百一070解題)さびしさに宿を立ち出でてながむればいづこも同じ秋の夕暮れ

さびしさに宿を立ち出でてながむればいづこも同じ秋の夕暮れ
『後拾遺集』秋上・三三三(良暹法師:りゃうぜんほふし)(男性)

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解題

 翻訳する必要のない古歌というものが、たまにある。これなどまさにそれ。ただ、歌(というか、作者)の背景事情や絡繰りについて、いくらかの解説を加えておけば、少々味わいが変わってくる部分は、あるかもしれない。
 作者の名前は「良暹法師」。プロフィールとして伝わるものは不確かな風聞の域を出ないが、「後一条(68代)・後朱雀(69代)・後冷泉(70代)の治世の頃の、比叡山の僧」というあたりまでは信じてよさそうである。少なくとも、所謂「平安の宮人」ではなかったろう:雅びなる貴人の歌なら、「さびしさ」などとズケズケとは言わぬもの(「わび・さび」隆盛の鎌倉時代なら話は別だが)。平安期にあってこの種の感情語を歌に直接的に詠み込むのは、大抵、「世を捨てた出家者」なのである。
 「出家者とは、仏教の道を究めようとする者であり、世俗的欲望や感情との意志的絶縁宣言をした者である」という通念的解釈は、日本の古典と向き合う際には捨て去るべき先入観である。彼らは、日常生活の中では「世捨て人」の生き方を貫いている(あるいは、立場上、強いられている)かもしれない。が、人間たるもの、そうそう容易く「人の世」や「人の情」を捨て去ることなどできないのだから、どこかにハケ口が必要になる。その刷毛口が、「歌」だったのだ・・・であるから、日本の僧侶の歌は、「感情濃度」が異様に高い。
 この歌の法師は、「宿」の中に居た。古語の「宿」は、現代語のような「民宿・ホテル・旅先の一時宿泊施設」ではなく、「住み家」を表わす場合が多い。彼の場合もそうであろう:「いづこも同じ秋の夕暮れ」を見渡せる場所であるから、「山中に隠棲している世捨人の山小屋」のイメージあたりでよいであろう。が、先述した通り、世捨人とはいえ、感情を捨て切っている道理もないから、時には、独りぼっちの遁世の中には、居たたまれぬ気持ちにだって、なるであろう。
 そんな気持ちに急き立てられるようにして、粗末な小屋を出てみたけれど、あたり一面見渡してみても、彼が見たのは「いづこも同じ秋の夕暮れ」・・・秋は、木の葉の色付く季節であるから、紅葉の錦はまだだとしても、木々の色彩が「いづこも同じ」とは思えない。「同じ」なのは、だから、外界の色ではない;見る者の心の色が、目に映るものすべてを「同じように寂しそう」に見せるのである。
 これが「山」でなく「里」ならば、事情は随分違ってこよう。「寂しく孤独な我が心」に、響き合うように「あぁ、君もやっぱり、寂しいんだねえ・・・」という人や物ばかりでなく、「あーぁ、こいつは全然、寂しくなさそうだなあ・・・」とか、「おぅおぅ、こいつは全く、我が世の春を謳歌してやがるなぁー・・・」とかの、感情温度の凹凸が、人の数の多い町や都会には、どうしたって付き物なのだから。
 だからこそ、感情温度の高い人々のそばで、低温生活を強いられることは辛いから、僧や隠者は、山に逃げ込むのである。そうして逃げた山奥には、寂しい人しか住みはすまい;人里に居られぬ理由があって山中に暮らす、孤独な同胞ばかりがいるように思われる。感情を持たぬ"無情"の存在としての自然の景物は、見る者の心情に応じてその形を自在に変える心の鏡のようなもの・・・だから、「寂しさ」に追い出されるようにして宿を出たこの山奥の隠遁者が、見渡す限りの山々に見たものは、そこに投影された己れの心のままに、「いづこも同じ」寂しさに満ちた秋の夕暮れ以外、何もない。僅かに見られる人家さえも、彼同様の寂しさを抱えた人のものとしか、思えないのである。
 ただ、それだけの歌ではあるが、妙に心に残る歌でもある。結局、「寂しさなんて、いづこも同じ、誰しも同じ、いつの時代もみな同じ」ということなのであろう。

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