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月見ればちぢに物こそ
  悲しけれ
    わが身ひとつの秋にはあらねど

The sight of the moon sets me namelessly sad,
As if her radiant gleam were solely for my grief.
Am I alone on earth in selfish wayward sigh?

『小倉百人一首』023
つきみれば ちぢにものこそ かなしけれ
 わがみひとつの あきにはあらねど
大江千里(おほえのちさと)
男性(官歴あり=883-903)
『古今集』秋上・一九三
月を見ると、あれこれ思いが交錯して、
物悲しいことだなあ・・・
べつに、秋の風情は、
この私一人を悲しませるためにあるのではないけれど。
【文法・修辞法】本説取り+係り結び
...modern Japanese/English part: Copyright(C) fusau.com 2009
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品詞分解
つき【月】<名>
みれ【見れ】<他マ上一>已然形
ば【ば】<接助>
ちぢに【千千】<形動ナリ>連用形
もの【物】<名>
こそ【こそ】<係助>
かなしけれ【悲しけれ】<形シク>已然形・・・「こそ」との係り結び
わ【我】<代名>
が【が】<格助>
み【身】<名>
ひとつ【一つ】<名>
の【の】<格助>
あき【秋】<名>
に【に】<助動_断定>連用形
は【は】<係助>
あら【あら】<自ラ変>未然形
ね【ね】<助動_打消>已然形
ど【ど】<接助>



修辞法
本説取り
「燕子楼中、霜月夜秋来只為一人長。」『白氏文集』(白楽天)を踏まえる。
燕子楼の中に霜がおりる月夜、秋はこの私ただ一人のために来、そして長い)
・・・「本説取り」とは、著名な古典的文芸作品の一節や名場面を踏まえた上で、その世界観を自歌の背景へと折り重ならせて複層的な味わいを醸し出そうとするもの。平安末~鎌倉初期に「本歌取り」と並んで作歌技巧の一つとして藤原俊成とその息子藤原定家らによって提唱された技法であり、平安初期の『古今和歌集』の頃にはその名すらもなかったが、漢詩文が和歌を圧倒していた当時の文芸状況の中で、多くの歌人は中国の古典を踏まえて和歌をんだ。
解題
 この歌の創作動機には、次の漢詩があったようです:「燕子楼中霜月夜秋来只為一人長」『白氏文集』(白楽天)。
 「霜月夜」とあってもこれは日本語ではないので「11月の夜」の意味ではなく、「(燕子楼という建物の中に)霜が降りる月夜」のこと。物思いにりつつ月をめる秋の夜長は、この私一人のためにのみ長い(かのように感じられる)、というその詩情を踏まえつつ、そこに一ひねりを加えて、この和歌の詠み手は「別にこの私一人のためにのみ悲しい秋ではないのだけれど・・・月を見るとあれこれ物悲しい」としている訳です。もっともこの歌の場合、そんな元ネタが解ろうがわかるまいが、詩として独り立ちして読める内容なので、白居易の漢詩の話はどうでもいいと言えばどうでもいいのですけど・・・。
 このように、著名な詩歌や物語の情趣や場面を下敷きにしつつ、その上に独自の世界観を加えて自作の歌を作ることを、「本説取り」と呼びます。もっともこの呼び名は遙か後代に生まれたものであり、この歌が収められた『古今和歌集』(905)の頃にはそうした呼ばれ方はされていませんでしたが、その種の古典的名作世界の織り込み歌という趣向の作品は既にもう沢山生まれていました。当時はまだ和歌が日本の文芸の主流にはなっていなかったので、宮廷男子ならば誰もが知っていた有名な(『白氏文集』や『文華秀麗集』等に含まれる)漢詩文がその題材になる例が多く、この歌はそんな典型的な一作です。
 作者大江千里は、学者の家系として有名な大江氏の出身。儒者(当然、漢文の専門家です)・兼・歌人であった彼の和歌の実力は可もなく不可もなしといった感じ(漢詩は殆ど残っていないそうです)。『古今集』には十首入集していますが、この歌同様の漢詩からの「本説取り」(というか、これはもうひねりも何もない「本歌取り」的翻訳ですが)は次の一首のみ:
 あしたづのひとりおくれてなく声は雲のうへまできこえつながむ
 元歌=「鶴鳴于九皋、声聞于天」『詩興』
 「仲間に遅れて一羽で鳴く鶴の声(・・・昇進が遅れている役人の嘆願の象徴・・・)を、雲の上(・・・天皇のいる宮中の象徴・・・)までどうか届けてほしい」
 漢詩の引用は別にいいけど、文芸手腕を見せるついでにちゃっかり出世嘆願してるみたいな姑息さは、少々興醒めです(・・・私が帝なら、軽くスルー、ですね)。ついでながら、彼自身の官位の最高位は従五位上、決して高くありませんでした。
 「本説取り」ということで言えばこれまた有名な一作を、彼の家集『大江千里集』から:
 照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき
 元歌=「不明不暗朧々月夜」『白氏文集』(白楽天
 結句の「如くものぞなき=他の何ものもかなわない」だけが千里独自の創案ですが、全体的に綺麗にまとめてありますね。この歌は、彼の歌としてよりむしろ『源氏物語』「花宴」に(替え歌的に)一部引用されたことで有名になりました。光源氏と不義密通の関係になり、彼が須磨に流れる遠因ともなった女性が、この歌の結句を「朧月夜に似るものぞなき」と口ずさみながら歩いて来るのを源氏に見初められたことから、彼女は「朧月夜」と呼ばれることになります・・・つまりここでは、作者の紫式部が、百年昔の漢詩に通じた歌人の「本説取り」を、更に『源氏物語』へと「本説取り」している訳です。この『源氏物語』に採用という"威光"が、更に二百年後にもこの歌を『新古今和歌集』(春上・五五)へと押し入れます。こうなると「本説取り」の三重奏といった感じですね。三者三様に、誇らしげに、引き合いに出している姿が目に浮かぶようです。
 話戻って、この23番歌は、初の勅撰和歌集『古今集』に先立つ『新撰万葉集』(上巻・893年、菅原道真の私撰集的に成立)の収録歌集めの色彩の濃かった「是貞親王家歌合」で披露されたものでした。自らの漢詩の蘊蓄を示す点では作者が面目を施し、その元歌を即座に思い浮かべることが出来れば聞き手もまた得意な気分になる、という点で、この種の「本説取り」は、高尚なる文芸の集いを自負する歌会にはまさにうってつけのものだったと言えるでしょう。
 もっとも、この種の「例のアレ」というのは、一歩誤れば「私たちの世界じゃあ、これ、有名な話なんだけどね・・・君、知ってる?・・・え、知らないの?・・・それは困りましたねえ・・・常識よ、こんなの、私たちの間では・・・」という排他的内輪ネタ趣味に容易に堕する代物・・・なんか、現代日本でも、こういうゲーム、よくやってません?
 真に知るに値する知識か否かなど二の次で、「知っている、ということが前提の人々の輪から、弾き出されないためには、必死に知りに行かねば始まらない」という無意味な強迫観念にせき立てられて走り続ける愚かな謎解きマラソンや、部外者を弾き飛ばす内輪の優越感のための「約束事のための約束事」の横暴ぶりに、大方の新参者がペッと唾を吐いてそっぽを向くようになれば、その世界にはもはや、のように濁った倦怠と、遠からぬ自然消滅が、待っているだけ・・・。
 短歌の世界は、平安末~鎌倉初期の『千載和歌集』・『新古今和歌集』の頃には、そうした閉塞状況に陥っていました。「本歌取り」・「本説取り」の異常なまでの横行はその最も顕著な症例です。あまりの「本歌取り」の乱発に、「制詞」などといって、「この歌のこの句は以後他の歌への転用を禁ず」という禁令を(そんなことする歌学的根拠があるわけでもないのに)出す歌のセンセやら歌学書やらが出る始末・・・完全に、異常、少なくとも、自然な文芸状況ではなくなっていたことが、この「制詞」なる恣意的な「言葉狩り」の一事のみからも感じ取れます・・・何時の間にやら誰が決めたやらわからぬ「禁句」だの「放送禁止用語」だの「差別用語」だの「伏せ字」だの「漢字廃止のひらがな表記」だのの恣意的禁令が乱れ飛ぶ現代日本の貧弱極まる言語状況と、実によく似ていますね。
 その当時の和歌の大御所、『千載集』撰者の藤原俊成はこんなことを言っています・・・「源氏読まざる歌詠み遺恨のことなり」・・・何故『源氏物語』を読まなければ短歌作者として困るのか?・・・ここまでの論旨を正しく御理解戴いている読者には、もうお解りでしょう:散文も短歌も大量に含む『源氏物語』を共通の元ネタとしての「本説取り」や「本歌取り」の内輪ネタゲームに入って来られないから/その種の内輪ネタゲームを演じてばかりいる自分達のことを冷ややかな目で軽蔑する冷徹な文芸批評などされると(俊成たちが)不愉快だから・・・です。
 「本歌取り」に関して、俊成の息子藤原定家(『新古今集』・『新勅撰集』並びに『小倉百人一首』撰者)は、その元ネタを次のもののみに限定すべし、と言っています:「三代集・・・古今/後撰/拾遺の最初の三つの勅撰和歌集」及び「三十六人撰(・・・藤原公任が選んだ所謂"三十六歌仙"の歌のアンソロジー)のうちの"上手の歌"のみ」・・・馬鹿げた話でしょう?言ってみればこれ、こう言ってるようなものです:「伝説・文学・映画・音楽、と、踏まえるべき文化的伝統の元ネタはひっきりなしに増殖して追従のしようがないから、もう、これからはこうします:古代ギリシア・ローマ神話/聖書/シェイクスピア/ルーブル美術館・大英博物館・スミソニアン博物館に収蔵の芸術品、ただそれのみを"伝統的クラシック"と定めます。それ以外の何かを引き合いに出されたって、何が元ネタか、こっちの理解が追いつかないので、そんなもの文化・芸術としては一切認めませんからそのつもりでッ!」・・・西欧人にこの話をしたら、彼らは笑い出すことでしょう:「これ、どこの学校の定期試験に関する取り決めだい?」って・・・絶えず成長を続ける「文化」という生き物にこんな形の首輪をつけて飼い慣らそうなんて、文化的西欧人なら誰一人考えもしません・・・これが日本の「文化」というやつの限界なのです・・・本源的発展性がなく、一部の思慮浅き者達の野放図な振る舞いや身勝手な取り決めによってどんどん惨めに先細りして行き、ついには自業自得の形で死滅する内輪芸なのです・・・和歌は本来そういうものではなかったのに、平安末期にはそうした代物に成り下がってしまっていたのです。
 そうした本源的事情を知りもせず、エラいセンセの言うことだから間違いない、とばかりこうした言辞鵜呑みにして、「源氏物語は歌詠みのバイブル」などとホザく迷惑な阿呆連中だの、チマチマした「本説取り」・「本歌取り」の約束事だのが大威張りでのさばるようになれば、歌の世界はどうなることか・・・一般人はそれを、次の事実のみからでも十分推し量ることができます:所謂勅撰和歌集の「八代集」は『新古今集』でおしまい/その後の所謂「十三代集」はその他諸々の扱い。・・・つまり、和歌は、平安の世と共に、滅びたのです:その文芸的命数が尽きたから死んだのではなく、内輪芸に狂奔する歌人の迷走が過ぎたからこそ、内輪の外の人々から冷ややかに見殺しにされてしまったのです。
 平成の今もなお、日本人の間には、ヘンに雅びを気取った和歌・俳句の類を引き合いに出す人々への、殆ど反射的・本能的とも言えるような嫌悪感が根強く残っているのを、この筆者(の詩人的感性)は折々感じることがあります。一方で、ギリシア・ローマ以来の「引き継ぐべき価値ある伝統」のみを律儀に選別しながら後代へと引き継ぎ、折に触れて日常的に引用する西欧人の至極自然的な文化の様態もまた、この筆者にとっては既にsecond nature(第二の本性)となっているので、それとの対比で捉えた場合の大方の日本人の「過去の文物(彼らにとっては"遺物")に対する反射的拒絶感」はあまりにも異様だと感じますが、一方では、「本歌取り」・「本説取り」の横行(等)が招いた一般世界からの嫌気もまた、当然のことだったろうなぁとも思うのです。「ヘンに気取って昔の雅びを持ち出す連中には、反吐が出る!」という文言で総括し得るこの種の気分は、古文を学ぶと、江戸時代の武家の間にも極めて濃密に漂っていたことを知ることが出来ます(例:「業平侍・・・在原業平じゃあるまいし、和歌ごときにうつつを抜かして武道はお留守の名ばかりの武士」と冷ややかに言い放つ徳川家康の言葉など)。今の日本に、俳句めいた五七五をひねり出す人の数は多くても、その殆どは本当に「俳諧=こっけい・おふざけ・冗談コトバ」として十七文字を並べただけ、「川柳」と呼ぶことさえられるような代物揃いで、そうした「戯れ芸」以上の真面目な文芸としての俳句を考えるなどは論外、本能的に笑い飛ばして煙に巻いてしまい、川柳以下の十七文字へと引きずり下ろしては笑いとともに予定調和に逃げ込みたがる生理的反射神経が働いている日本人が大部分:「季語」その他の俳諧世界の排他性への「国民投票」の結果がこれだろう、と私には感じられます。ましてや、上の句だけでカタが付く十七の戯れ句ならぬ三十一文字の短歌など、真剣か冗談か以前にまず、腰折れ以前にまず、適当な下の句を付けること自体出来ずに終わる人達が多いだから、そもそも今の日本に短歌詠む人がどれほどいるのかしらん、と危ぶまれるこの現実・・・その全ての禍根が「本歌取り」や「本説取り」にあるとはせぬまでも、内輪芸の排他性によって弾き出された一般日本人の800年分の怨念は確実にそこに漂っている気配が(私の詩人的感性にはとっても)濃密で、返す返すも「知る人ぞ知る」的な蘊蓄だの技巧だの約束事だのの類は、つくづく両刃の剣だなぁ、と溜息つかずにおれません。
 そんな次第で、「本歌取り」・「本説取り」は控えめに。詠んでも、読んでも、誇らずに・・・それが世のため、和歌のため。ひいては謙虚な我のため。
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