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春過ぎて夏来にけらし
  白妙の
    衣ほすてふ天の香具山

Summer breaking in to push spring out:
Kaguyama white in veils of heavenly maidens
Hung out in vernal colors before it gets too hot.

『小倉百人一首』002
はるすぎて なつきにけらし しろたへの
 ころもほすてふ あまのかぐやま
持統天皇(ぢとうてんわう)
女性(645-702)
『新古今集』夏・一七五
大和三山の一つ、天から降って来たと言われるあの香具山に、
天女羽衣を干している・・・
と形容される真っ白ながかかっているのを見ると、
どうやらもう春は過ぎ、夏がやって来たらしい。
【文法・修辞法】元歌改作+枕詞+歌枕
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品詞分解
はる【春】<名>
すぎ【過ぎ】<自ガ上二>連用形
て【て】<接助>
なつ【夏】<名>
き【来】<自カ変>連用形
に【に】<助動_完了>連用形
けらし【けらし】<助動_過去推量>終止形
しろたへ【白妙】<名>
の【の】<格助>
ころも【衣】<名>
ほす【干す】<自サ四>終止形
てふ(と【と】<格助>+いふ【言ふ】<自ハ四>連体形)
あまのかぐやま【天の香具山】<名>



修辞法
枕詞
しろたへの【白栲の・白妙の】・・・(1)(衣の類推から)「衣」「」「」「袖」「領巾」にかかる(2)(白い色から)「雪」「雲」「月」「波」「砂」「富士」にかかる
歌枕
天の香具山(大和の国)
解題
 『小倉百人一首』の生みの親の藤原定家も撰者の一人だった『新古今和歌集』(1210~1216年頃成立)に「持統天皇」のクレジットで収載された歌だが、元歌は「春過ぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山」『万葉集』巻一・詠み人知らず(・・・少なくとも、天皇の御製ではない)。
 各種研究の進んだ現代的観点からは、この歌は、元歌改作(・・・趣旨を変えない全句引用の部分的改作なので「本歌取り」とは呼ばない)の過程で二つほど過ちを犯している点を指摘せねばならない。
 まず文法的には、元歌「夏来たるらし」の解釈を「夏+来+たる(完了=既にそうなっている)+らし」としている点が間違い。現代の文法的判断では「夏+来たる(来ようとしている)+らし」が正解。即ち「もうすぐ夏になろうとしているようだ」が正しいところを、「既にもう夏が来てしまったようだ」と『新古今』撰者は早とちりしている訳である。
 その結果、新古今版「来+ぬ(完了=既にそうなっている)+けり(詠嘆=そうなのだなぁ)+らし」解釈が成立し、本来「春が終わって夏が来ようとしているらしい」として「春」の部立てに入れるべき歌を、「春は既に過ぎ去って夏になってしまったらしいなぁ」として「夏」の部立てに編入する、という季節感錯誤の過ちをも犯している。
 もっとも、この文法的誤解は、平安末から鎌倉初期には無理からぬこととも言える。そもそも<「来たる」には「来+たり(完了助動詞)=既に来ている」の他に、一語の動詞としての「来たる=これからやって来る」の場合がある>という事実を指摘する初の学術研究は、江戸時代中期の国学者本居宣長(1730-1801)の『玉勝間』(十二巻)・・・・その宣長にしてからが、この「来たる」の語源を「来而有=来+有り」と見ていて、終止形が「イ」音で終わるのラ行変格活用動詞「有"り"」から、何故「ウ」音終止の四段活用形「来た"る"」が生じたかは有耶無耶のまま・・・「来+到る」の複合動詞が一語になったと見れば、ウ音で終わる語形の謎も、完了形でなく近未来形となるその意味の絡繰りも、いずれもすんなり解ける訳で、現代ではそれが定説だが、その説が出されたのは1911(明治44)年(柴田猛緒来字の活用及語源考」國學院雑誌)のことなのである・・・。
 事程左様に、言葉とは誤解され易いもの。その誤解を解くにはまた、多くの場合、長い時間がかかるもの・・・だが、大事なのは単なる「時」ではない:時の重みはその分だけ、古来伝わる無修正の誤解の上に、ありもせぬ見せかけの権威を加えるもの・・・なればこそ、長らく続いた誤解を打ち破るのに必要なのは、「苔生す"時"の虚仮威し」に屈せず、その誤解が生じた根源的理由を抉り出し、これと訣別して新たな道を切り開く決意と知性と方法論を持った、たった一人の改革者・・・そんな事実を再確認させるよすがともなるべき平安調二重錯誤歌がこの「夏来たるらし→にけらし」(部立=春→夏)なのである。
 ということで、(この文章の筆者は)「夏来たるらし=夏+来+至るらし・・・春もそろそろ終わり、もうすぐ夏が来るようだ・・・だって、香具山に、夏に備えて、天女羽衣干しているんだもの」(部立ては「春」)の万葉調解釈をこそお勧めする。
 因みに、上記の如き執念深き論理的検証をまるでよしとせず、「古来、そうなってるんだから、そうなの!」とばかり、古文業界の約束事への独善的盲従を以て「古典的教養」に代替する知的怠慢体質の諸氏に、試みに尋ねてみるがよい、「香具山白妙の衣がかかってる・・・ということは、季節は?」と。彼らからは必ずや次のような「思慮なきこだま」が返ってくるであろう:「夏!初夏も初夏、『新古今』巻第三・夏歌の冒頭を飾るのが『春過ぎて夏来にけらし白栲の衣ほすてふ天の香具山』だからねっ!」・・・こうした日本人たちによって、万葉人が「晩春」の現象とみなした「香具山の春霞」は、鎌倉初期このかた、「初夏」の風物詩へとねじ曲げられてしまった訳である。中には、「霞」はどう足掻いても「春」と仲良しであるために、この歌を「夏」のものとするための方便として、次のような強弁をする者さえある<「白栲」は「霞」を指すのではなく、山一面に咲く「卯の花」を指すのだ>・・・俳諧界の約束事で言えば「卯の花」の季語は「夏」だから、それでよかろう?という訳である・・・ご苦労様なことだ:彼らの土台無益な勤勉さに敬意を表して、次の英語格言を贈りたい:「Lies beget lies.(嘘は更なる嘘を生む)」。
 赤信号もみんなで渡れば青信号、晩春も、夏だ夏だと言い張るうちに、いつしかホントの夏になる・・・なんともジャパネスクな話ではないか。そうした嘘に平然と染まって何の疑問も異議も唱えずにいること(ついでに、そうでない知識人を毛嫌いし排斥して自分達の世界の平穏を墨守すること)が、即ち「日本人である」ということ、なのであろう。この意味で、筆者は全く「日本人(的)ではない」し、この種の日本人に対しては敬意のかけらも払う意志がない。読者の中で、在来的な意味に於ける「日本人(的)であること」に固執なさる御仁は、これ以降の筆者の話からは目を背けて一切取り合わずにここで退散することを強くお勧めしておく。今まで思いも寄らなかった「ジャパネスク変態」の実態を、嫌というほど見せつけられた後では、もはや今まで通りの「日本人である」ことなど、到底不可能な知的水準に到達してしまうことになるのだから・・・知的卓越が必ずしも幸福を意味せぬ国の住人には、「日本人であること」にこだわり続けて事実・真実から目を背け続ける資格も、それなりには、あるのである。在来的日本人の知的怠慢体質には何の敬意も払わぬ筆者であるが、彼らが怠惰に甘んじて惰性的幸福を味わう権利まで全否定するほどの強圧的啓蒙主義者では、ないのである。
 では、付いて来る勇気のある諸賢よ、次なる発見へと向かおうか。
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