方丈記007)従はば苦・逆らはば狂(処世の空しさ:1212年3月末)

 すべて、世の中のありにくく、わが身ととの、はかなく、あだなるさま、また、かくのし。いはんや、所により、身のほどにしたがひつつ、心をなやますことは、あげてかぞふべからず。
 もし、おのれが身、数ならずして、権門のかたはらにをるものは、深くよろこぶことあれども、大きに楽しむにあたはず。なげきなる時も、声をあげて泣くことなし。進退安からず、立ちにつけて、恐れをののくさま、たとへば、の巣に近づけるがし。もし、しくして、富める家のにをるものは、朝夕、すぼき姿をぢて、へつらひつつで入る。妻子童僕のうらやめるを見るにも、福家の人のないがしろなる気色を聞くにも、心念々に動きて、時として安からず。もし、き地にをれば、近く炎上ある時、そのをのがるることなし。もし、辺地にあれば、往反わづらひ多く、盗賊の難はなはだし。また、いきほひあるものは貪欲ふかく、独身なるものは、人にかろめらる。あれば、おそれ多く、しければ、うらみなり。人を頼めば、身、他のなり。人をはぐくめば、心、恩愛につかはる。世にしたがへば、身、くるし。したがはねば、せるに似たり。いづれの所を占めて、いかなるをしてか、しばしもこの身を宿し、たまゆらも心を休むべき。

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以下、アンチョコ現代語訳・・・作った人は→之人冗悟(Noto Jaugo) of http://fusaugatari.com/
現代日本語訳

 総じて、この世は生きて行くのも困難な世界であり、我が身もその住み家も共に儚く虚しいその有様は、これまた上述のごとしである。
ましてや、人間界の場面場面で、状況即応に対応しよう、身分相応に出しゃばらぬようソツなく振る舞おうとして、あれこれ思い悩んで生きて行くことの、何と困難で、何と実体のない頼りなさであることか・・・一々例を挙げて説き明かしていたらキリがない・・・試しに、列挙してみようか・・・
 取るに足らない身分の者として権門貴族の周辺で生きている人は、精神的には大いに喜ばしいことがあっても、物質的には盛大な歓楽を尽くすことはできない・・・自分としては豪勢な宴会でも、御近所の権勢家から見ればどれほどみすぼらしく思えることか、それを気にするから、どうしても慎ましやかにならざるを得ないのだ。
ひどく悲しい事があった時も、周囲に訴えるような大声上げて泣いたりもしない・・・物の数にも入らぬ自分の嘆きなど、誰一人耳も貸してくれないことを思い知らされて、ますます惨めになるだけだと知っているから、一人しくしく忍び泣きするしかないのだ。。
社会的強者との対応を気に掛けて、進むも退くも容易ではなく、立ち居振る舞いのそのたびごとにびくびくしながら過ごす様子は、いわば、スズメがタカの巣近辺をうろついているかのようだ。
貧乏人として富豪の隣家に暮らす人は、みすぼらしい自分の姿を恥じて、朝夕我が家を出入りするにも、隣人にヘラヘラ・ペコペコしながら気遣いを重ねている。
妻や子、召使いたちが、「お隣りはいいなぁ・・・」と羨む様子を見るにつけても、裕福な家の人たちが自分のことをないがしろにしている気配を感じるにつけても、心は常にあれこれ思い悩んで、一瞬たりとも安らかな時がない。
狭い土地に暮らしていれば、近所に火の手が上がっても、災難を逃れることはできない。
都を外れた辺鄙な土地に暮らしていれば、行き来するのも大変で、盗賊の被害も実に大きい。
権勢ある者は欲張りな心が強く、独身でいる者は人から軽く見られる。
財産があれば不安も大きく、貧乏ならばねたみ深くなる。
他者を頼れば、我が身は他人の所有物となる。
誰かを大事にいたわり育てれば、心は、愛情の命ずるがままに動く奴隷と化す。
世間の流れに逆らわず従順に生きれば、我が身は苦しい。
世間の流れに従わず我が道を行けば、従順な世間からは狂人同然に見られる。
いったいぜんたい、どんな場所に身を置き、どんな所業をしておれば、我が身と心は束の間の安らぎを得ることができるのだろうか?

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