百一073解題)高砂の尾の上の桜咲きにけり外山の霞たたずもあらなむ

高砂の尾の上の桜咲きにけり外山の霞たたずもあらなむ
『後拾遺集』春上・一二〇(前中納言匡房:さきのちゅうなごんまさふさ)(男性)

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解題

 初句の「高砂」は、具体的な地名「播磨の国の高砂」にも見えるが、その「高砂」ならば「相生の松」で有名な歌枕であり、"桜"とは結び付かぬ上に、それが「尾の上(=尾根・山の背)」に咲いている、というのだから、"海・砂浜・松"という「(歌枕としての)高砂」のイメージからはますます遠ざかる。やはりこの「高砂」は一般的な「山」 ― 砂が積もって高く盛り上がった土地 ― の意と見てよいだろう。
 実際、この歌は(時の内大臣、藤原師通邸での)「遙かに山の桜を望む」の題詠であった。
 しかしそうなるとこの「高砂の尾の上の桜咲きにけり」なる上の句は、御題目「遙かに山の桜を望む」からまだ一歩も踏み出していない(・・・ように見える)。この後で何かりを加えないことには、歌会に同席した他の歌人達の失笑を買うばかりであろう・・・で、詠み手はこう続けた:「外山の霞立たたずもあらなむ」・・・その山よりこっち側にある別の山の霞が立たないでほしいものだ、と。・・・この第四・五句で、如何なる情景・興趣が加わったことになるのか、検証してみよう:
1)遙かな山(高砂)のみならず、その遠景に至るまでの近景にも、別の山・あるいは山々(外山)が存在することを示唆して、物語の世界に視覚的深みを加えた。
・・・「遙かに望む桜の山」は、遠ければ遠いほど仰ぎ甲斐があるというものだ。それがいかに遠い存在か、その存在がいかに到達し難いものか、それを示すには、その存在そのものを詳述するよりも、その存在に辿り着くまでの途中に(幾多の)障害物を置けばよい。数々の難敵との死闘を乗り越えて初めて「親玉格所謂ボスキャラ)」にお目にかかれる、という少年漫画やビデオゲームの仕掛けに、近いものがあるのがこの「外山」の配置である。
2)遙かに望む山の桜が、「尾根に連なる横方向の広がり」を持っていることを改めて印象付けた。
・・・別の山々(外山)を間に隔てつつ遙か彼方にある山(高砂)は、目視確認し難いほどの遠景のだ。その遠い山の一箇所に密集して咲く桜だとしたら、よほど運良くそこに視点が注がれぬ限りは、遠目には気付かれぬまま終わってしまうだろう。
・・・が、長く連なる山の尾根を横に連なる形で咲く桜なら、「万里の長城」が遠目にも人目を引くように、遠景の中でも際立って目に飛び込んでくるであろう。「尾の上の桜」は、作者のそういう創意工夫を込めて咲いているのである。
3)「遠くの山に咲く桜」と「近くの山に懸かる霞」との間で、古来よくある「よく似た春の白いもの」同士の見立ての"新機軸"を打ち出してみせた。
・・・山の稜線を横長に縁取るように咲く遠山桜は、横きに白く棚引く春霞のよう・・・だから、この「高砂の尾の上の桜」を最初に発見した時の感覚は、「あぁ、随分遠くの山に、霞がかかっている」というものになるだ。それがよく目を凝らして見ると、「あれ?あ、あれは霞じゃなくって桜だよ・・・へぇー、見事にされちゃったもんだねぇ・・・」ということになる。
・・・この種の視覚的錯覚を呼ぶ「春山の白いもの」としての「雪・霞・桜」トリオのうちの二つの取り合わせは、歌ではお馴染みの見立てである。が、その見立て技法は、「あれ、もう春だと思っていたのに、雪が残っているよ、あの山には・・・と思ったら、実はその白いものは冬の名残の雪ではなく、春の桜の花でした」というような「"同一空間上"に於ける混同を好ましく思う視線」で用いられるのが通例だ。
・・・それに対しこの歌では、「遠くの山の尾根に桜が見える・・・から、近くの山に霞がかからないでほしい」というのである。「近くの山で霞が立てば、視界をるカーテンとなって、遠くの山は見えなくなる」という物理的現実ぐらいは誰にでも見えるが、この歌の本当の狙いはもっと深いところにある。「近くの山の霞と、遠くの山の桜が、紛れてしまうと面白くない・・・遠山桜だけが見え、それをまず"霞"と見間違い、次に"桜"と認識する、その錯誤と再発見の過程を、他の人々にも楽しんでもらいたい・・・ので、近くの山々に霞は立たずにいてほしい」という通例の逆の見立て、「"異なる空間上"に於ける混同を忌避する視線」の面白味を加えつつ、なおかつ通例の見立て「遠くの山の尾の上の"同一空間上"に於ける混同(だけ)を好ましく思う視線」は相変わらず活かしている、という欲張りな興趣がそこにある。
 もっとも、現代の読者にとっては、そこまで手の込んだこの歌の仕掛けの全容は、なかなか見えては来るまい。「桜と霞の白紛れ」という古歌御得意の見立て自体、大方の現代人の知らぬところであるのに、その見立ての逆を行かれては、面白味が解るも何もないであろう・・・この歌は、そうした「解る人にだけ、わかる」という「"通"をらせるためにのみ詠まれた(ある種、外連味たっぷりの)歌」なのだ。・・・詠み手素性も、何となく見えてくる感じである。
 作者は、案の定、学識を以て世に聞こえた大江家の俊才、大江匡房(1041-1111):あの大江匡衡赤染衛門夫妻の孫である。16歳にして「文章生試験」(現代で言えば文部官僚登用のための国家公務員試験)に合格して文書・学問系の道を歩み始める・・・が、式部少丞(従五位下)になったところでぱったり昇進が止まってしまい、一時は、官僚としての道に見切りを付けて出家してしまおうかとまで思い詰めた。・・・俗世に道が開けぬ場合、僧形に身を変えることで名を上げることも、芸道(詩歌・管弦等)に優れた人物ならば、期待できぬことではなかったのだ。
 が、我慢する木に花が咲く・・・しばし自重した匡房は、その卓抜した学才を買われて、東宮の学士、つまりは皇太子に学問を伝授する家庭教師的な役職を得る。その東宮が、後の世に「延久の善政」と讃えられる天皇親政(=裏を返せば「藤原摂関家の横暴」の抑制)を行なった後三条天皇(71代)であり、その側近として政策推進にあたった一人がこの大江匡房なのである。続く白河帝(72代)・堀河帝(73代)にも御進講し、朝廷儀式を集大成した「江家次第」を著すなど、"学問の大江家"の面目を施したこの大学者は、一般に「江帥」と呼び習わされる。匡房の最高位は「権中納言・正二位」であったが、「太宰権帥」にもいている(左遷ではない)ので、「江帥」(大"江"+権"帥")という訳だ・・・その名前といい業績といい、あの菅原道真彷彿とさせる大碩学の彼であるから、この73番歌の玄人好みの仕掛けも、むべなるかな、といったところである。

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