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八重葎茂れる宿の
  さびしきに
    人こそ見えね秋は来にけり

This residence in the old days haunted by lots of guests
Is now the host of weeds too thick to invite folks.
What still deserts it not is faithful wind of fall.

『小倉百人一首』047
やへむぐら しげれるやどの さびしきに
 ひとこそみえね あきはきにけり
恵慶法師(えぎゃうほふし)
男性(行幸参加記録あり=986)
『拾遺集』秋・一四〇
かつて源融塩釜模して豪奢に暮らしたこの河原院も、
今は幾重にも雑草が茂って寂しい限り・・・
寂しすぎて誰ひとり人は訪ねて来ないこの場所に、
しかし、秋だけは変わらずやって来るのだなあ。
【文法・修辞法】本説取り+係り結び
...modern Japanese/English part: Copyright(C) fusau.com 2009
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品詞分解
やへむぐら【八重葎】<名>
しげれ【繁れ】<自ラ四>已然形
る【る】<助動_完了>連体形
やど【宿】<名>
の【の】<格助>
さびしき【寂しき】<形シク>連体形
に【に】<格助>
ひと【人】<名>
こそ【こそ】<係助>
みえ【見え】<他ヤ下二>未然形
ね【ね】<助動_打消>已然形・・・「こそ」との係り結び
あき【秋】<名>
は【は】<係助>
き【来】<自カ変>連用形
に【に】<助動_完了>連用形
けり【けり】<助動_詠嘆>終止形



修辞法
本説取り
ふ人もなき宿なれど来る春は八重葎にもらざりけり」『新勅撰集』春上・八(紀貫之)を踏まえる。
(人は誰一人もう訪れることもない荒れ果てた住み家なのに、それでもやって来てくれる春という季節だけは、はびこる雑草も気にしない律儀な訪問客なのだなあ)
解題
 この歌は、源融がかつて風流の限りを尽くして遊び暮らしたという「河原院」に、彼の曾孫安法法師が、歌人仲間を招いた際、昔の栄華ぶ歌として、恵慶法師という人(播磨の国の歌僧)が詠んだ歌。
 第14番歌陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに」の作者でもある源融は、筋金入りの"東北ヲタク"。なにせ、「陸奥はいづくはあれど塩釜の浦漕ぐ舟の綱手かなしも」(『古今集』東歌・一〇八八・よみ人しらず・・・東北名物色々あれども、何と言っても第一番はあの塩竃の浦。浜辺を漕ぎ行く船が船引く引き綱の、しみじみ心に染みることよ)とわれたその「塩竃」に魅了されて、京都の六条に難波(今の神戸の尼崎)の塩を大量に運び込んで"疑似塩竃"として「河原院」を築いたことで「河原左大臣」の異名を取り、塩にまつわるその故事ゆえに尼崎琴浦神社祭神となっているほどの人物なのだから。彼は元来皇族の血統で、あの「陽成天皇(13番歌作者)→光孝天皇(15番歌作者)」交代劇の際に、「自分だって皇位継承候補者」と名乗りを上げたものの、時の権力者藤原基経に「一旦臣籍降下して"源"姓を賜わった者が、再度皇位にいた例はない」として退けられた人(・・・なのに、光孝の次の醍醐天皇は、一旦臣籍降下した後で皇族に復帰し帝位にいている・・・中古日本の政治世界の仁義なんて、所詮こんなもの)。
 と、政治的には不遇だったものの、とにもかくにも羽振りだけはよかったその源融栄華も、三代も下ってこの歌の舞台となったひ孫の代には既にもう見る影もなく、「伝説の河原院」にもまた"八重葎(=雑草)"が生い茂って荒れ放題、宿は寂れて、人は誰もわなくなっている中、律儀に巡る季節だけが、今では唯一の訪問客・・・と言いつつその「河原院」に幾人もの歌人を招いて催された優雅なる歌会で作られたのがこの歌なのではあるが(日本の文物に於ける事実性軽視の姿勢なんて、所詮こんなもの)・・・そしてまたその寂しい風情を、びしく寂れた当の三代目の安法法師ではなくて赤の他人の恵慶法師が「この宿の何と寂しいことよ」と詠んでいるところが現代日本なら主人への面当てにも思えて何とも不謹慎に感じられるところ(だが、題詠・代詠なんでもござれの日本の古典文芸では、こうした「他者へのなりすまし芸」はお手のもの)・・・かつまたこの歌の「人が見捨てた寂れた宿に、季節は見捨てずやって来る」という詩情そのものまでもが、この詠み手の独創でも何でもなくて、古歌で既に確立されていた詠歌作法にっただけのもの(mannerism・・・マンネリそのものだが、和歌の多くはこんなもの)・・・下敷きになった作品(の一例)として、この作者からほぼ1世紀前の歌人紀貫之の歌を挙げておこう:
 「訪ふ人もなき宿なれど来る春は八重葎にも障らざりけり」(『新勅撰集』春上・八)
 人は誰一人もう訪れることもない荒れ果てた住み家なのに、それでもやって来てくれる春という季節だけは、はびこる雑草も気にしない律儀な訪問客なのだなあ。
 ・・・季節が春/秋と変わっている以外、詠まれている内容は何一つ変わらない・・・ので、この第47番歌は貫之からの「本説取り」としておこう。独自の発想は何一つないので「本歌取り」としてもよさそうだが、直接重なる文言の「八重葎」は「寂れた住み家」を象徴する語としては一般的だから「本歌からの引用句」とは必ずしも言えないし、「人」・「宿」・「来」・「けり」も同様なので、「本歌取り」と言うには難があるからだ。
 何から何まで借り物でしかなくオリジナリティのかけらもないこんなヴァーチュアル懐古ソングを、『小倉百人一首』に藤原定家が加えたのは、平安という時代そのものが寂れて崩れて武家の世が来て、昔を懐かしむ鎌倉初期の最後の平安人たる定家の気持ちを代弁する歌としては、好個のものだったから(貫之には第35番歌「人はいさ・・・」で登場願うことになるし)といったところであろう。それに加えてもう一つ、次のような「政治的理由」をも指摘することができる。
 歌のテーマとしては、この47番歌と全く同じものに、『小倉百人一首』巻末を飾る第100番歌百敷や古き軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり」(順徳院)がある。この点から考えると、100番歌が存在する限り、この47番歌を採用する理由は皆無、とも言える。逆に言えば、100番歌が欠番であって初めて、この47番歌の存在理由が生じる訳である。その「100番(及び、後鳥羽院の作品である99番もまた)欠番」という"変形百人一首"が、実際、存在したのだ:『百人秀歌』というのがそれである。
 武家に屈して政治の実権を失った後鳥羽天皇とその息子順徳天皇は、定家のパトロンであり、歌仲間でもあった。が、「承久の乱」の罪を問われて後鳥羽院とその子順徳院流罪となった。そうした彼らの微妙な立場を考慮して、定家は、『百人秀歌』を"元・天皇たち"の99番100番歌抜きで編んだ。当時の和歌集によくある「政治的理由により、削除、または、伏せ字(=よみ人しらず)」というやつである。その『百人秀歌』の中に於いて「100番歌のピンチヒッター」として初めて意味を持つ代打要員が第47番歌だった、という推論が成り立つのである。100番歌をきちんと含む『百人一首』(その成立が『百人秀歌』の前か後かについては異説がある)に於いて重複するこの47番歌が何故別の歌に差し替えられなかったかの理由は不明であるし、上記の推論が正しいという確証もないから、一つの参考意見として参照して戴ければ幸い、というだけの話ではあるが。
 因みに後鳥羽院順徳院の二人の代わりに『百人秀歌』に"入集"していた歌人は、「一条院皇后宮=清少納言の御主人さまの藤原定子権中納言国信=村上源氏の源国信権中納言長方平清盛に福原から京都への再遷都を直言した"両京の定め"で有名な藤原長方の三人であった・・・ので、厳密には『百一人秀歌』ということになる。この数字の半端さや、『百人秀歌』に収められた和歌の幾つかが『百人一首』よりも古い語形である点から判断すると、<『百人秀歌』が最初に作られ、それを下敷きにして後日に『百人一首』が成立した・・・その時点で、後鳥羽院順徳院の歌を欠番にせねばならぬほどの政治的理由はもはやない、と定家は判断したので、彼らの歌で巻末を飾った>という説が成り立つ。一方、後鳥羽院順徳院欠番の事情を根拠に<最初に作った『百人一首』に政治的修正を加えた『百人秀歌』を作ろうとして、欠番になる二人の代打要員として三人の候補を選出した・・・が、二人の元天皇たちの欠番を強要するほどの政治的圧迫は及ばなかったので、『百人一首』をそのまま流布させ、『百人秀歌』は用無しとみて、"確定済みの98人"+"入集候補の3人"という下書きのままで放置した>と推測することもまた可能である。
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