方丈記006)大地の激震・人の変心(元暦大震災:1185年7月9日)

 また、同じころとかよ、おびたたしく大地震ふることりき。そのさま、よのつねならず。山はくづれて、河をみ、海は傾きて、陸地をひたせり。土けて、水で、割れて、谷にまろび入る。なぎさぐ舟は波にただよひ、道行く馬は足の立ちどをまどはす。都のほとりには、在在所所堂舎塔廟、一つとしてからず。あるいはくづれ、あるいはたふれぬ。塵灰立ちのぼりて、りなるし。地の動き、家のやぶるる音、にことならず。家の内にをれば、たちまちにひしげなんとす。走りづれば、地割れく。羽なければ、空をも飛ぶべからず。ならばや、雲にも乗らん。恐れの中に恐るべかりけるは、ただ地震なりけりとこそ覚えりしか。
 その中に、ある武者のひとり子の、六つ七つばかりにりしが、築地のおほひの下に、小家をつくりて、はかなげなるあとなしごとをして、遊びりしが、かにくづれ、められて、かたなく、にうちひさがれて、二つの目など一寸ばかりづつうちだされたるを、父母かかへて、声をしまず悲しみあひてりしこそ、あはれに、かなしく見りしか。子のかなしみには、たけきものもを忘れけりと覚えて、いとほしく、ことわりかなとぞ見りし。
 かくおびたたしくることは、しばしにて止みにしかども、そのなごり、しばしは絶えず。よのつね、驚くほどの地震、二三十らぬ日はなし。十日・二十日すぎにしかば、やうやう間遠になりて、あるいは四五・二三、もしは、一日まぜ、二三日に一度など、おほかた、そのなごり三月ばかりやりけん。
 四大種の中に、水・火・風はつねに害をなせど、大地にいたりては、ことなる変をなさず。昔、斉衡のころとか、大地震ふりて、東大寺の仏の御首落ちなど、いみじきこともりけれど、なほ、このにはしかずとぞ。すなはち、人みなあぢきなきことを述べて、いささか心のりもうすらぐと見えしかど、月日かさなり、年にし後は、ことばにかけて言ひづる人だになし。
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・・・2011年3月11日、日本の東北地方を震源地とするマグニチュード9.0の大地震がありました・・・亡くなられた方々への追悼と、慰めを求めて過去の類例を欲する同胞への元気付けの意味を込めて、現代日本語の訳文を追記しておきます。
(現代語訳by之人冗悟:Noto Jaugo)
2011,11/9追記:その後、思い直して『方丈記』全文、現代語訳(+古語振り仮名)付けてみました・・・理由は単純明快: 平安末世と平成の今とが、まるでdeja vu(既視現象)のごとく二重写しになるさまを、一人でも多くの日本人(=崩れ行く世の目撃者)のお目にかけたかったからです・・・明日(平成23年11月10日)には、日本人の大方は全く望んでもおらぬのに、どこぞの誰か(タヒラノキヨモリだのノダノナニガシだの)の強権発動で福原遷都にもなぞらえるべき、後の世に「せんといたほうがよかったのにねぇ・・・」の語り草になる「TPP・・・Total Poverty of the People of Japan、の頭文字かしらん?」を巡る首相の暴走発言が行なわれるやもしれぬという(某国のゴリ押しによる)亡国の入り口が開く(可能性が高い)らしいので、その前に「ほぅら、言わんこっちゃない・・・過去の愚かな過ちに学ぶことを知らぬ連中は、必ずや同じ過ちを繰り返すのだよねぇ」の慨嘆を(数年後のhindsightとしてではなく、一日前のforesightとして)駆込寺的に書き記しておきたかった次第・・・でも、もう手遅れかもしれませんね・・・祇園精舎の鐘の声、諸業無益の響きあり・・・まぁ、文筆の力なんて、所詮そんなもの: 何を書いても、良き読み手を欠いては、何の役にも立ちません・・・ごめんね、長明さん & 国滅ぼす独り相撲はやめてね、野田さん!

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以下、アンチョコ現代語訳・・・作った人は→之人冗悟(Noto Jaugo) of http://fusaugatari.com/
現代日本語訳

 また、同時期かと記憶しているが、とてつもない大地震があった。
その様子といったら、世の常の様ではない。
山は崩れて河川を埋め、海は斜めに押し寄せて陸地を水浸しにした。
土は裂けて地中から水が噴き出し、山は崩落して谷間に岩が転げ落ちる。
海辺を漕ぎ行く船は波に翻弄され、道端の馬は大地が揺れ動くので地に足がつかない。
京都周辺の至る所で、寺社の御堂も塔も無事だったものは一つとしてない。
あるものはぼろぼろに崩れ落ち、あるものはどさっと倒壊した。
立ち上る塵や埃の凄まじさは、まるで燃え盛る煙のようだ。
揺れ動く大地や破壊される家屋の音は、さながら雷鳴のようだ。
家屋の中にじっとしていれば今にも押しつぶされそうだ。
家の外に走って出れば、大地には地割れが走る。
羽もない人間の悲しさ、空を飛ぶこともできない。
これが竜ならば、雲に乗ることもできように。
恐ろしいものの中でも特に恐るべきなのは、ただもう地震だったのだなあと思い知ったものだった。
 そんな中、ある武士のたった一人の子で、六~七才ぐらいの子供が、土塀の屋根になった部分の下をおうちに見立てて子供らしいおままごとをして遊んでいたのが、いきなり崩落して下敷きになり、跡形もないほどぺしゃんこにつぶれてしまって、眼球が両方とも眼窩から大きく押し出されてしまった無惨な姿を、その父と母が抱きかかえて声を惜しまず悲しみ合っていた様子を見て、かわいそうに、と同情させられる場面があった。
我が子の悲しみの前には、勇猛果敢な武士と言えども、人目を恥じることもなくなるものと見えて、気の毒に、無理もないことだと思ったものだ。
 こんなにもひどい激震は、しばしの後には止まったけれども、余震はしばらくの間絶えることなく続いた。
平生ならびっくりするほどの大きな揺れが、一日に二~三十回ほども来ない日はない。
十~二十日も経過すると、ようやく余震の間隔は間遠になって、ある日は四~五度、別の日は二~三度、あるいは一日おきや二~三日に一度といった具合で、余震はおおよそ三ヶ月ほども続いたろうか。
 万物を構成する地・水・火・風の四要素のうち、水・火・風の三つは常に災害を及ぼすものの、大地に関してはさしたる異変を生じることもないのに・・・地震ばかりは違うのだ。
その昔、斉衡(854~857)の時分とかいう話だが、大地震があって、東大寺の仏様の首がぽろりと落ちるなどという不吉なこともあったが、それでもなお今回の大地震には及ぶべくもないとの話である。
大震災後しばらくの間は、人々はみなこの世のはかなさを口々に述べては、俗世の欲に濁った日頃の心根も少しばかり薄らぐように見えたけれど、月日が重なり、長い年月が経過した後では、あの大震災も現世のはかなさも、言葉に出して言う者の一人もいない・・・世の中なんて、そんなもの、喉元過ぎれば熱さを忘れるのだ。

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