解題
この歌については、同じ作者(
文屋朝康・・・「
六歌仙」
文屋康秀の息子とされるが、残された歌は少なく、詳しい経歴も不明)の作品で、『
古今集』(秋上・二二五)に収められた次の和歌と並べて解釈すべきであろう:
秋の野におく白露は玉なれやつらぬきかくる
くもの糸すぢ(『
古今集』秋上・二二五)
秋の野に光るその白露は、美しく輝く
真珠か
数珠か・・・白玉を貫くように掛け渡されたその糸のきらめきの正体は、何なのだろう・・・そう思ってよく見ればそれは、
蜘蛛の巣の上の露のしずくが秋の
陽差しを浴びて輝いているのだった。
「
是貞のみこの家の歌合によめる」とあるので、『
古今和歌集』(905)に先立つ(形の上では
菅原道真編の私撰集)『
新撰万葉集』(上巻・893年成立)の収録歌集めのために
宇多天皇の兄の
是貞親王家で催された
歌合せの席上歌とわかる。この「
蜘蛛の糸筋」の歌と、「白露に・・・」の第37番歌は、同じ場で披露された姉妹歌なのである。
第37番歌「白露に・・・」の
勅撰和歌集に於ける
初出は『
後撰集』(950年代成立)で、その
詞書には「
延喜御時、歌めしければ」即ち「
醍醐天皇(
宇多天皇の
次代)の治世、天皇から"歌を詠め"と命じられたので、詠んだ」とあるが、これは全くの
出鱈目。実際には既に上述の『
新撰万葉集』の中にこの歌は(姉妹歌ともども)収録されているので、正しくは「
寛平御時、歌集作る
為詠みける」とでもなろうか・・・まぁ、このあたりは軽く流しておけばよい:日本の和歌集の「
詞書」の
杜撰極まる
恣意性を示す無数の事例の一つでしかないのだから。
さて、その37番歌の姉妹歌の「秋の野に置く白露は玉なれや貫き掛くる
蜘蛛の糸筋」では、最初に「秋の野原に、キラリと光る白い露がある(まるで
宝玉の輝きのようだ・・・)それにしても野原に何故
真珠の糸が?」と、美しい情景を謎めいた形で置き、見る者の好奇心を引き付けた末に、種明かしとして
下の句にその正体を倒置法で置く、秀逸な技法が光る・・・が・・・その正体は「
蜘蛛の巣に光る(雨粒の)露」・・・!o!・・・
蜘蛛の糸とその節々に光る露とをまとめて「白糸が
宝玉を貫くような形で(木々の葉っぱや枝の間に)掛け渡されている」と形容するその美的センス自体は、「古今調」の見本として賞賛したいほどに素晴らしく光っている・・・が、人によってはこれを悪趣味と見るかもしれない:自然の景物の中でも「虫」絡みの題材は(読み手
次第では)その受け止められ方が微妙であるし、クモに対する生理的反発から反射的にこの歌を
忌避する人もいるかもしれない(西欧には"arachnophobia=
蜘蛛恐怖症"という病名だってあるくらいである)。
だが、実際に
蜘蛛の糸の上の露のしずくをじっくり観察したことがある人間ならば、知っているであろう ― 滑らかな白糸のようなあの
幾何学模様の繊細なる構造物の上で、小さなものの代名詞の「露」が、いかに思いのほか大きく見えることか。
縦横に張り巡らされていながらも、まるで霊妙な雲の
如く空気の中に霞んで見える
蜘蛛の巣(だからこそ、虫たちもその網にひっかかるのだ)という舞台の上で、あるいは白く、あるいは透明に、あるいは虹色さえ帯びて輝く小さな露が、いかに堂々と「主役」の座を演じていることか。吹き寄せる風に
靡く木々の枝や草葉のそよぎに連動して、掛け渡された
蜘蛛の糸が揺れる時、その上で
束の間の主役の輝きを放っていた露のしずくが、まるで命ある生き物のように糸の上を滑らかに舞い踊っては、
蜘蛛の巣の端で立ち止まり、そこへ後から次々仲間の露たちも押し寄せてきて、やがて
一塊の大きな玉となり、自らの重みに耐えきれず、やがて弾けるようにあの白糸の舞台から弾き出されては、最後に
束の間の舞いを踊りながら、空中へ、そして地面へと消えて行くそのさまを。
上述の観察所見に於ける最後の部分の情景を、第37番歌では「貫き止めぬ玉ぞ散りける・・・糸でつながれた玉の群れが、糸でつなぎ切れなくなって、パッと散ってしまった」と描写しているのである。それに先立つ「白露に風の吹きしく秋の野は」では、末尾の格助詞「秋の野"は"」は、本来なら「秋の野"に"」でなければ文法的に意味が通らなくなるが、初句「白露"に"」との重複を嫌ったものか、あるいは単純な記載ミスが
流布したものか、いずれにせよこの程度の文法的不整合性は、詩文の中に於いては許容されるものである(英語世界で言う"poetic license:詩的許容・寛大・自由"の範囲内に収まるものである)。
かくて、自然の片隅の繊細な情景へと、この詩人は、顕微鏡的な観察の視線を注いでいる。「貫き掛くる
蜘蛛の糸筋」の歌でまず、その白玉のように小さな露の
蜘蛛の巣上での大きな存在感にじっと目を凝らし、「貫き止めぬ玉ぞ散りける」の歌では、その白玉が風に揺られて散り行く
儚い散華の様態を最後まで見送っている。これら両歌は、顕微鏡的視線で「露」の一生を追った、言葉による観察スケッチとも言うべき
精緻な絵画的連作を成している。
ここまで読めばもうお気付きであろう ― この観察を可能にするために、これら両歌に於いて必須の舞台設定となるのが「
蜘蛛の巣」なのである。傾斜角度が一定限度を超えて
急峻にならぬ限り、「露」はあらゆる物体の上に置くものである。草葉の上にも宿るであろうし、実際、歌に詠み込まれる露の置き場は、大抵「草の上」と相場が決まっている。が、この歌の「露」にとっては、草葉の上は場違いである。その誕生(厳密に言えば、詩人による発見)から死(空中への
散華)に至るまでの過程を、「露」を主役とした
ドキュメンタリーとして追跡する上で、「葉っぱの上」は、好適な舞台とは言えない:真上・真横から見た場合以外、草の上の露は、観察者の視線からは死角に入って見えないのであるから。あらゆる角度から、いかなる視線の遮断をも伴わずに、「露」のみを主役として観察の中心に据えて見ることを許す舞台装置としては、「目立たぬ形で
縦横に張り巡らされた
蜘蛛の巣の白糸」以外、あり得ないのである。
この
絡繰りを、しかし、「
蜘蛛の糸筋」の
文言を含まない第37番歌のみから見抜くことは、昆虫学者でもない限り、
余程精緻な自然観察眼の持ち主でなければ不可能であろう。やはり、「貫き掛くる
蜘蛛の糸筋」と「貫き止めぬ玉ぞ散りける」の二つは、姉妹歌として並べて見るべきものなのである。さもなくば、37番歌の真の情景は浮かんでくるまいし、また、死に際の「
散華」のスケッチ(37番歌)のみ見て、
生の
最中の「
燦めき」の情景を無視するのも、「露」に対して無情に過ぎはしまいか?
という
次第で、「姉妹並べて見ること/
蜘蛛の巣の上で見ること」という二つの条件を満たして初めて、本物の絵が見えてくる、という何とも不思議な歌たちではあった・・・が、上述の解題で全ての事情を知った後で、この第37番歌の露の
散華の舞台を「草葉の上」と定めた誰か別の人の解釈を見た時に、その解釈者の観察の甘さを
得意気に指摘するのは、厳に慎むべきである。そんなことをするのは、他者を
貶めることで相対的に自らを優位に置くことぐらいでしか、他者に抜きん出て自己主張することの出来ぬ本質的無能力者だけである。鬼の首でも取ったかのようにエラそうにそんなことする前に、自分自身がどうやってその「他者が知らない
精緻な観察所見」を得たか、思い出すがよい:すべて、この解説者の解題の受け売りではなかったか?・・・この解説者は、間違ってもそういう「鬼首取柄門(オニクビトリエモン)」の愚かな様態は取らない ― 手柄は自分自身を大きくして立てるものであって、他者を小さく見せて自分を引き立てるべきものではないということを知っているからであり、同時にまた、「いかに美しい自然の情景でも、それが"
蜘蛛の巣"に引っ掛かっていることを知った途端、キャー!と叫んで逃げ出す人々に、この歌の良さを伝えるためには、不本意ながら"草葉の上"に舞台を移さねばなるまい」という打算的知性の持ち合わせがあるから、でもある。