解題
後代「
歌聖」と称されることになる万葉歌人
柿本人麻呂の作(『
万葉集』巻十一・二八〇二では詠み人知らずとして収録)。宮廷歌人として
持統・
文武両天皇の下で活躍した彼だが、歌詠みの才が歌人に寄与するのは貴人へのお近付きの契機としてのみであって、詩才ゆえに高貴な人の目に止まることはあっても、秀歌で朝廷の高位を射止めることなどあり得る道理もなく、彼の官位は生涯低いままであった。下級
官吏として地方官を歴任するしがない役人生活を送った彼の歌には、遠く離れた妻へのストレートな
恋情を歌ったものが多く、これもその典型的な作品。厳密に彼の作品であるか否かはさておくとして、いかにも人麻呂歌らしい雰囲気
横溢の歌なので、以後、あくまで「人麻呂歌」として語らせていただく。
この歌を「人麻呂作」として収載したのは、平安中期の1006年頃成立の第三の
勅撰集『
拾遺和歌集』。その名の通り、先行する2つの
勅撰和歌集『
古今集』(905)・『
後撰集』(950頃)で選に漏れた和歌を拾い集めたものとしての性格が強いが、古今歌人(
紀貫之ら)の作品を数多く収めた中で、人麻呂ら万葉歌人への再評価が行なわれたこともまたこの歌集の功績である。『
古今和歌集』(+『土佐日記』+ひょっとしたら『伊勢物語』?)を世に出すことで、日本の文芸の中心を漢詩から和歌へと塗り替えた、
後代の歌人にとっての大功労者である
紀貫之の107首入集に対し、人麻呂の作も104首入っているのだから、その評価の高さが知れるだろう。その人麻呂に代表される万葉時代の歌風は、技巧に走らぬおおらかな詠みっぷり、その題材としては当然、愛しい人への恋歌が多い・・・そこから、
『拾遺集』と言えば「恋歌」というほどに、
恋情を主題とする歌に見るべきものの多い
勅撰集となった。『
小倉百人一首』に収められた
『拾遺集』の11首中、実に8首までが恋歌である。
さて、この人麻呂の歌、言っていることは実に
他愛なくて、「今夜は愛する君と離れて、自分は一人寝の長い夜を過ごすことになるのかなあ」というだけ。そのキーワード「長ーい」を導出するためだけに、31文字中の前半の17文字「あしひきのやまどりのをのしだりをの」全てを使っている・・・こういう後続語句の呼び水として用いる語を「
序詞」と呼ぶが、詩を"目で読む"体質の(日本人によくある)読者にとっては、「"長い"の一言のために、こんな長ーい前置きを読まされるなんて、ウザいっ!」となるかもしれない。
一方、詩や
戯曲は音に乗せなければ生命が宿らないことを感性で知っている人にとっては、「あしひき-の-山鳥-の-尾-の-しだり尾-の-」と字面が重複して見た目にはうるさく感じた"O"音の繰り返しこそが、この歌の
真骨頂であることを感じ取るであろう。延々続く「O・・・」のエコーが、止まり木から垂れ下がる山鳥の「尾(O)」の空間的な長さを経て、一人で過ごす「夜(Y_O)」の時間的な長さへと、意味と音との絶妙のハーモニーを形成しつつオーバーラップして行った末に、「独り寝・・・かな、やっぱ」の
独白の
溜息でストンと落としてみせる、
anticlimaxの
寂寥感・・・人麿呂は、詩人である以前に音楽家、なのである。ちょうど
Edgar Allan Poeが、怪奇小説家である前に音楽的詩人であるが
故に、英語のリズムに乗って読んであげないことには(日本語翻訳版などでは)その作品のえも言われぬ味わいの大部分を捨ててしまうことになるのと同様に、人麻呂の歌も、音読を求める旋律的な味わいをこそその愉悦の中核とするものなのである。
詩を
愛でる人は大勢いるけれど、詩を目で見る人・頭で読む人・意味で切り分けようとする人と、音楽として肌で味わう人との断層は大きい。見た目で意味を取る傾向が強い漢字表記文化圏の日本には、表音文字圏の英語世界よりも「目読み人」が多く、そうした人々と正統派「音聞き人」を分ける試金石に、この歌などは、なるであろう。