百一051解題)かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを

かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを
『後拾遺集』恋一・六一二(藤原実方朝臣:ふぢはらのさねかたあそん)(男性)

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解題

 「斯く=かくかくしかじか、実は~なんです」だなんて、「えやはいふべき(いぶき)=どうして言えるものか、言えはしない」、そんな私の「燃ゆる思ひ=燃え上がる恋の炎」を、肝心のあなたは「然しも知らじな・・・そうなっているとは、御存知ないでしょうね」・・・と、そういう歌です。
 意味だけ書いちゃえば、なんともベタな恋の歌。まぁ、ラブレターなんてみんな煎じ詰めれば「わたしはあなたが好きです!」なんだから、当たり前っていえばあたりまえなんだけど、それをストレートに言わずに相手にスイートに訴えるためにあれこれ工夫を凝らすのが恋文の味・・・なのに、この歌が頼る工夫といったら「掛詞縁語」、現代風に言っちゃえば「ダジャレ」(もっと侮蔑調で突っ放せば「オヤジギャグ」)。
 「えやは言ふべき」に引っ掛かってる「伊吹(山)」の名産「指焼草(さしもぐさ)」(お灸に使う)は「然しも(さしも)=そのようには」を引っ張り出すと同時に「燃ゆる思ひ」の"ひ"に強引に"火"をつけて「燃え/火」の縁語となって「さしも草」にバックファイアーで引火する、という仕掛け・・・バチ バチ バチ ...プッシューん。
 和歌としては(というか、和歌の修辞法の例文としては)こういうのもアリ、なんでしょうけど、ラブレターとしてこんなのもらっちゃったら、どうですかぁー?(実際、この歌の「詞書」は「女に初めてつかはしける」だけど)・・・わたしならスーッと引いちゃう。ストレートな告白じゃなきゃだめ、ってことはないけど、こんなにも「あっち向いてホイ!」みたいなヨソ見目線のはぐらかしコトバの混入密度が濃すぎると、愛情はその分薄いんじゃないかしら、って気がして、いや。ポイ。さよなら、って感じ。・・・たとえば現代の日本で、『君と食ふ今宵の飯はスキヤ"キみ"。「タレ?」と聞かずに「ソースね」と言へ』(…COPYRIGHT fusau.com…)みたいなヘンテコ駄洒落歌詠み掛けられて、喜ぶ女性なんて、いるかしら?・・・時代がちがうんだから、一概には言えないけど、「言葉(or行動)の一人芝居で暴走しちゃう自己完結的な男性」って思われちゃったら、女性がついて来てくれないのは、いつの世も同じなんじゃないかな・・・。
 この歌の作者は藤原実方。実際、女性方面では、あっち向いてホイ、こっち向いてオイ、と、とぉーーっても忙しかった人で、二十数名の女性との愛人関係に日々いそしんでおられた殿方(らしいです、伝説だからアテにはならないけど)。あの紫式部と同時代の一条朝に仕えた宮人だったので、『源氏物語』のモテモテ主人公「光源氏」のモデルをこの実方に擬する人もいるけれど、ただ単に女出入りが多ければヒカルゲンジになれるってものでもないでしょうから、私ならこんな説は軽くスルーしちゃいますけどね。
 源氏の話はヨタ話として聞き流すとしても、この実方にはもう一つ、有名な伝説が残っています。
 恋をネタに技巧満載の一人遊び演じるこんな歌を得意気に女に贈ってるくらいだから、和歌の方面には相当の自信がおありの御仁だったらしく、折に触れて自慢の歌を詠んでは人々の喝采を受けていたこの実方サン、ある春の花見ので、いきなり降り出した雨の中、次のような歌を詠んでみせます: 
 桜狩り雨は降り来ぬ同じくは濡るとも花の陰に隠れむ(『拾遺集』(1006)春・五十)
 桜を愛でるために野に出てみれば、生憎雨が降って来た。(・・・訳者注:ここで、他の花見客の面々は、笠をさしたり、慌てて屋内に引っ込もうと駆け出したりするのですが、実方は一人悠然と、傘もささずにすたすたと、桜の樹のほうへと歩み寄ります。で、こう言い放つのです・・・)どうせ濡れるなら、桜の花の木陰に宿って濡れることにしよう。
 この歌は、その時の実方の悠然たる態度と共に語りぐさとなり、"風流人 藤原実方"の名声はいよいよ高まります。
 そんな中、この話を人づてに聞いた藤原行成という人がおりました。彼はあの50番歌(きみがためをしからざりしいのちさへながくもがなとおもひけるかな)作者(で、二十歳で若死にした)藤原義孝忘れ形見の一人息子、清少納言の62番歌(よをこめてとりのそらねははかるともよにあふさかのせきはゆるさじ)の詠歌のきっかけにもなった人で、当代随一能筆家"三蹟"の一人として「小野道風藤原佐理藤原行成」の形でしばしば引き合いに出され、時の最高権力者藤原道長に頼んで『往生要集』を貸してもらい、その写本を作ったところ、道長から「原本はあなたに差し上げるので、あなたの筆になる写本のほうをください」とおねだりされたというぐらいの書道の名人。実方遊び人系の風流人なら、こちら行成は実直型の文化人。生後すぐに父義孝が亡くなって家系が没落、母方の祖父(源保光)の養子同然になったりあれやこれやで、苦労の末に宮中の天皇お側近くにお仕えする立場に昇ってきた人だけあって、言うこともやることも真面目な人だったようです。そんな彼が、例の実方の雨中花見詠歌事情を聞いての一言が、これ:「歌は面白し。実方烏滸なり」・・・和歌の方は面白い。が、実方は馬鹿である(・・・訳者付記:"傘ぐらい、させばいいじゃん。じっさい雨降ってるんだからさ")。
 行成さんがこう言った、という話は、実方にも当然、伝わりました。それ以外にも、あれこれきっと、ソリが合わないどうしだったのでしょうか、ある時、ついに、実方は、宮中でこの行成と口論になり、アッタマきちゃった実方は、行成っていた冠をスッコーンと庭に吹っ飛ばしてしまいました。その時、行成、少しも慌てず、乱れた髪を指ででつけつつ、主殿司(宮中の消耗品管理係)を呼び寄せて冠を取ってこさせて頭に被りなおすと、実方に向かって理路整然と、「何故、こんなことをするのです?大勢の人々が見ている前で、私に恥をかせようとなさるあなたの御真意が、私にはまるでわかりません。その理由を聞かせていただいた上で、後日、改めて、私からのご返答をさしあげようと思います。」・・・あまりに冷静でクソマジメな行成の対応に、実方喧嘩腰もすーっと引けてしまい、シラけた彼はスタスタとその場を後にしてしまいました。
 この有り様を、宮中の物陰から見守っていた人物がおりました:ほかならぬ一条天皇その人です。彼は、行成の冷静な対応に感心してこれを蔵人頭(天皇に最も近いところでお仕えする側近中の側近)として昇進させる一方で、感情的な振る舞いに走った実方には、「お前は、陸奥歌枕でも見て参れ。」と、彼を宮中から追いやって閑職である陸奥守へと左遷してしまいます。日頃、自らの歌の才をひけらかしていい気になっていた実方に「歌枕見て参れ」は、痛烈な一言ですね・・・。
 結局、実方は、失意の都落ちの3年後、笠島道祖神前を、馬を下りずに馬上から見下ろしつつ通り過ぎようとしたところ、いきなり馬が引っ繰り返り、その下敷きになって呆気なく圧死した(神様の罰が当たった)・・・という伝説が残っています。時に西暦999年1月2日、享年は40歳前後(彼の生年が不明なので、死亡時の年齢はよくわからない)。
 以上の話には、例によって、無根拠な創作も含まれているです。どうせ伝説なので、その他諸々のヴァージョンもついでに紹介しておきましょうか。
曰く
1)行成実方のいさかいの原因は、清少納言をんでの恋の三角関係であった。
2)風流な実方は、五月の節句には家々の屋根に菖蒲を差す習慣がある京都にって、菖蒲の生えない陸奥では代わりに「(歌に知られた)浅香の沼の花かつみ」があるのだから、あれを屋根にけ、と命じ、以後、東北地方では五月の節句には「」を屋根に飾るようになった。
3)陸奥非業の死を遂げた実方は、亡霊となって夜な夜な京都の賀茂川の橋の下に出没した。
4)宮中に戻れずに死んだ無念さから、実方となって宮中に舞い戻り、殿上の間台盤の上の食べ物をついばんで食べた。
・・・亡霊やらスズメやら、随分な言われようですが、皮肉なもので、この悲劇によってこそ、後の日本文芸史の中で"実方"の名は、"一度の過ちで人生を踏み外し、辺境の地に没した悲運の文化人"として、新たなる「陸奥歌枕」となったのです。「笠嶋実方塚」は、鎌倉初期の西行も訪れ、江戸時代の松尾芭蕉も『奥のほそ道』に彼へのオマージュを捧げる(pay homage to Sanekata)文章を残しています。
 日本の伝説というのは残酷なもので、ひとたび地に落ちた人物を巡る話は、どこまでも底なしにちて行きます。どこまでが事実でどこからが虚構か、それはもとより、こうした話を巡ってはさしたる問題ではないでしょう:要は、「歌の才と華やかな女性遍歴に溺れて浮き足だったその足下をスッコーンとわれて引っくり返った風流人の哀れな末路」というのが、教訓話(・・・人間、才能があっても、あんまりいい気になってはいけないよ・・・)としては格好のネタになったからこそここまで流布した ― それが実方の伝説の本質だ、と割り切って受け止めればそれでよいのです。また、あの菅原道真太宰府遠流に代表される「貴人の都落ち」というものが、(原因の如何を問わず)日本人の同情心にはとってもよく訴える題材でもあった、ということを知るためにも、この実方伝説は格好の一例であると言えるでしょう。あ、あとついでに付け加えるならば、「恋の告白は変化球すぎちゃダメ」ってことも、この51番歌から得られる教訓の一つ、でしょうね。

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