百一081解題)ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有り明けの月ぞ残れる

ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有り明けの月ぞ残れる
『千載集』夏・一六一(後徳大寺左大臣:ごとくだいじのさだいじん)(男性)

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解題

 この歌は、次の歌の趣旨を踏まえての「本説取り」・・・あるいは「本歌取り」と言ってもよいであろうか:
 有り明けの月だにあれやほととぎすただ一声の行く方も見む(『後拾遺集』夏・一九二・藤原頼道
 夜明け前、周囲の静寂を破るように、一声響いたホトトギスの声。暗い中にも、月の光がせめてまだ消えずに残っていてくれたらなあ。あの鳥が飛び行くその先を、この目で確かめてみたいのに。
 元歌では、「郭公の声だけ聞こえて、まだ居る気配、飛び去る先を確認できそうな期待はあるのに、月明かりがないから、確かめようがない」だが、こちら第81番歌では、「ホトトギスの鳴き声が聞こえて、その姿を確かめようとして、声のした方を見たが、既にもうその姿はなく、後にはただ有明の月だけが残っていた」という風に、その情趣を変えている。「声はすれども姿は見えず」から「声だけ残して姿を消した」へのすり替えは、「もうちょっとで見えそうなのに、見えないもどかしさ」から「見たくとも、もう見えない、過ぎ去ったものへのわしさ」へ、と、感覚的にも少々高級な変化をもたらしてはいるが、ただそれだけでは役者が足りない。
 そこで、「心残り」を演じさせたらこの人(?)にうものはいないという自然界の花形役者、「歌枕」の王様たる「有り明けの月」の登場である。・・・何?「"有り明けの月"なら、元歌の中からずっと出ずっぱってる」って?それはそうだが、しかし、元歌の「月」は単なる「照明装置」、「ほととぎす・・・の行く方」を確認するための物理的な役割しか演じない代物だから、別段「有明」でも「弓張り」でも「望月」でも「ネオン」でも「サーチライト」でも「照明弾」でも何でもいいではないか。それに対する第81番歌の「有り明けの月」は、「夜空に(もし飛んでいれば)ホトトギスを照らし出す月明かり」としての物理的存在感と同時に、「もういないのか・・・残念だなあ」という「満たされぬ心の中を浮き彫りにする隠喩」としての象徴的役割の重みをも、同時に宿しているではないか。両者のこの違いは、極めて大きいのである。
 このように、「元歌にはなかった+αを加えること」をこそ、「本歌取り」(「本説取り」でもどちらでもよいが)の「」(大事な部分)と見ていた藤原定家にとっては、元歌が「単なる音合わせ(あ・り・あ・け・の+つきだにあれや)」として使いしていた全く同じ「有り明けの月」の文言に、新たな生命を吹き込むことに成功しているこの歌は、「同じ役者でも、舞台の上での使い方次第、演出家の腕次第で、こうも違って見えるのだよ」という見本、「付加価値をとする本歌/本説取り」の好例として、『小倉百人一首』にせる意味があったのであろう。
 元歌の存在を知らずとも、それなりの情趣はある歌ではあるが、下敷きを通して見る興趣はまた別格である・・・こうした知識をひけらかすのは悪趣味であるが、そうした知識の上で遊ぶのが、この時代(『千載集』・『新古今集』)の高踏派歌人達の習癖であった、という事実は覚えておくべきであるし、彼らの詩的愉悦の追体験をしてみるのも悪くはあるまい(・・・そうした排他性の文芸ゲームを好む/嫌うは、また自ずと別の話ではあるが・・・)。
 作者藤原実定(1139-1192)は、藤原俊成(ということは、定家の従兄弟)。祖父の実能した(笛を家業とする)"徳大寺"家の三代目で、官位の中でも(「摂政・関白」以外では)最高位の左大臣まで昇進したので(祖父と区別する意味で"後"を付けて)「後徳大寺左大臣」と呼ばれる。平清盛が京都で我が世の春を謳歌していた頃から、源頼朝が鎌倉幕府を開くその年までの、平安末~鎌倉時代にかけての激動の世を、九条兼実の下で京都朝廷/鎌倉幕府の取り次ぎ役として活躍し、53歳で病没した。
 そうした時代背景までも織り込んで、「有り明けの月」の名残惜しさが照らし出すのは、「鳴いて飛び去るホトトギス」のみならず、「泣いて見送る平安時代」でもある・・・とまで読むのは、穿ち過ぎというものであろうか・・・?

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