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心あてに折らばや折らむ
  初霜の
    置きまどはせる白菊の花

White as frost first down on the wintry ground
Mocking my bewildered eyes unable to say which is which,
Chrysanth, are you inviting me, "Pick me up, if you can"?

『小倉百人一首』029
こころあてに をらばやをらむ はつしもの
 おきまどはせる しらぎくのはな
凡河内躬恒(おほしかふちのみつね)
男性(c.859-c.925)
『古今集』秋下・二七七
初霜の降りた地面は真っ白で、
白菊の花と見分けも付かぬほど・・・
どちらの白に手が触れるか、ひとつ、
当てずっぽうに折り取れるものなら手折ってみようか。
【文法・修辞法】係り結び
...modern Japanese/English part: Copyright(C) fusau.com 2009
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品詞分解
こころあて【心当て】<名>
に【に】<格助>
をら【折ら】<他ラ四>未然形
ば【ば】<接助>
や【や】<係助>
をら【折ら】<他ラ四>未然形
む【む】<助動_意志>連体形・・・「や」との係り結び
はつしも【初霜】<名>
の【の】<格助>
おきまどはせ【置き惑はせ】<他サ四>已然形
る【る】<助動_完了>連体形
しらぎく【白菊】<名>
の【の】<格助>
はな【花】<名>
解題
 「心あてに」は現代語で言えば「当てずっぽうに」。見当が付かない中で、とりあえずこれ、と山勘で事を為す言い回しである。どんな事を為そうとしているかと言えば「折らばや折らむ=折る、というのなら、折ってみようか」・・・何を折るのかと言えば「白菊の花」、それを折るのに何故「折る、というのなら」などと仮定形を用いているかと言えば、「初霜の置きまどはせる」、即ち、「地面に降りた初霜の白と、白菊の白とが、同じ色をしているのでどちらがどちらかわからない」から、それを敢えて「心当てに=当て推量で」もし「折る、というのなら、折ってみようか」という絡繰りである。未だ和歌が漢詩に圧倒されていた時代を反映して、歌題の「白菊」といい「白い初霜」との対比といい、漢詩の香りを色濃く漂わせる歌である。
 文法的なことを言えば、「折らばや折らむ」の「ばや」は、願望の終助詞ではなく「ば+や」の連語形である点に要注意。仮定条件(もし・・・だとすれば)の「ば」に疑問の係助詞(・・・だろうか)の「や」を付けたものなので、これと対応する末尾の推量(というよりこの場面では意志)の助動詞「む」は係り結びで「連体形」となる(疑問の表現との呼応は、たとえ係助詞を伴わずとも常に連体形で結ばれる・・・こういうのも立派な「係り結び」である)。
 現代的感性から言えば、この詩の主意を考えた場合、「折る"ことが出来る"ものなら折ってみようか」の方が自然に思われるであろう。そうなると、可能の助動詞「る(の未然形"れ")」+「ば」をんで「折ら"れば"折らむ」になるである:が、実際には「折らばや折らむ」・・・何故であろうか?・・・語呂が悪いから?ハズレ。答えは「可能の助動詞"る・らる"は、否定形でしか使わない」というのが鎌倉時代以前の古典文法の常だからである。中古までの「る・らる」は否定文(または、実質的に否定の意になる「反語」としての疑問文)でしか用いず、肯定形での「る・らる」の登場は鎌倉時代まで待たねばならなかった。この歌の詠まれた平安前期には「折ることができない(=をられず)」とは言えても「折ることができる(=をらる)」という言い方は成立しないのである。
 より本質的な言い方をすれば、上代~中古までの日本では、「事の成否」に関し、「・・・できる」という能力性に着眼する発想はなく、専ら「・・・成る」という自然発露的な事態の展開として捉えていた、ということである。換言すれば、「人為的努力により事を為す」ことよりも「自らが手を下さずともいつの間にか事が成っている」のを尊んだということである。古文の中では「手づから・・・す」は「下賤の者の振る舞い」としてまれ、貴人は殆どの事を自らの手を用いず他者に「す・さす」(使役)が常態であって、助動詞「る・らる」の意味とて当然この時代には「意志と努力で・・・出来る」(可能)ではなく「自らやらずとも自然に・・・に成る」(自発)なのである。逆に言えば、可能の助動詞「る・らる」が付随しておらずとも、現代的に見てそこに「可能性」を読み取ることが出来る場面なら、「・・・る」ではなく「・・・できる」と解釈してよい場合がある、ということでもある。この観点から言えば、この歌の第二句「折らばや折らむ」を「折ることが"出来る"ものならば、折ってみようか」と訳すことも出来る訳である。
 社会学的観点から論ずるならば、「・・・できる/・・・できない」の「有能/無能」性について考察する時、そこには必ず「誰によって(by whom)?」という問題意識が伴うことになり、その「事を為したる者」に対する正当なる評価(give credit to someone for something:ある事を為したる行為者としてある人物を顕彰する)という意識が生まれ、そこから「有能なる者がその能力故に重んじられ、無能なる者はその能力の低さ故に軽んじられる」という能力主義(meritocracy)が制度としての確立を見る事になる・・・のであるが、中古の日本にはそうした「能力相応主義」がなく、専ら「家柄・身分・役職」等の既存の社会の枠組みに応じた「分相応主義」が幅を利かせており、無能な貴人の有能な部下が「為したる事」も、名高き貴人の下で「成りたる事」として自然に受け流され、「その事が何故に成ったか」の検証も「事を為したる者」への顕彰もまともに行なわれることはなく、無能でも社会的に上にあれば万事に於いて恵まれ、有能でも社会的に劣位に置かれたら万事に於いて報われぬ、という(現代の基準で言えば)「不公正極まる格差社会」(・・・当時の恵まれた貴人連中の感覚で言えば「安定社会」)が、平安の世の日本であった、ということである。
 そうした世にあって数少ない能力主義的出世物語の例外として、平安前期の(強権政治家藤原基経の死、という幸運なる間隙を縫って、陰の黒幕たる「藤原氏の摂政・関白」を置かずに天皇親政を行なうことができた)宇多天皇の下で、下級貴族の出身ながらも卓越した学才と官僚的才覚ゆえに身を起こして右大臣にまで昇りつめた菅原道真の例がある・・・が、その彼とて最終的には既存最大勢力である藤原一族の怨嗟の対象となり、左大臣藤原時平讒言容れ次代醍醐帝の時に太宰府に左遷されて非業の死を遂げることになる・・・平安貴族にとって、有能なる下位者は、自らの惰性的繁栄の基盤たる世襲的権勢の土台を食い荒らす抹殺すべきシロアリだった訳である・・・道真の太宰府左遷は、中古日本の貴族社会と能力主義との折り合いの悪さを示す象徴的事例と言えよう。・・・以後の平安貴族社会が、門閥重視の陰で個人の有能性を如何に軽んじたかは、歌論を趣旨とするこの文章でくどくど蒸し返すまでもなかろう:敢えて文芸論に相応な形で述べるなら、「平安中期~後期には、中小貴族は歌詠みとしての能力磨きに血道を上げたが、それは、たった一首の秀歌をきっかけにして、上位者の目にとまり、出世の機会を捉える"面歌"をものにせんとしてのことであった。『古今集』撰者達とて歌に託しての出世願望を盛んに詠んでいるし、後代に乱発される"待つ宵の小侍従"だの"沖の石の讃岐"だのといった"面歌+人名"の二つ名や、歌の才能が現世的幸福をもたらすという"歌徳説話"の氾濫もまた、能力主義が圧殺される社会の中でのいびつな自己顕示欲の表出現象と見ることができよう」という事になろうか・・・現代的に言えば、「ウチの会社の枠組みはもうガチゴチに固定していて、いくら仕事が出来てもダメ、上司のコネでしか出世できないから、せめて上役の気に入るように、カラオケやゴルフでの御相伴の腕を磨くしかない」というのが、平安時代という「溜め池の水の如く動かぬ淀んだ安定期の日本の処世術」という事である。・・・そんな平安時代の、発展性なき頭打ち社会構造の中で、貴族たちの停滞と頽廃に歩調を合わせるようにして、和歌もまた『古今集』当時の清新の気を失って行き、平安末から鎌倉にかけての『千載集』・『新古今集』を最後の大輪の花として咲かせた後は、朽ち木如く倒れず伝わりながらも、生きて花咲く国民的文芸としては、生き長らえることなく終わってしまった。・・・その一方で、鎌倉期以降、「る・らる」は肯定的な「可能・能力」の意を表わす実力派助動詞として「・・・できる」の意味を獲得し、自ら事を為す生き方を貫く武士たちは実力にモノ言わせて「なよなよ平安人」どもを押し退けて政界の前面に踊り出、中世日本のダイナミックな歴史を武力で動かすことになるのである。
 折角の白菊の花の色が、白けた時代の社会学的批判で色せてしまったか。
 この歌の詠み手凡河内躬恒、あの『古今和歌集』の四人の編者のうちの一人で、下級貴族ながら歌詠みの才を買われて編者に抜擢されたのは、他の編者達と同様・・・歌才で世に出た最初期の人達、と言はばや言はむ人々なれど、残念ながら彼らは官途には恵まれなかった:「歌徳説話」の御利益は、秀歌の輝きをもって貴人の注目を引くところまで、であって、歌才以外に自分を売り込む材料がなければ出世できる道理もないのである・・・もっとも、今の世にあっては、「凡河内躬恒古今集の編者にして、入集62首、紀貫之の105首に次ぐ第二位」の実績のほうが、官位より遙かに価値ある名誉ではあるが。
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