百一098解題)風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける

風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける
『新勅撰集』夏・一九二(従二位家隆:じゅにいいへたか)(男性)

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解題

 初句の「風そよぐ」は、肌に涼しい皮膚感覚をもたらすと共に、二句目の「」と結び付くと「木の葉」が風に吹かれて優しげに揺れるさまを眼前に現出する視覚効果をも生じる。これは「新古今流メディアミックス」の一典型、人の五官(目・耳・鼻・皮膚・舌)の司る五つの異なる感覚(=五感:視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚)のうちの複数のもの(ここでは肌と目)に同時に訴えて、歌の味わいの深みを増す手法である。
 そしてこの第二句「ならの小川」はまた、「川縁の木が生えている小川」という一般的記述であると同時に、京都の上賀茂神社(現代ではユネスコ文化遺産として登録されている)程近くを流れる「奈良の小川」という固有名詞としても機能する。これまた「新古今名物」(と限ったものでもないが)「掛詞を軸とした意味の輻輳」である。この歌のこの修辞により、本来「奈良の小川」であるこの川の名称は、今では「奈良()の小川」と並列表記されるのがならわしになっている。
 その「/奈良の小川」で行なわれる「みそぎ」とは、字面通りに受け止めるならば、神聖なる神社に入る前に人が小川に入って「身のれを清ぐ」ことに由来する「」であるが、この歌に於ける「みそぎ」は、上賀茂神社を訪れる修行者個人の水浴びを詠んだものでは、勿論、ない・・・いかに神聖なる行為とはいえ、バシャバシャと騒々しい水音を伴うそんな無粋な光景と結び付けたのでは、折角の初句+二句の「視覚と皮膚感覚に涼しく訴えかけた風のそよぎと木の葉の揺らぎ」が、台無しになることに気付かぬようでは、歌読みとしての修行が足りない。ここにわれている「みそぎ」とは、個々の修行者の行為を指すものではなく、神社(界隈)で行なわれている「六月祓夏越祓)」という祭事に言及するものなのである。
 「」とは、「神のご加護により、悪しきものをうための神事」であり、「年越し」と「夏越し」の二種類がある。「なごしのはらえ」は夏の風物詩であり、関西で特に有名なものは、京都の上加茂神社下鴨神社のものと、大阪の住吉大社のもの(いずれも出雲大社系)。「なごし」の読みは「神の気持ちを"ませる"=なご(ま)し」/「湿気が多い疫病多発期である"夏を無事に越す"=(つ)ごし」という掛詞的なもの。この「夏越しのえ」をこの歌では「みそぎ」と呼び、夏の風物詩として名高いその祭礼の「気配」を、「ならの小川」のほど近くで「彼方に感じ取っている」のである:風に乗って耳に入ってくる「聴覚的刺激」として・・・これでメディアミックスの役者は3つ(視覚+触覚+聴覚)に増えた訳だ。
 繰り返すが、この部分を「眼前の小川の中でバシャバシャやっている人がいる」などと読んではいけない・・・そう読む人が大勢いるのは仕方ないが、そういう人々をおいてけぼりにして、「わかる人には、わかる」というのが「新古今風」の韜晦趣味(一見してすぐには見抜けぬ深い意味を隠し置きしたがる傾向)というものである。「風にそよぐ木の葉」も「風に吹かれて涼しい素肌」も、「目の前でバシャバシャ水を跳ねかけて身体を清めている修行者の図」を前にすれば、どこかに消し飛んでしまうであろう?だからこの「みそぎ」は是非とも「遠くから聞こえてくるお祭りの気配」という控えめな立場に甘んじてもらわねば、歌として非常に困るのである。それに気付く人だけを同胞とし、それ以外の無粋な人々を置き去りにするこの排他的に高尚な感覚が、「新古今調」の(一般読者から)嫌われる一因でもある・・・読者のアナタは、お好きな方であろうか、キライと感じるクチであろうか・・・?
 その「みそぎ=夏越祓」が行なわれる時期は、「夏」である。が、初句・二句で感じ取ったこの歌の季節はもう「秋」である。「皮膚」と「目」で感じる季節は「秋」なのに、「耳」に流れてくる季節の風物詩だけはいまだに「夏」なのだ・・・が、その「夏に付き物の"なごしのえ"」だけが、「今は夏だ」と言い張る唯一の証拠(=「しるし」)であって、の小川のほとりに立って生身で感じる季節はあくまで「秋」なのだ、というこの「二つの異なる季節のせめぎ合い」もまた、「新古今名物(古今集にも多いが)異種情趣対立構図」である。と同時に、その季節の対立にふと気付いた詠み手が、「"夏越し"の行事だけだねぇ、今が夏だ、なんて季節外れのことを言うのは」なる感慨を抱く部分では、ここまで三つの感覚(視・聴・触覚)という生物学的次元で推移してきたこの歌の情趣が、「大脳新皮質」という(「新古今」の最も好みとする)部位を通して理知的に認識されることになる。そうした「三感を通して感じた刺激を頭脳でプロセッシングした結果としての気付き」でこの歌を締めくくるのが、末尾の「けり」の詠嘆調・・・この「けり締め」もまた「新古今歌」にはよく見られるケリの付け方、余韻を感じさせるエンディング手法である。
 ・・・と、「新古今歌の教科書」の如きこの歌を詠んだのは、他ならぬ『新古今和歌集』(1210~1216頃成立)撰者(6人)のうちの一人藤原家隆藤原俊成に和歌を学び、定家と並んで「御子左家双璧」とまでわれた歌人である。『新古今集』に続いて定家が(後堀河天皇の勅命により単独で)選んだ第九の勅撰集『新勅撰和歌集』(1232)に於ける個人入集数では、この家隆の43首が最高であり、定家の父にして家隆師匠でもある俊成の35首を(定家自身の控えめな入集数はもちろん)大きくぎ、藤原定家を別にすればやはりこの人が「新古今最高の歌人」であったことを改めて感じさせる・・・おっと、失礼、一人大事な人を忘れていた:鎌倉幕府打倒の試み「承久の乱」(1221)の失敗で隠岐島に流されていた後鳥羽上皇の歌は、『新勅撰集』には1首も含まれていないのだったっけ・・・ということで、『新古今集』生みの親「後鳥羽上皇」を含めて「藤原定家藤原家隆後鳥羽上皇=新古今三大歌人」と称しておくのが、やはり妥当であろう。

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