百一084解題)ながらへばまたこのごろやしのばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき

ながらへばまたこのごろやしのばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき
『新古今集』雑下・一八四三(藤原清輔朝臣:ふぢはらのきよすけあそん)(男性)

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解題

 三条天皇の第68番歌「心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな」(『後拾遺集』雑一・八六〇)と似た発想の歌。厭世観を基調とした歌だけに、軽々しく下敷きにできるものではありません・・・が、こちらの歌の作者の人生にもまた、それなりの陰影があったようです。
 藤原清輔は、歌道の名門六条家の人で、父は勅撰集『詞花集』の撰者藤原顕輔。その補佐にあたった息子の清輔は、しかし、編集方針を巡って父と対立してひどくまれ、官位も低いままに終わりました。
 後に、二条天皇に取り立てられて『続詞花集』を撰じたものの、天皇崩御によってこの歌集もまた勅撰集としては日の目を見ずに終わりました。
 父の死後は六条藤家を継いで、歌学の著作を幾つも残しましたが、同時代人にはやはり歌学の大立者藤原俊成釈阿)がおり、『千載和歌集』の編者としても名を成した彼の家系(御子左家)は歌壇に君臨・・・『小倉百人一首』を編んだ藤原定家俊成の息子です・・・その一方で、平安から鎌倉への激動期に清輔六条藤家は衰退し、南北朝期にはとうとう断絶してしまいます。
 暗い影を背負った歌、とは言えますね。それだけに「辛くて暗い人生も、時の助けを借りれば、懐かしく愛しい輝きを放つもの」という、一歩引いたところから今の自分を観照し受け入れようとする姿勢には、元気づけられる人も多いはず・・・哀しいけれど、よい歌です。

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