芋粥

芋粥
芥川龍之介

 元慶の末か、仁和にあつた話であらう。どちらにしても時代はさして、この話に大事な役を、勤めてゐない。読者は、平安朝とふ、遠い昔が背景になつてゐると云ふ事を、知つてさへゐてくれれば、よいのである。 ―― その頃、摂政藤原基経へてゐるの中に、と云ふ五位があつた。
 これも、某と書かずに、と、ちやんと姓名にしたいのであるが、生憎旧記には、それが伝はつてゐない。恐らくは、実際、伝はる資格がない、平凡な男だつたのであらう。一体旧記の著者などと云ふ者は、平凡な人間や話に、余り興味を持たなかつたらしい。この点で、彼等と、日本の自然派の作家とは、大分ちがふ。王朝時代の小説家は、存外、閑人でない。 ―― 、摂政藤原基経に仕へてゐる侍の中に、某と云ふ五位があつた。これが、この話の主人公である。
 五位は、風采らない男であつた。第一背が低い。それから赤鼻で、眼尻つてゐる。口髭勿論薄い。が、こけてゐるから、が、人並はづれて、細く見える。唇は ―― 一々、数へ立ててゐれば、際限はない。五位の外貌はそれ程、非凡に、だらしなく、出来上つてゐたのである。
 この男が、何時、どうして、基経に仕へるやうになつたのか、それは誰も知つてゐない。が、余程以前から、同じやうな色のめた水干に、同じやうな萎々した烏帽子をかけて、同じやうな役目を、きずに、毎日、繰返してゐる事だけは、である。その結果であらう、今では、誰が見ても、この男に若い時があつたとは思はれない。(五位は四十を越してゐた。)そのり、れた時から、あの通りむさうな赤鼻と、形ばかりの口髭とを、朱雀大路衢風に、吹かせてゐたと云ふ気がする。は主人の基経から、牛飼童児まで、無意識ながら、さう信じてふ者がない。
 かう云ふ風采をへた男が、周囲から受ける待遇は、恐らく書くまでもないことであらう。侍所にゐる連中は、五位に対して、程の注意も払はない。有位無位せて二十人に近い下役さへ、彼の出入りには、不思議な、冷淡を極めてゐる。五位が何か云ひつけても、決して彼等同志の雑談をやめた事はない。彼等にとつては、空気の存在が見えないやうに、五位の存在も、眼をらないのであらう。下役でさへさうだとすれば、別当とか、侍所のとか云ふ上役たちが頭から彼を相手にしないのは、ろ自然のである。彼等は、五位に対すると、殆ど、子供らしい無意味な悪意を、冷然とした表情の後に隠して、何を云ふのでも、手真似だけで用を足した。人間に、言語があるのは、偶然ではない。従つて、彼等も手真似では用を弁じない事が、時々ある。が、彼等は、それを全然五位の悟性に、欠陥があるからだと、思つてゐるらしい。そこで彼等は用が足りないと、この男のんだ烏帽子の先から、切れかかつた藁草履まで、万遍なく見上げたり、見下したりして、それから、鼻でひながら、急にを向いてしまふ。それでも、五位は、腹を立てた事がない。彼は、一切の不正を、不正として感じない程、意気地のない、臆病な人間だつたのである。
 が、同僚の侍たちになると、進んで、彼を飜弄しようとした。年かさの同僚が、れのはない風来を材料にして、古い洒落を聞かせようとするく、年下の同僚も、それを機会にして、所謂興言利口の練習をしようとしたからである。彼等は、この五位の面前で、その鼻と口髭と、烏帽子と水干とを、品隲して飽きる事を知らなかつた。そればかりではない。彼が五六年前に別れたうけ女房と、その女房と関係があつたと云ふ酒のみの法師とも、彼等の話題になつた。
 その上、どうかすると、彼等は甚、性質の悪い悪戯さへする。それを今一々、列記する事は出来ない。が、彼の篠枝の酒を飲んで、後へ尿を入れて置いたと云ふ事を書けば、その、想像される事だらうと思ふ。
 しかし、五位はこれらの揶揄に対して、全然無感覚であつた。くもわき眼には、無感覚であるらしく思はれた。彼は何を云はれても、顔の色さへ変へた事がない。つて例の薄い口髭をでながら、するだけの事をしてすましてゐる。唯、同僚の悪戯が、じすぎて、に紙切れをつけたり、太刀に草履を結びつけたりすると、彼は笑ふのか、泣くのか、わからないやうな笑顔をして、「いけぬのう、おたちは。」と云ふ。その顔を見、その声を聞いた者は、誰でも一時いぢらしさに打たれてしまふ。(彼等にいぢめられるのは、一人、この赤鼻の五位だけではない、彼等の知らない誰かが ―― 多数の誰かが、彼の顔と声とを借りて、彼等の無情を責めてゐる。) ―― さう云ふ気が、げながら、彼等の心に、一瞬の間、しみこんで来るからである。唯その時の心もちを、何時までも続ける者は甚少い。その少い中の一人に、或無位の侍があつた。これは丹波の国から来た男で、まだ柔かい口髭が、やつと鼻の下に、えかかつた位の青年である。勿論、この男も始めは皆と一しよに、何の理由もなく、赤鼻の五位を軽蔑した。所が、或日何かの折に、「いけぬのう、お身たちは」と云ふ声を聞いてからは、どうしても、それが頭を離れない。それ以来、この男の眼にだけは、五位が全く別人として、るやうになつた。栄養の不足した、血色の悪い、のぬけた五位の顔にも、世間の迫害にべそをいた、「人間」がいてゐるからである。この無位の侍には、五位の事を考へる度に、世の中のすべてが急に本来の下等さをすやうに思はれた。さうしてそれと同時にげた赤鼻と数へる程の口髭とが何となく一味慰安を自分の心に伝へてくれるやうに思はれた。・・・・・・
 しかし、それは、唯この男一人に、限つた事である。かう云ふ例外を除けば、五位は、依然として周囲の軽蔑の中に、犬のやうな生活を続けて行かなければならなかつた。第一彼には着物らしい着物が一つもない。青鈍の水干と、同じ色の指貫とが一つづつあるのが、今ではそれが上白んで、ともとも、つかないやうな色に、なつてゐる。水干はそれでも、肩が少し落ちて、丸組菊綴の色がしくなつてゐるだけだが、指貫になると、のあたりのいたみ方が一通りでない。その指貫の中から、下のもはかない、細い足が出てゐるのを見ると、口の悪い同僚でなくとも、痩公卿の車をいてゐる、痩牛の歩みを見るやうな、みすぼらしい心もちがする。それにいてゐる太刀も、覚束ない物で、金具如何はしければ、黒鞘げかかつてゐる。これが例の赤鼻で、だらしなく草履をひきずりながら、唯でさへ猫背なのを、一層寒空の下に背ぐくまつて、もの欲しさうに、左右をめ眺め、きざみ足に歩くのだから、通りがかりの物売りまで莫迦にするのも、無理はない。現に、かう云ふ事さへあつた。・・・・・・
 或る日、五位が三条坊門神泉苑へ行く所で、子供が六七人、ばたにつて、何かしてゐるのを見た事がある。「こまつぶり」でも、してゐるのかと思つて、後ろから覗いて見ると、何処かから迷つて来た、尨犬の首へをつけて、打つたりいたりしてゐるのであつた。臆病な五位は、これまで何かに同情を寄せる事があつても、あたりへ気を兼ねて、まだ一度もそれを行為に現はしたことがない。が、この時だけは相手が子供だと云ふので、幾分か勇気が出た。そこで出来るだけ、笑顔をつくりながら、年かさらしい子供の肩をいて、「もう、堪忍してやりなされ。犬も打たれれば、痛いでのう」と声をかけた。すると、その子供はふりかへりながら、上眼を使つて、すむやうに、ぢろぢろ五位の姿を見た。云はば侍所の別当が用の通じない時に、この男を見るやうな顔をして、見たのである。「いらぬ世話はやかれたうもない。」その子供は一足下りながら、高慢な唇をらせて、かう云つた。「ぢや、この鼻赤めが。」五位はこのが自分の顔を打つたやうに感じた。が、それは悪態をつかれて、腹が立つたからでは毛頭ない。云はなくともいい事を云つて、をかいた自分が、なくなつたからである。彼は、きまりが悪いのを苦しい笑顔に隠しながら、黙つて、又、神泉苑の方へ歩き出した。後では、子供が、六七人、肩を寄せて、「べつかつかう」をしたり、舌を出したりしてゐる。勿論彼はそんな事を知らない。知つてゐたにしても、それが、この意気地のない五位にとつて、何であらう。・・・・・・
 では、この話の主人公は、唯、軽蔑されるにのみ生れて来た人間で、別に何の希望も持つてゐないかと云ふと、さうでもない。五位は五六年前から芋粥と云ふ物に、異常な執着を持つてゐる。芋粥とは山の芋を中に切込んで、それを甘葛た、粥の事を云ふのである。当時はこれが、無上佳味として、万乗の君の食膳にさへ、せられた。つて、五位の如き人間の口へは、年に一度、臨時の客のにしか、はいらない。その時でさへ、飲めるのはすに足る程の少量である。そこで芋粥を飽きる程飲んで見たいと云ふ事が、久しい前から、彼の唯一の欲望になつてゐた。勿論、彼は、それを誰にも話した事がない。いや彼自身さへそれが、彼の一生を貫いてゐる欲望だとは、明白に意識しなかつた事であらう。が事実は彼がその為に、生きてゐると云つても、差支ない程であつた。 ―― 人間は、時として、されるか充されないか、わからない欲望の為に、一生をげてしまふ。その愚を哂ふ者は、畢竟、人生に対する路傍の人に過ぎない。
 しかし、五位が夢想してゐた、「芋粥に飽かむ」事は、存外容易に事実となつてれた。その始終を書かうと云ふのが、芋粥の話の目的なのである。

   ―― ―― ―― ―― ―― ―― ――

 或年の正月二日、基経のに、所謂臨時の客があつた時の事である。(臨時の客は二宮大饗と同日に摂政関白家が、大臣以下の上達部を招いて饗宴で、大饗と別にりがない。)五位も、外の侍たちにまじつて、その残肴相伴をした。当時はまだ、取食みの習慣がなくて、残肴は、その家の侍が一堂に集まつて、食ふ事になつてゐたからである。も、大饗に等しいと云つても昔の事だから、品数の多い割りにな物はない、伏菟蒸鮑干鳥宇治氷魚近江楚割内子焼蛸大海老大柑子小柑子串柿などのである。唯、その中に、例の芋粥があつた。五位は毎年、この芋粥を楽しみにしてゐる。が、何時も人数が多いので、自分が飲めるのは、いくらもない。それが今年は、特に、少かつた。さうして気のせゐか、何時もより、余程味がい。そこで、彼は飲んでしまつた後のをしげしげと眺めながら、うすい口髭についてゐるを、いて誰に云ふともなく、「何時になつたら、これに飽ける事かのう」と、かう云つた。
大夫殿は、芋粥に飽かれた事がないさうな。」
 五位の語がらないに、誰かが、嘲笑つた。のある、鷹揚な、武人らしい声である。五位は、猫背の首をげて、臆病らしく、その人の方を見た。声の主は、その頃同じ基経の恪勤になつてゐた、民部卿時長の子藤原利仁である。肩幅の広い、身長を抜いたしい大男で、これは、茹栗みながら、黒酒を重ねてゐた。もう大分がまはつてゐるらしい。
「お気の毒な事ぢやの。」利仁は、五位が顔を挙げたのを見ると、軽蔑と憐憫とを一つにしたやうな声で、語を継いだ。「お望みなら、利仁がお飽かせ申さう。」
 始終、いぢめられてゐる犬は、たまに肉をつても容易によりつかない。五位は、例の笑ふのか、泣くのか、わからないやうな笑顔をして、利仁の顔と、の椀とを等分に見比べてゐた。
「おいやかな。」
「・・・・・・」
「どうぢや。」
「・・・・・・」
 五位は、その中に、衆人の視線が、自分の上に、集まつてゐるのを感じ出した。答へ方一つで、又、一同の嘲弄を、受けなければならない。或は、どう答へても、結局、莫迦にされさうな気さへする。彼は躊躇した。もし、その時に、相手が、少し面倒臭そうな声で、「おいやなら、たつてとは申すまい」と云はなかつたなら、五位は、何時までも、椀と利仁とを、見比べてゐた事であらう。
 彼は、それを聞くと、しく答へた。
「いや・・・・・・うござる。」
 この問答を聞いてゐた者は、皆、一時に、失笑した。
「いや・・・・・・忝うござる。」 ―― かう云つて、五位の答を、真似る者さへある。所謂、橙黄橘紅つた窪坏高坏の上に多くの揉烏帽子や立烏帽子が、笑声と共に一しきり、波のやうに動いた。中でも、、大きな声で、機嫌よく、笑つたのは、利仁自身である。
「では、その中に、御誘ひ申さう。」さう云ひながら、彼は、ちよいと顔をしかめた。こみ上げて来ると今飲んだ酒とが、で一つになつたからである。「・・・・・・しかと、よろしいな。」
「忝うござる。」
 五位は赤くなつて、りながら、又、前の答を繰返した。一同が今度も、笑つたのは、云ふまでもない。それが云はせたさに、わざわざ念を押したの利仁につては、前よりも一層可笑しさうに広い肩をゆすつて、哄笑した。この朔北野人は、生活の方法を二つしか心得てゐない。一つは酒を飲む事で、他の一つは笑ふ事である。
 しかしに談話の中心は、程なく、この二人を離れてしまつた。これは事によると、外の連中が、たとひ嘲弄にしろ、一同の注意をこの赤鼻の五位に集中させるのが、不快だつたからかも知れない。兎に角、談柄はそれからそれへと移つて、酒も残少になつた時分には、某と云ふ侍学生が、行縢片皮へ、両足を入れて馬に乗らうとした話が、一座の興味を集めてゐた。が、五位だけは、まるで外の話が聞えないらしい。恐らく芋粥の二字が、彼のすべての思量を支配してゐるからであらう。前に雉子いたのがあつても、をつけない。黒酒の杯があつても、口を触れない。彼は、唯、両手をの上に置いて、見合ひをする娘のやうに霜に犯されかかつたまで、初心らしく上気しながら、何時までもになつた黒塗の椀を見つめて、多愛もなく、微笑してゐるのである。・・・・・・

     ―― ―― ―― ―― ――

 それから、四五日たつた日の午前、加茂川河原に沿つて、粟田口街道を、に馬を進めてゆく二人の男があつた。一人は濃い狩衣に同じ色の袴をして、打出の太刀を佩いた「鬚黒く鬢ぐきよき」男である。もう一人は、みすぼらしい青鈍の水干に、薄綿のを二つばかり重ねて着た、四十恰好の侍で、これは、帯のむすび方のだらしのない容子と云ひ、赤鼻でしかも穴のあたりが、にぬれてゐる容子と云ひ、身のまはり万端のみすぼらしい事しい。尤も、馬は二人とも、前のは月毛、後のは蘆毛三歳駒で、道をゆく物売りや侍も、振向いて見る程の駿足である。その後から又二人、馬の歩みに遅れまいとしていて行くのは、調度掛舎人とに相違ない。 ―― これが、利仁と五位との一行である事は、わざわざ、ここにるまでもない話であらう。
 冬とは云ひながら、物静に晴れた日で、白けた河原の石の間、潺湲たる水の立枯れてゐるの葉を、ゆする程の風もない。川にんだ背の低い柳は、葉のない枝にの如くかな日の光りをうけて、にゐる鶺鴒の尾を動かすのさへ、かに、それと、影を街道に落してゐる。東山の暗い緑の上に、霜にげた天鵞絨のやうな肩を、丸々と出してゐるのは、大方比叡の山であらう。二人はその中に螺鈿を、まばゆく日にきらめかせながらをも加へず悠々と、粟田口をして行くのである。
「どこでござるかな、手前をつれて行つて、やらうとせられるのは。」五位がれない手に手綱をかいくりながら、云つた。
「すぐ、そこぢや。お案じになる程遠くはない。」
「すると、粟田口辺でござるかな。」
「まづ、さう思はれたがよろしからう。」
 利仁は今朝五位をふのに、東山の近くに湯のいてゐる所があるから、そこへ行かうと云つて出て来たのである。赤鼻の五位は、それをにうけた。久しく湯にはいらないので、体中がこのからむづい。芋粥の馳走になつた上に、入湯が出来れば、つてもない仕合せである。かう思つて、め利仁がかせて来た、蘆毛の馬につた。所が、を並べて此処まで来て見ると、どうも利仁はこの近所へ来るつもりではないらしい。現に、さうかうしてゐる中に、粟田口は通りすぎた。
「粟田口では、ござらぬのう。」
「いかにも、もそつと、あなたでな。」
 利仁は、微笑を含みながら、わざと、五位の顔を見ないやうにして、静に馬を歩ませてゐる。両側の人家は、次第になつて、今は、広広とした冬田の上に、をあさるが見えるばかり、山の陰に消残つて、雪の色もに青くつてゐる。晴れながら、とげとげしいの梢が、眼に痛く空を刺してゐるのさへ、何となく肌寒い。
「では、山科辺ででもござるかな。」
「山科は、これぢや。もそつと、さきでござるよ。」
 成程、さう云ふ中に、山科も通りすぎた。それではない。何かとする中に、関山も後にして、彼是少しすぎた時分には、とうとう三井寺の前へ来た。三井寺には、利仁の懇意にしてゐる僧がある。二人はその僧を訪ねて、午餐の馳走になつた。それがすむと、又、馬に乗つて、を急ぐ。行手は今まで来た路に比べると人煙が少ない。に当時は盗賊が四方に横行した、物騒な時代である。 ―― 五位は猫背を一層低くしながら、利仁の顔を見上げるやうにしてねた。
「まだ、さきでござるのう。」
 利仁は微笑した。悪戯をして、それを見つけられさうになつた子供が、年長者に向つてするやうな微笑である。鼻の先へよせたと、眼尻にたたへた筋肉のたるみとが、笑つてしまはうか、しまふまいかとためらつてゐるらしい。さうして、とうとう、かう云つた。
「実はな、敦賀まで、お連れ申さうと思うたのぢや。」笑ひながら、利仁は鞭を挙げて遠くの空を指さした。その鞭の下には、的皪として、午後の日を受けた近江の湖が光つてゐる。
 五位は、狼狽した。
「敦賀と申すと、あの越前の敦賀でござるかな。あの越前の ―― 」
 利仁が、敦賀の人、藤原有仁女婿になつてから、多くは敦賀に住んでゐると云ふ事も、日頃から聞いてゐない事はない。が、その敦賀まで自分をつれて行く気だらうとは、今の今まで思はなかつた。第一、幾多の山河をててゐる越前の国へ、この通り、僅二人の伴人をつれただけで、どうして無事に行かれよう。ましてこの頃は、往来の旅人が、盗賊の為に殺されたと云ふさへ、諸方にある。 ―― 五位は歎願するやうに、利仁の顔を見た。
「それは又、滅相な、東山ぢやと心得れば、山科。山科ぢやと心得れば、三井寺。揚句が越前の敦賀とは、一体どうしたと云ふ事でござる。始めから、さう仰せられうなら、下人共なりと、つれようものを。 ―― 敦賀とは、滅相な。」
 五位は、殆どべそを掻かないばかりになつて、いた。もし「芋粥に飽かむ」事が、彼の勇気を鼓舞しなかつたとしたら、彼は恐らく、そこから別れて、京都へり帰つて来た事であらう。
「利仁が一人るのは、千人ともお思ひなされ。路次の心配は、御無用ぢや。」
 五位の狼狽するのを見ると、利仁は、少しめながら、嘲笑つた。さうして調度掛を呼寄せて、持たせて来た壺胡籙を背にふと、やはり、その手から、黒漆真弓をうけ取つて、それを鞍上へながら、先に立つて、馬を進めた。かうなる以上、意気地のない五位は、利仁の意志に盲従するより外に仕方がない。それで、彼は心細さうに、荒涼とした周囲の原野を眺めながら、うろ覚えの観音経を口の中に念じ念じ、例の赤鼻を鞍の前輪にすりつけるやうにして、覚束ない馬の歩みを、不相変とぼとぼと進めて行つた。
 馬蹄の反響する野は、茫々たる黄茅はれて、その所々にある行潦も、つめたく、青空を映したまま、この冬の午後を、何時かそれなりつてしまふかと疑はれる。そのには、一帯の山脈が、日にいてゐるせゐか、かがやくき残雪の光もなく、紫がかつた暗い色を、長々となすつてゐるが、それさへ蕭条たる幾叢枯薄られて、二人の従者の眼には、はいらない事が多い。 ―― すると、利仁が、突然、五位の方をふりむいて、声をかけた。
「あれに、よい使者が参つた。敦賀へのづけを申さう。」
 五位は利仁の云ふ意味が、よくわからないので、怖々ながら、その弓で指さす方を、眺めて見た。より人の姿が見えるやうな所ではない。唯、野葡萄か何かのが、灌木の一むらにからみついてゐる中を、一疋が、かな毛の色を、傾きかけた日にしながら、のそりのそり歩いて行く。 ―― と思ふ中に、狐は、慌ただしく身をらせて、一散に、どこともなく走り出した。利仁が急に、鞭を鳴らせて、その方へ馬を飛ばし始めたからである。五位も、われを忘れて、利仁の後を、つた。従者も勿論、遅れてはゐられない。しばらくは、石をる馬蹄の音が、戞々として、曠野の静けさを破つてゐたが、やがて利仁が、馬を止めたのを見ると、何時、へたのか、もう狐の後足をんで、に、鞍のへ、ぶら下げてゐる。狐が、走れなくなるまで、追ひつめた所で、それを馬の下にいて、手取りにしたものであらう。五位は、うすい髭にたまる汗を、慌しく拭きながら、、そのへ馬を乗りつけた。
「これ、狐、よう聞けよ。」利仁は、狐を高く眼の前へつるし上げながら、わざと物々しい声を出してかう云つた。「其方、今夜の中に、敦賀の利仁がへ参つて、かう申せ。『利仁は、唯今に客人をしてらうとする所ぢや。明日、巳時頃、高島の辺まで、男たちをひにはし、それに、鞍置馬二疋、牽かせて参れ。』よいか忘れるなよ。」
 云ひると共に、利仁は、一ふり振つて狐を、遠くのの中へ、り出した。
「いや、走るわ。走るわ。」
 やつと、追ひついた二人の従者は、逃げてゆく狐の行方を眺めながら、手をつてし立てた。落葉のやうな色をしたそのの背は、夕日の中を、まつしぐらに、木の根石くれの嫌ひなく、何処までも、走つて行く。それが一行の立つてゐる所から、手にとるやうによく見えた。狐を追つてゐる中に、何時か彼等は、曠野がい斜面を作つて、水のれた川床と一つになる、その丁度上の所へ、出てゐたからである。
広量御使でござるのう。」
 五位は、ナイイヴな尊敬と讃嘆とをらしながら、この狐さへ頤使する野育ちの武人の顔を、今更のやうに、仰いで見た。自分と利仁との間に、どれ程の懸隔があるか、そんな事は、考へるがない。唯、利仁の意志に、支配される範囲が広いだけに、その意志の中に包容される自分の意志も、それだけ自由がくやうになつた事を、心強く感じるだけである。 ―― 阿諛は、恐らく、かう云ふ時に、最自然に生れて来るものであらう。読者は、今後、赤鼻の五位の態度に、幇間のやうな何物かを見出しても、それだけでにこの男の人格を、疑ふ可きではない。
 抛り出された狐は、なぞへの斜面を、転げるやうにして、け下りると、水の無い河床の石の間を、器用に、ぴよいぴよい、飛び越えて、今度は、向うの斜面へ、よく、すぢかひに駈け上つた。駈け上りながら、ふりかへつて見ると、自分を手捕りにした侍の一行は、まだ遠い傾斜の上に馬を並べて立つてゐる。それが皆、指をへた程に、小さく見えた。殊に入日を浴びた、月毛と蘆毛とが、霜を含んだ空気の中に、いたよりもくつきりと、浮き上つてゐる。
 狐は、頭をめぐらすと、又枯薄の中を、風のやうに走り出した。

     ―― ―― ―― ―― ―― ――

 一行は、予定通り翌日の巳時ばかりに、高島の辺へ来た。此処は琵琶湖に臨んだ、ささやかな部落で、昨日に似ず、どんよりとつた空の下に、幾戸藁屋が、にちらばつてゐるばかり、岸に生えた松の樹の間には、灰色の漣濤をよせる湖の水面が、くのを忘れた鏡のやうに、さむざむと開けてゐる。 ―― 此処まで来ると利仁が、五位をみて云つた。
「あれを御覧じろ。男どもが、迎ひに参つたげでござる。」
 見ると、成程、二疋の鞍置馬を牽いた、二三十人の男たちが、馬に跨がつたのもあり徒歩のもあり、皆水干の袖を寒風にヘして、湖の岸、松の間を、一行の方へ急いで来る。やがてこれが、間近くなつたと思ふと、馬に乗つてゐた連中は、慌ただしく鞍を下り、徒歩の連中は、路傍に蹲踞して、いづれも恭々しく、利仁の来るのを、待ちうけた。
「やはり、あの狐が、使者を勤めたと見えますのう。」
生得変化ある獣ぢやて、あの位の用を勤めるのは、何でもこざらぬ。」
 五位と利仁とが、こんな話をしてゐる中に、一行は、郎等たちの待つてゐる所へ来た。「大儀ぢや。」と、利仁が声をかける。蹲踞してゐた連中が、しく立つて、二人の馬の口を取る。急に、すべてが陽気になつた。
「夜前、稀有な事が、ございましてな。」
 二人が、馬から下りて、敷皮の上へ、腰をすか下さない中に、檜皮色の水干を着た、白髪の郎等が、利仁の前へ来て、かう云つた。「何ぢや。」利仁は、郎等たちの持つて来た篠枝破籠を、五位にもめながら、鷹揚に問ひかけた。
「さればでございまする。夜前、戌時ばかりに、奥方に、人心地をおひなされましてな。『おのれは、阪本の狐ぢや。今日、殿の仰せられた事を、言伝てせうほどに、う寄つて、よう聞きやれ。』と、かう仰有るのでございまする。さて、一同がお前に参りますると、奥方の仰せられまするには、『殿は唯今俄に客人を具して、下られようとする所ぢや。明日巳時頃、高島の辺まで、男どもを迎ひに遺はし、それに鞍置馬二疋牽かせて参れ。』と、かう御意遊ばすのでございまする。」
「それは、又、稀有な事でござるのう。」五位は利仁の顔と、郎等の顔とを、仔細らしく見比べながら、両方に満足を与へるやうな、相槌を打つた。
「それも唯、仰せられるのではございませぬ。さも、恐ろしさうに、わなわなとおへになりましてな、『遅れまいぞ。遅れれば、おのれが、殿の御勘当をうけねばならぬ。』と、しつきりなしに、お泣きになるのでございまする。」
「して、それから、如何した。」
「それから、多愛なく、お休みになりましてな。手前共の出て参りまする時にも、まだ、お眼覚にはならぬやうで、ございました。」
「如何でござるな。」郎等の話を聞きると、利仁は五位を見て、得意らしく云つた。「利仁には、獣も使はれ申すわ。」
「何とも驚きる外は、ござらぬのう。」五位は、赤鼻を掻きながら、ちよいと、頭を下げて、それから、わざとらしく、れたやうに、口を開いて見せた。口髭には、今飲んだ酒が、滴になつて、くつついてゐる。

     ―― ―― ―― ―― ―― ――

 その日の夜の事である。五位は、利仁の館の一間に、切燈台を眺めるともなく、眺めながら、寝つかれない長の夜をまぢまぢして、してゐた。すると、夕方、此処へ着くまでに、利仁や利仁の従者と、談笑しながら、越えて来た松山、小川、枯野、或は、草、木の葉、石、野火の煙のにほひ、 ―― さう云ふものが、一つづつ、五位の心に、んで来た。殊に、雀色時の中を、やつと、この館へ辿りついて、長櫃してある、炭火の赤いを見た時の、ほつとした心もち、 ―― それも、今かうして、寝てゐると、遠い昔にあつた事としか、思はれない。五位は綿の四五もはいつた、黄いろい直垂の下に、楽々と、足をのばしながら、ぼんやり、われとわが寝姿を見廻した。
 直垂の下に利仁が貸してくれた、練色の衣の綿厚なのを、二枚まで重ねて、着こんでゐる。それだけでも、どうかすると、汗が出かねない程、暖かい。そこへ、夕飯の時に一杯やつた、酒の酔が手伝つてゐる。枕元の一つてた向うは、霜のえた広庭だが、それも、かう陶然としてゐれば、少しも苦にならない。万事が、京都の自分の曹司にゐた時と比べれば、雲泥の相違である。が、それにもはらず、我五位の心には、何となく釣合のとれない不安があつた。第一、時間のたつて行くのが、待遠い。しかもそれと同時に、夜の明けると云ふ事が、 ―― 芋粥を食ふ時になると云ふ事が、さう早く、来てはならないやうな心もちがする。さうして又、この矛盾した二つの感情が、し合ふ後には、境遇の急激な変化から来る、落着かない気分が、今日の天気のやうに、うすら寒く控へてゐる。それが、皆、邪魔になつて、折角の暖かさも、容易に、眠りを誘ひさうもない。
 すると、外の広庭で、誰か大きな声を出してゐるのが、耳にはいつた。声がらでは、どうも、今日、途中まで迎へに出た、白髪の郎等が何かれてゐるらしい。そのからびた声が、霜に響くせゐか、凛々としてのやうに、一語づつ五位の骨に、へるやうな気さへする。
「この辺の下人、はれ。殿の御意遊ばさるるには、明朝、卯時までに、切口、長さ五の山の芋を、老若一筋づつ、持つて参るにとある。忘れまいぞ、卯時までにぢや。」
 それが、二三度、繰返されたかと思ふと、やがて、人のけはひがんで、あたりはち元のやうに、静な冬の夜になつた。その静な中に、幻燈台の油が鳴る。赤い真綿のやうな火が、ゆらゆらする。五位は欠伸を一つ、噛みつぶして、又、とりとめのない、思量にり出した。 ―― 山の芋と云ふからには、勿論芋粥にする気で、持つて来させるのに相違ない。さう思ふと、一時、外に注意を集中したおかげで忘れてゐた、さつきの不安が、何時のにか、心に帰つて来る。殊に、前よりも、一層強くなつたのは、あまり早く芋粥にありつきたくないと云ふ心もちで、それが意地悪く、思量の中心を離れない。どうもかう容易に「芋粥に飽かむ」事が、事実となつて現れては、折角今まで、何年となく、辛抱して待つてゐたのが、如何にも、無駄な骨折のやうに、見えてしまふ。出来る事なら、突然何か故障が起つて一旦、芋粥が飲めなくなつてから、又、その故障がなくなつて、今度は、やつとこれにありつけると云ふやうな、そんな手続きに、万事を運ばせたい。 ―― こんな考へが、「こまつぶり」のやうに、ぐるぐる一つ所を廻つてゐる中に、何時か、五位は、旅の疲れで、ぐつすり、熟睡してしまつた。
 翌朝、眼がさめると、に、昨夜の山の芋の一件が、気になるので、五位は、何よりも先に部屋のをあげて見た。すると、知らない中に、寝すごして、もう卯時をすぎてゐたのであらう。広庭へ敷いた、四五枚の長筵の上には、丸太のやうな物が、そ、二三千本、につき出した、檜皮葺軒先へつかへる程、山のやうに、積んである。見るとそれが、悉く、切口三寸、長さ五尺の途方もなく大きい、山の芋であつた。
 五位は、寝起きの眼をこすりながら、殆ど周章に近い驚愕に襲はれて、呆然(ぼうぜん)と、周囲を見廻した。広庭の所々には、新しく打つたらしいの上に五斛納釜を五つ六つ、かけねて、白い布のを着た若い下司女が、何十人となく、そのまはりに動いてゐる。火をきつけるもの、を掻くもの、は、新しい白木に、「あまづらみせん」をんでの中へ入れるもの、皆芋粥をつくる準備で、眼のまはる程忙しい。釜の下から上る煙と、釜の中から湧く湯気とが、まだ消え残つてゐる明方の靄と一つになつて、広庭一面、はつきり物も見定められない程、灰色のものがめた中で、赤いのは、烈々と燃え上る釜の下の焔ばかり、眼に見るもの、耳に聞くもの悉く、戦場か火事場へでも行つたやうな騒ぎである。五位は、今更のやうに、この巨大な山の芋が、この巨大な五斛納釜の中で、芋粥になる事を考へた。さうして、自分が、その芋粥を食ふ為に京都から、わざわざ、越前の敦賀まで旅をして来た事を考へた。考へれば考へる程、何一つ、情無くならないものはない。我五位の同情すべき食慾は、実に、此時もう、一半減却してしまつたのである。
 それから、一時間の後、五位は利仁や有仁と共に、朝飯のに向つた。前にあるのは、一斗ばかりはいるのに、なみなみと海の如くたたへた、恐るべき芋粥である。五位はさつき、あの軒まで積上げた山の芋を、何十人かの若い男が、薄刃を器用に動かしながら、片端からるやうに、勢よく切るのを見た。それからそれを、あの下司女たちが、右往左往せちがつて、一つのこらず、五斛納釜へすくつては入れ、すくつては入れするのを見た。最後に、その山の芋が、一つも長筵の上に見えなくなつた時に、芋のにほひと、甘葛のにほひとを含んだ、幾道かの湯気の柱が、蓬々然として、釜の中から、晴れた朝の空へ、舞上つて行くのを見た。これを、のあたりに見た彼が、今、提に入れた芋粥に対した時、まだ、口をつけない中から、既に、満腹を感じたのは、恐らく、無理もない次第であらう。 ―― 五位は、提を前にして、間の悪さうに、の汗を拭いた。
「芋粥に飽かれた事が、ござらぬげな。どうぞ、遠慮なく召上つて下され。」
 舅の有仁は、童児たちに云ひつけて、更に幾つかの銀の提を膳の上に並べさせた。中にはどれも芋粥が、れんばかりにはいつてゐる。五位は眼をつぶつて、唯でさへ赤い鼻を、一層赤くしながら、提に半分ばかりの芋粥を大きな土器にすくつて、いやいやながら飲み干した。
「父も、さう申すぢやて。に、遠慮は御無用ぢや。」
 利仁もから、新な提をすすめて、意地悪く笑ひながらこんな事を云ふ。弱つたのは五位である。遠慮のない所を云へば、始めから芋粥は、一椀も吸ひたくない。それを今、我慢して、やつと、提に半分だけげた。これ以上、飲めば、喉を越さない中にもどしてしまふ、さうかと云つて、飲まなければ、利仁や有仁の厚意を無にするのも、同じである。そこで、彼は又眼をつぶつて、残りの半分を三分の一程飲み干した。もう後は一口も吸ひやうがない。
「何とも、忝うござつた。もう十分頂戴したて。 ―― いやはや、何とも忝うござつた。」
 五位は、しどろもどろになつて、かう云つた。余程弱つたと見えて、口髭にも、鼻の先にも、冬とは思はれない程、汗が玉になつて、れてゐる。
「これは又、御少食ぢや。客人は、遠慮をされると見えたぞ。それそれその方ども、何を致してる。」
 童児たちは、有仁の語につれて、新な提の中から、芋粥を、土器に汲まうとする。五位は、両手を蝿でも逐ふやうに動かして、に、辞退の意を示した。
「いや、もう、十分でござる。・・・・・・失礼ながら、十分でござる。」
 もし、此時、利仁が、突然、向うの家の軒を指して、「あれを御覧じろ」と云はなかつたなら、有仁は、五位に、芋粥をすすめて、止まなかつたかも知れない。が、幸ひにして、利仁の声は、一同の注意を、その軒の方へ持つて行つた。檜皮葺の軒には、丁度、朝日がさしてゐる。さうして、そのまばゆい光に、光沢のいい毛皮を洗はせながら、一疋の獣が、おとなしく、坐つてゐる。見るとそれは一昨日、利仁が枯野の路で手捕りにした、あの阪本の野狐であつた。
「狐も、芋粥が欲しさに、見参したさうな。男ども、しやつにも、物を食はせてつかはせ。」
 利仁の命令は、言下に行はれた。軒からとび下りた狐は、直に広庭で芋粥の馳走に、つたのである。
 五位は、芋粥を飲んでゐる狐を眺めながら、此処へ来ない前の彼自身を、なつかしく、心の中でふり返つた。それは、多くの侍たちに愚弄されてゐる彼である。京童にさへ「何ぢや。この鼻赤めが」と、られてゐる彼である。色のさめた水干に、指貫をつけて、飼主のない尨犬のやうに、朱雀大路をうろついて歩く、む可き、孤独な彼である。しかし、同時に又、芋粥に飽きたいと云ふ慾望を、唯一人大事に守つてゐた、幸福な彼である。 ―― 彼は、この上芋粥を飲まずにすむと云ふ安心と共に、満面の汗が次第に、鼻の先から、乾いてゆくのを感じた。晴れてはゐても、敦賀の朝は、身にしみるやうに、風が寒い。五位は慌てて、鼻をおさへると同時に銀の提に向つて大きなをした。

(大正五年八月)