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有馬山猪名の笹原
  風吹けば
    いでそよ人を忘れやはする

Breeze across the field of Ina at the foot of Arimayama
Sweeping away bamboo leaves along with loving memories?
What a coincidence, I feared as much, only about you:
Do you still remember me much as I'll never forget you?

『小倉百人一首』058
ありまやま ゐなのささはら かぜふけば
 いでそよひとを わすれやはする
大弐三位(だいにのさんみ)
aka.弁乳母(べんのめのと)
aka.藤三位(とうのさんみ)
aka.藤原賢子(ふぢはらのかたいこ/けんし)
女性(c.999-c.1082)
『後拾遺集』恋二・七〇九
有馬山から吹く風が、猪名の野原にそよぎ渡る時、
笹の葉が立てる「そよそよ」という音
・・・じゃないけれど、
そわそわと落ち着かぬ心持ちで
「君の心変わりが不安」と言ってくるあなた。
でも、私に言わせれば
「それそれ、そのことなんだけど、
あなたの心は大丈夫?」・・・
私があなたを忘れるなんて、
どうしてそんなことがあるものですか。
【文法・修辞法】掛詞+序詞+歌枕+係り結び
...modern Japanese/English part: Copyright(C) fusau.com 2009
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品詞分解
ありまやま【有馬山】<名>
 ゐな【】<名>・・・「猪名」
 いな【】<感>・・・「否」
の【の】<格助>
ささはら【笹原】<名>
かぜ【風】<名>
ふけ【吹け】<自カ四>已然形
ば【ば】<接助>
いで【いで】<感>
 そ【】<代名>・・・「其」
 よ【】<間投助>
 そよ【】<副>・・・「そよ」(風)
ひと【人】<名>
を【を】<格助>
わすれ【忘れ】<他ラ下二>連用形
や【や】<係助>
は【は】<係助>
する【する】<自サ変>連体形・・・「や」との係り結び



修辞法
掛詞
<ゐな・いな>
1)「猪名」(地名)
2)「否」(いいえ、そんなことはありません)
<そよ>
1)「そよ(風)」
2)「其よ」
序詞
「ありまやまゐなのささはらかぜふけば」は「そよ」を導く
歌枕
有馬山摂津の国)
解題
 「有馬山猪名の笹原風吹けば」は、続く「いでそよ」を導くためだけに置かれた「序詞」。「そよそよとそよぐそよ風」と「いで、そよ・・・そうそう、そう言えば、そのことなんだけどね(あなたがそう言うから、そのついでに私も言わせてもらうけどね)」との掛詞となって、「人を忘れやはする・・・どうして愛する人のことを忘れたりするものですか」という反語的な主意部につながる(「猪名(ゐな)」の掛詞「否(いな)」はその否定的な隠し味)。この場合の「人」は「あなた」:古語の「人」は現代語と違って「その場で話題に上っている人物」の意になる場合に要注意だが、歌中での「人」は「意中の彼/彼女」や「あなた」の意になることが多い。ということでここは「私があなたを忘れるなんてことが、どうしてあるものですか」の意であるが、『後拾遺集』の詞書によればこれは「心変わりを心配する恋人の問い合わせに対する返歌」という設定らしい。「あなたはそんなことを言ってくるけど、それならついでに私も言わせてもらうわ・・・あなたの方こそ大丈夫なの?」という訳である・・・この単純なるしっぺ返し(その実、相手の懸念には何一つ誠実に答えてもいないはぐらかし)は、何もこの詠み手の独自創案ではなく、古典時代の貴人応答の典型的パターンに過ぎない。有名な紀貫之35番歌「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける」も、源融14番歌陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに」も同様である。
 この歌の作者は、あの『源氏物語』作者である紫式部の娘。『百人一首』で母娘並べて配されているのはそのためだろう。「技巧的な和歌・・・だけど、それだけ」という点でも、お母さんといっしょ。因みにお父さんは藤原宣孝(c.950-1001)。紫式部(c.978-c.1016)以外にも4人(あるいは5人?)の女性に子を生ませているかなり豪気な父親だが、大弐三位がまだ2~3歳の時に疫病で世を去っているので、彼女の記憶には残っていなかったろう。
 女房名「大弐三位」は、彼女の二番目の夫高階成章の官名が「太宰"大弐"(=太宰府の実質的な副長官)」/自身の官位が従"三位"だったことに由来。母と異なり、当人が朝廷から官位を賜わっている上に、本名「藤原賢子」も知られている(再婚している点も紫式部とは異なる)。母の威光によって、18歳で同じく道長の娘の上東門院藤原彰子サロンに女房として出仕・・・この時の女房名は「越後弁」(祖父の任国+官名)。宮仕えの間に幾人かの貴人との浮き名を流しつつ、関白(といっても在任1週間足らずで急死した)藤原道兼の次男兼隆と初婚、一女をける。夫兼隆中関白家の人間で、道長御堂関白家とは敵対勢力だが、家系が没落する中で道長側につく道を選択、道長の政略に関わって敦明親王の皇太子辞退にも関わったという記述が『大鏡』に見える。この婚儀は後に破綻するが、彼女にとっては一女の出産が幸いとなる:1025年に道長の娘嬉子親仁親王(後の後冷泉天皇)を産むと、その乳母に、当時26歳だったこの「越後弁」が任ぜられたのである。これにより彼女の二つ名にまた「弁乳母」が加わることになる。
 「乳母」とは、実母に代わって貴人(後には、武人)の子の育成にあたる女性(後代、武人には男性の「」がつくようになる)。
 どうして生母が我が子の子育てをしないかについては、次のような理由があった:
1)当時の栄養事情は現代に比すべくもない貧弱なものだったため、初産の女性の母乳の出が悪いために、初子が死に至る悲劇が数多く発生した。
・・・母乳は新生児に滋養を与えるのみならず、その免疫抗体作用を補完する死活的重要性を持つ:この作用は(2009年現在)人工的な乳児用調製粉乳 ― 所謂「粉ミルク」 ― にはない、生身の母親の乳ならではのもの。その大事なお乳が出るか出ないか、子に乳首を含ませてみないことにはわからない、というのでは、第一子の生死は運任せ、ということになってしまう。大事な嫡子をそんなギャンブルの対象にせぬためには、近年に出産・育児の経験を持ち、母乳が出ることが保証されている既婚女性を育て親とすることが、当時の高貴な家柄では当然の保険策だった訳である。
2)子を産んだ母が、必ずしも教育係として適任ではなかった。
・・・高貴な家柄の人々は、婚儀を通じて政略的にその勢力を拡大して行くもの。残酷な言い方をすれば、貴人の妻は、その妻の家と夫の家とをつなぐ政略の具であり、両家のとしての象徴的な存在だったのである。従って、良家の正妻には現実的な仕事は殆ど宛がわれなかった。唯一の現実的な仕事は「子を産む」ということ・・・だが、「産んだ子を育て、大人に仕上げる」仕事は、実母の任ではなく、教育水準の高さを以て貴人の周囲で奉仕する、相対的に階層の低い既婚女性の役割だったのである。
・・・逆に言えば、象徴としての役割を期待される良家の妻となるべき女性には、実務能力はおろか、過度の教養すらも、期待されていなかった。それどころかむしろ、無用な不純物だった、とすら極言してもよいかもしれない。「自分こそ、産みの母たる慈愛に加えて、高度な教養と実務能力に優れ、我が子を育てるに最適任の女だわ」と実母が自惚れてしまうような条件を作ってしまえば、彼女と実子との間に第三者の育児・教育エクスパートたる「乳母」を介在させることが困難になる。生母にうるさく割り込まれては子供の育成に支障を来たす以上、「良家の子女は、無学で可愛いだけの"お姫さま"でいい」という世間智が定着しても、それは(残酷ながら)自然なことだった、と言うべきであろう。
3)子弟の養育・教育係として、貴人の勢力図の中に割り込みたいキャリアウーマン側の思惑と、優秀な人材を将来の嫡子の配下に加える下準備をしたい貴人側の思惑が、「乳母役」を介して結びついた。
・・・「乳母」に求められたのは、我が子に一流の教育を施してくれる個人教授、という役柄だけではない。その教師との個人的つながりを通して、その子が社会的な威光や人的ネットワークを拡大し得るような旨味のある人材をこそ、貴人側は「乳母」に求めたのである。『源氏物語』の作者紫式部の娘で、著名な学者一族の子・・・越後弁(後の大弐三位)はその知的要件を満たしていた上に、直前に自身女子を出産していたという幸運な生物学的偶然が重なった訳である。
 生母の授乳不安という生理学的事情に根拠を持つ「乳母」の育成対象となるのは、主に(将来家督を継ぐことになる)長男であるから、その大事な幼児の育て親として後々大きな影響力や世俗的恩恵を手にすることになる特別な立場の人が「乳母」(武家の場合は「」)でもある。彼女の場合も、最終的に従三位にまで昇格するのは、後冷泉天皇の育て親という功績があればこその話。時代は下るが、江戸徳川幕府の「将軍専用ハーレム」たる「大奥」を開いた人物として有名な「春日局(本名は斎藤福)」もやはり、三代将軍徳川家光の「乳母」という特権的立場にあった女性であり、「春日局」という女房名と従三位(最終的には従二位)の官位を朝廷から賜わっている。
 また、乳母の影響力は当の彼女自身に留まるものではなく、その実の子(たち)も、育ての子たる貴人(武人)と幼少期から「乳母子」(武家の場合は「傅子」)と呼ばれる乳兄弟の関係の中で成長を共にし、長じてはその補佐役となるべき役柄を期待(あるいは、約束)される特別な臣下となった。この構図あればこそ、有力な貴人(武人)の子弟教育を実母に託するのは「逸機」に等しく、家系に近い有力な部外者へと人脈を広げるための「好機」として活用された訳である。
 貴人を巡る人脈は「乳母」以外にも様々な事情によって錯綜的に展開するので、幼少期の体験共有が後代の友情・主従関係へと宿命的に結びついて行くドラマチックな展開は、貴族社会の中では見え辛い。やはり、乳兄弟が劇的に際立つのは、それを通じて盛衰・生死を共にすることになる武家の「傅子」関係であろう。有名なものとしては、源義朝鎌田政清木曽義仲巴御前織田信長池田恒興豊臣秀吉側室浅井茶々菊子・・・通称「淀殿」)と大野治長、などがある。が、「大弐三位」の場合、「後冷泉天皇の乳母」の威光が及んだのは当人と夫までであって、子孫を巡る華々しい物語は、後の世に伝わってはいない。僅かに、『源氏物語』の中でも母の紫式部の手になるものとは思われない「宇治十帖」や、源氏と並び称される作り物語の傑作『狭衣物語』の作者として、娘である彼女の名前が引き合いに出される場面の多さに、「親の七光り」を感じさせるのみ、である。
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