百一060解題)大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立

大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立
『金葉集』雑上・五五〇(小式部内侍:こしきぶのないし)(女性)

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解題

 「大江山」に「生野」に「天橋立」と、関西方面の「歌枕」をふんだんに織り込み、「いくの」=「生野」/「行くの」の他に「ふみもみず」=「文も見ず」/「踏みもみず」の掛詞をもまぶしつつ、後者は「文→踏み」の形で「道」・「橋」との「縁語」を形成する、という豪華絢爛な修辞法のオンパレード。「大江山」は、実在の山だとしてもどの山を指すのかに諸説ありますが、意外にこれは「(学芸の家柄として有名な)大江氏」のことを指すのかもしれません:この歌はあの「和泉式部(実家が大江氏)」に縁のある歌なので。
 これは、天才歌人和泉式部が、最初の夫(橘道貞)との間にもうけた一人娘の小式部内侍の歌。彼女が、京の都の歌合せに出ることになった時、「(二番目・・・数え方によっては三番目・・・の夫である藤原保昌に従って丹後の国に下っていた)母の和泉式部が代詠するのでは?」と噂が立って、時の中納言の藤原定頼(和歌の大御所藤原公任の息子で、第64番歌「あさぼらけ・・・」の作者。当時、小式部内侍とは恋仲だった)が、「丹後のお母上からの使者はもう帰って来ましたか?」と冷やかしたところ、彼女が即興で詠んだのがこの歌、とされています・・・この話が真実だとしたら、母親譲りの「考えずとも口から出任せに名歌がすらすら出て来る言葉の魔術師」(by紫式部)ですし、たとえ事前に用意していた歌だとしても、傑作である点に変わりはありません。
 その才能を見込まれて、彼女もまた母の和泉式部同様、藤原道長の娘である中宮彰子後宮宮仕えに出ています。「小式部」という呼び名は、母である和泉の「式部」と区別するためのもので、言うなれば「ちびっ子和泉/和泉ジュニア」の感覚ですね。
 そんな小式部内侍、恋多き女としての男性遍歴でも母親譲りだったようで、藤原教通との間に男児、藤原範永との間に女児をけていますが、三人目の夫藤原公成との間に生まれた男児の出産の際に、二十八歳で落命してしまいます・・・四十八歳で娘に先立たれた母親和泉式部の哀傷歌は、次のようなものでした:
 とどめおきて誰をあはれと思ふらむ子はまさるらむ子はまさりけり
 「この世に置き去りにしてしまった多くの愛しい人たちの中で、あの娘はいったい、誰を一番痛切に想うのかしら・・・やはり我が子、でしょうね・・・私だって、一人娘を亡くした今、痛いほどよくわかるもの・・・やはり、子を思う親の愛情こそ、どんな愛よりも強いものだったのだわ、と。」
 「恋多き」母娘としての和泉式部小式部内侍という脈絡で読んでください・・・残酷なまでに波瀾万丈な彼女らの人生模様が、この歌をどれほど見事に盛り立てていることか。逆に、この歌のおかげで、見ようによっては醜聞まみれの彼女たちの恋愛遍歴が、どれほど見事な昇華を果たしていることか・・・これぞ文学、詩の美学です。
 あの世からこの世に未練を残しているであろう娘の思いが主役の前半部と、この世に残された母からあの世に旅立ってしまった娘へと注がれる和泉の哀惜の視線の後半部が、真正面から向き合い、静かに深く対話しているようなこの詩文構成の見事さは、その構造美が下手をすれば生身の感情の激しい哀しさを呑み込んでしまいそうなのに、そうはならずに美しく切ないのは、和泉が、頭で考える前に心が口をついて出て来る天性の詩人だったからこそ、でしょう。
 とにかく、すごい母娘・・・和泉式部小式部内侍のお話でした。

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