌枕」なのである。・・・この解題集に於ける「歌枕」も、歌学的に意味のある「歌の含みとしての"歌枕"」で用いる例の方が、当然、多い:"名"のみ挙げても意味はなく、その"名"の含む""にこそ意味がある以上、見かけの看板よりも含蓄の方に言及する形での「歌枕」の多用は、解説本には当然のこと:読者も、そのつもりで本解題の「歌枕」にはお付き合い願いたい。
 「歌枕」の効用の解説ついでに、この第34番歌の<初句・二句>のみ流用させてもらって、後続部の枕を付け替えさせてもらうことで、歌意がどのように変わってくるか、実際試してみることにしよう。
 まずは、現存する日本最古の和歌集『万葉集』(759頃)に収められた、上の句下の句ともに「五七七・五七七」という「旋頭歌」に詠み込まれた、いにしえの修行僧独白を継ぎ足してみようか:
 元歌:「白玉は人に知らえず知らずともよし知らずともし知れらば知らずともよし」『万葉集』六・一〇一八・旋頭歌元興寺僧
 素晴らしき真珠も、その真価を誰にも知ってもらえない・・・が、知らなくてもよい;自分自身さえ知っていれば、他人に知られずとも、それでよい。(「知ら"え"ず」の"え"は上代助動詞"ゆ"の未然形で「受身」を表わす)
 別枕:<誰をかも知る人にせむ>・・・我知れど人に知らえぬこの白玉は
 <私はこういう人物なのだ、と、いったい誰に知ってもらったらいいのか?>自分一人だけ知っていて、誰にも知ってもらえない、孤独に輝く真珠のようなこの身を、知ってもらえる人はどこにいるのだろうか?
 ・・・"老境の孤独"が、"孤高の慨嘆"にすり替わった。
 次は、『伊勢物語』(10世紀初頭に成立)の中でも最も著名なエピソードの一つ、「か・き・つ・ば・た」の五文字を各句の頭に詠み込んだ「隠し題(折り句)」と呼ばれる趣向を凝らした、在原業平の、故郷に残してきた妻をぶ歌を枕にしてみよう:
 元歌:「唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ」『古今集羈旅・四一〇・在原業平
 絢爛豪華な中国衣裳、それを着るのが当たり前、そばに居るのも当たり前・・・そうまで慣れ親しんだ妻がありながら、彼女を都に一人残して、遙々来てしまったこの旅の、寂しい長さをつくづく思う・・・恋しい彼女をしみじみ思う。
 別枕:<誰をかも知る人にせむ>・・・唐衣きつつなれにし妻しなければ
 <私は、誰と愛し合ったらいいのか?>異国情緒の美しい衣裳を着せつつ長年連れ添った妻もいない、男やもめのこの私は?
 ・・・今度の枕には、愛しい妻の残り香が漂うだけに、何とも艶っぽい夢想が浮かぶ歌へと変わってしまった。"知る"の意味も"異性との間で肉体関係を持つ"の語義に化け、"妻と死別した男の、新たな伴侶を求める愛欲の歌"、あるいは"あれほど愛した妻以外の、いったい誰と関係を持ったりしようか?いや、もう誰とも再婚しない!という決意宣言"、はたまた"こんなに長年独身を続けてきた駄目な俺じゃあ、恋人になってくれる女なんているわけないよ・・・という、しがないヤモメ男の独り言"、いずれとも取れる内容に化けてしまった・・・何にせよ、"老境の孤独"という元歌の情趣からは、はるばる離れてしまったものだ。
 枕一つ替わっただけで、随分と違った夢が見られるものであろう?これだけ違った夢が見られる魔法の枕なら、幾つも抱えて和歌の旅に出る方が、気が利いていよう?「歌枕」とは魔法のフォーミュラ、知らずに読んだら魔法は効かない、和歌を引き立てる隠し味のスパイス・・・よくよく踏まえておくに、如くはない
 「歌枕」の付け替えによる元歌改変で随分と遊んでしまったが、オマケにもう一つ、「助詞」の改変でこの歌がどう変わってくるか、試してみるのも面白かろう:
 元歌改変:<誰"かをも"{知る人にせむ}高砂の松>も昔の友ならなくに
 元歌の「誰をかも知る人にせむ」は、「私は、誰を、私を知る友人にしたらよいのだろうか?」の疑問文であった。それをここでは「誰"か""を"も知る人」に変換してある。ここでもやはり「主語」が欠落している:補えば「"我が"誰かをも知る人」となる。「私が何者であるか、を、知る友人」に「せむ=してやろう」として「高砂の松」に掛かるこの部分の意味は、「{私がどんな人物であるかを知る友人}にしてやろうと私が目論んでいるあの<高砂の松>」という入り組んだものとなる。これが後続部「・・・も昔の友ならなくに」とつながると、「あの<高砂の松>を、私の正体を知る友人にしてやろう、と私は思っているのだ・・・もっとも、その<高砂の松>とて、<私の昔からの友人>という訳ではないのだけれどもね」という錯綜的逆接構造の出来上がりである。
 これはこれで、なかなか面白い趣向の歌にはなろう。"老境"という「歌枕」はそのまま引き継ぎつつ、「高砂の松を我が友にしようと思う」という部分に表われた積極的な友達作りの情熱は、老いにめげずに人生を楽しもうとする老人の心意気を感じさせていて、心地よい;そうして張り切りながらも、最後にはぽつりと「・・・でも、やっぱり、本物の旧友ではないので、物足りないし、寂しいのだけれどね」というボヤキも出て、張り切らないことには張りをなくしてこのまま一気にしぼんでしまいそうだから、必死に頑張っている、という"老境の健気さ"がしんみり漂ってきて、元歌の"老境の孤独"とはまた違った趣の歌になっている。
 如何であろう、替え歌を三つほど作って遊んでみたが、部分的付け替え一つで歌の情趣ががらりと変わる面白さを、感じ取って戴けたであろうか?それが感じ取れたなら、もう一歩進んで、この手軽な独創の面白味の誘惑が、例の、「本歌取り」につながる動機になる、という感覚的理解にも結び付けておくと、ただ遊んだだけではなく、歌学の勉強もしたことになる。
 この歌の作者藤原興風は、和歌以外に管弦の道でも知られた風流人。900年に相模掾、904年に上野権大掾、914年に上総権大掾、最終官位は正六位上・治部少丞、という人であるから、古今集時代の現役地方官(官位の低さも古今歌人の御多分に漏れない)。『古今和歌集』(905)には十七首入集。この数は「六歌仙」の一人「僧正遍昭」と並ぶ。もっとも、『古今集』の場合、単純な入集数をもってその歌人の優劣の判断材料とはし難い事情がある:当代歌人の歌が、極めて重視されていた和歌集だからである。というよりむしろ、『古今集』以前の歌(『万葉集』以降の歌)には、編者達(紀貫之紀友則凡河内躬恒壬生忠岑)の理想にう歌があまり多くなかった(有り体に言えば、直情径行型の恋歌が多すぎた)ために、当代歌人の歌を多数編入せざるを得ず、それでも全然足りなかったので、仕方なく編者四人の作品で全体の四分の一近くを埋めざるを得なかった、という特殊事情を考慮に入れ、『古今集』時代に現役だった歌人のものならば秀歌ならずとも入集しているものが少なくない、という事実を忘れてはならないのである。
 そうした差引勘定の物差しに照らしてなお、この藤原興風は、古今時代を代表する歌人であると断言してよい。少なくとも、『古今集』に入集している彼の歌には、ハズレが一首もない。歌風は理知的、言葉遊びの色の濃い歌も多いのは正調「古今調」と言えるが、言葉だけが空回りする虚しい風情はない。この集の優れた特色を知るに、最も適切な指標となる歌人の一人であろう。
 この解題も、"老境の孤独"とその替え歌のみで終えられてしまっては、興風としても不本意であろうから、最後にもう一つ、艶っぽい彼の詠歌をも紹介して結びとしよう:
 君こふる涙のにみちぬればみをつくしとぞ我はなりぬる(恋二・五六七)
 あなた恋しさに流す涙で、独り寝の床が海のように泣き濡れてしまい、さながら私はその思いの海の底に沈む澪標("水脈"=水路指示用に打ち込まれた)・・・この身を恋慕に焦がし尽くしながら、それでもあなたを忘れられずにいる私なのです。

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