百一085解題)夜もすがら物思ふころは明けやらで閨のひまさへつれなかりけり

夜もすがら物思ふころは明けやらで閨のひまさへつれなかりけり
『千載集』恋二・七六六(俊恵法師:しゅんゑほふし)(男性)

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解題

 「すがら」の意味は二つで、1)「・・・の間じゅうずっと」(例:「ひねもすがら」転じて「ひねもす=一日中」)/2)「・・・の途中で」(例:「道すがら=どこかに行く途中で」)。ここでの「夜もすがら」は「夜通しずっと」の意味である。
 ところが、よく読むと、「夜もすがら物思ふ"ころは"=夜通しずっと物思いにる"頃は"」となっているので、特定の一日の時間帯としての「夜」だけを指すのではなく、ある程度の日数にまたがる「期間」を意味するものとわかる。
 「物思ひ」は、古歌の多くでは「恋情」を指すので、ここでは「恋しい人(異性)を思って夜通し過ごす頃」と見てよいだろう(実際、『千載和歌集』の「詞書」には「恋の歌とて詠める」とある)。
 そうして、「物思いにりつつ夜を過ごす」以上、想う相手の異性はその場にはいない:居てくれたなら、物思いよりもっと濃密な愛の時を、他事を忘れて満喫しているはずなのだ・・・相手が居ないからこそ、物思いだけを抱いて、一人の夜を過ごさねばならないのである。しかも、そんな夜が、このところ続いているのだ:「夜もすがら物思ふ"ころ"」なのだから。
 そうした思いを抱えての独り寝の夜は、長い。眠ってしまえばよいのだけれど、物思いが邪魔をして、夢の世界に逃げ込むこともできず、恋しい相手がその場にいない寂しい夜の現実と、逃げられぬまま向かい合って過ごさねばならぬ長い夜なのである・・・それが、なかなか「明けもやらぬ」ので、参ってしまう訳だ・・・文法的には、先ほどは「{夜もすがら物思ふ}"頃"」という時間幅を持った一定期間が主語だったのに、この部分に於ける「明けやらで」の主語は(その日その日の)「夜」という一日のうちの時間帯を指すものに戻っている点も、見逃しがちだが、巧妙な転換である。
 このように、あまりにもいつまでも明けてくれない長い長い物思いの独り寝の夜を、辛い気持ちで過ごしているのは、元をただせば、相手の異性が自分に逢いに来てくれないから、ではあるが、相手が来てくれないばかりか、夜明けさえも来てくれないのか、という気にさえ、なってくる・・・八つ当たりの対象となっているのは「のひま」:別の字で書けば「寝屋=寝室の板戸の物理的な透き間」(朝になったらそこから光が漏れ来るなのに、いまだに暗いまま)。それと同時に「寝屋=寝室で持て余す時間」にもまたがる、時間/空間双方への広がりを感じさせる表現が「ねやのひま」である。そしてまた、「のひま"さへ"」という累加の表現によって、言葉では直接表現されていない「来てくれない異性」の「つれなさ」をも言外に浮かび上がらせる含蓄語法が、和歌の教科書にせたいぐらいに見事に効いている。
 こうした見事な修辞のは、しかし、技巧自体が主役として前面にしゃしゃり出て来たのでは、意味がないばかりか、逆効果。この歌は、「=スタイル」と「=情趣」とが完璧なまでの調和を見せていて、秀歌の中の秀歌と呼べる素晴らしい出来映えとなっている。『千載集』(1188)編者藤原俊成の唱えた「幽玄」の理想に、見事にう歌と言えるだろう。
 自分のをなかなか訪れてくれない異性(に加えて、夜明け)を「つれない」として恨みつつ待ち望む心情を詠む歌であるから、この悲しい夜の主人公である詠み手は当然「女性」・・・のであるが、現実には、"彼"の名は「俊恵法師」:男性である上に、色恋とは無縁のの僧侶、である。この意外性は、現代日本の大方の読者を驚かせるであろうが、古歌の世界では「歌僧」も「男が詠んだ女の歌」も、至極当たり前の存在・・・あの『土佐日記』で紀貫之が「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり(男も為なる日記と言ふ物を女も為て見むとて為る也)」と、柔和なかな文字を駆使しつつ女性になりすまして書いた故事を思い起こせば、「女性仮託」というものが、日本古典文学に於ける一つの執筆スタイルとしていかに確固たる位置付けを有していたか、わかるである。
 俊恵法師東大寺の僧。彼の父親は、歌論書『俊頼髄脳』(大学入試によくでるやつ)や第五の勅撰集『金葉和歌集』(1126)の撰者として有名な源俊頼(第74番歌作者)。1113-1191という生没年は、歌学の大御所藤原俊成の1114-1204や放浪の歌人西行法師の1118-1190と重なるので、平安末~鎌倉初期の歌人としてはさほどの有名人扱いもされていないが、自らの僧坊を「歌林苑」と称して多くの歌人を招いては歌会を催し、当時の歌壇に少なからぬ影響力を持っていた人らしい。・・・それはそうだろう、とかく技巧ばかりがうるさく目立つ「新古今」時代の和歌群の中にあって、この歌の秀抜な技巧に裏打ちされた妖艶さは、和歌のあるべき理想形を確実に示している・・・それだけでも、俊恵法師が当時の歌詠みたちの間で一目置かれる存在であったろうことは、瞭然たるものがある。

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