百一016文法)立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む

立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む

品詞分解
たちわかれ【立ち別れ】<他ラ下二>連用形

 いなば【】<名>・・・因幡
 いな【】<自ナ変>未然形・・・往な
 ば【ば】<接助>

の【の】<格助>
やま【山】<名>
の【の】<格助>
みね【峰】<名>
に【に】<格助>
おふる【生ふる】<自ハ上二>連体形

 まつ【】<名>・・・松
 まつ【】<他タ四>終止形・・・待つ

と【と】<係助>
し【し】<副助>
きか【聞か】<他カ四>未然形
ば【ば】<接助>
いま【今】<名>
かへり【帰り】<自ラ四>連用形
こ【来】<自カ変>未然形
む【む】<助動_意志>終止形

修辞法
掛詞

<いなば>
1)「因幡」
2)「往なば」
<まつ>
1)「松」
2)「待つ」

序詞

「いなばのやまのみねにおふる」は「まつ」を導く
・・・この歌については、上記のような「序詞」関係を含まない、との解釈をする歌人も多いことを付言しておく必要があろう。その理由は、「序詞とは、歌全体の主たる意味には直接に関わることなく、歌の主意に関わる後続部を導き出す役割のみを演じる語句」という定義に、この歌の前半部が抵触するから、である。
・・・「山の峰に生ふる」だけ見れば、後続部の「松・・・転じて・・・待つ」の導出部としての役割以上の意味をまるで有さぬ語句であるから、これを「序詞」と呼ぶことに何の問題もない。
・・・しかし、「立ち別れ、因幡の」任国へと国司として在原行平が出向する、という事実は、この別れの歌全体の表わす意味構造の中で、確かな存在の重みを有している。それ故にこの「たちわかれいなばのやまのみねにおふる」という前半部を、後半部「まつ」の導出役に過ぎぬ「序詞」として片付ける訳には行かない、と言う人々も多いのである。
・・・「序詞」というものの曖昧さを示す一例である。「歌の主意に関わるか/関わらずに主意部導出役に徹するか」・「意味の本線を形成するか/本線を導く伏線に徹するか」の解釈次第で、ある者には「序詞」であるものが他の者にはそうではない、という事態が起こり得る訳である。

歌枕

因幡の山(因幡の国)

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