百一050解題)君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな

君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな
『後拾遺集』恋二・六六九(藤原義孝:ふぢはらのよしたか)(男性)

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解題

 一人ぼっちの時には、大した重みを感じなかった自分の存在。誰かに出会って、その人のことを心底思うようになると、しがない自分の人生なんて、軽ーくその人のためだけに全部捧げてしまえる気分になる・・・だって、一人じゃ重みがないんだもの。
 そうして、想いがって、その人と結ばれて二人で歩むようになると、途端に重みが増す不思議・・・いや、不思議でも何でもないか、今まではゼロだったものが、いきなりダブルにアップするのだから・・・で、途端に失うのが惜しくなる:重ーい自分の生命も、大事な二人の人生も。
 人は、そうして、人生を、生命を、しむことを知るのでしょう。
 自分の存在が軽すぎて、もう嫌、こんなの投げ出したい、と思う時は、投げ出した自分の人生を受け止めてくれる誰かを探しましょう。その人が、きっと、あなたを生かしてくれる人、生きているって幸せだな、と思わせてくれる人だろうから。
 「命」を巡る形容詞成文の錯綜(共通)構造がこの歌の生命力となっています。「(たとえ無意味に散らしても)惜しからざりし命」と投げ遣りに生きていた人が、恋をして、「(この人のために捨てるのなら)惜しからざりし命」と思うようになり、やがてその恋が成就して「(この人と一緒に暮らす幸せな)命」なら「長くもがな(長続きしますように)」と、命を愛おしむようになる・・・図式で書くと矛盾しているようだけど、命懸けのひたむきさで何かに向かった後で、改めて命の重さを感じることって、いろいろあると思います。最初から後生大事に抱え込んで長持ちさせることだけ考えている命には、決して宿らぬ真剣な重みを、一度は捨ててかかった命が長らえた先の人生の中に、見事に宿している人って、やはり魅力的・・・でしょう?
 その魅力的な歌を詠んだ藤原義孝という人、現実には、21歳の若さで死んでしまいます。死因は天然痘。美貌で知られた貴公子で、天然痘で顔に醜い傷跡ができたのを苦に自殺した、との説もあります(・・・この歌を見た後では信じたくない風説ですけど)。『大鏡』によれば、朝には兄の藤原挙賢が同じく天然痘で死に、同じ日の夕方に弟義孝が死んだそうです。彼らの父は藤原伊尹(45番歌「あはれとも言ふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな」の作者)で、彼らの死の2年前に死んでいます。
 こんな若さで死んで、この素敵な歌だけが後の世への忘れ形見?と思うと哀しい気持ちになりますが、義孝さん、ちゃんと一人息子をしていまして、その人の名は藤原行成。当代屈指の能筆家として、小野道風藤原佐理と並ぶ「三蹟」の一人に数えられ、日本文芸史に燦然たる名を残しています・・・なんか、ほっとしますね・・・あ、一番気になる人を紹介し忘れてました:義孝さんの奥様は「源保光女」・・・彼女がこの歌の「君」か否かは、各人の想像に委ねるしかないのですが・・・。

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