【あり】【はべり】昔は【き】【けり】【つ】【ぬ】【り】【たり】

WEB古文講座『扶桑語り』より・・・「古語随想」ちょいかじり和語教養講座

 読者は御存知だろうか、日本語には、今も昔も「過去形」がないという事実を。
 驚くことはない:お隣り「中国語」の動詞にも「現在形」しかない。そこに範を取った漢字借り物半仮名言語の日本語に「過去形」がないのも、自然であろう?
 中国語に過去形がないのは、末尾変化させようがない「漢字」という表記記号の硬直性によるものだ。英語の動詞「run」は中国語なら「走」だが、時制が過去でも英語のように「ran」に化けることは不可能、現在だろうが過去だろうが「走」は「走」の形のままで突っ走るしかない。無理に変化させようとして、現在=「走」/過去=「起」/未来=「赴」に変えるような器用な真似は、漢字(中国語)には構造的に不可能な芸当なのだ。
 翻って我らが日本語の動詞には、末尾変化が可能である。「はしる(古語だと"わしる")」については次のごとし:
{わし<ら>(未然形)・わし<り>けり(連用形)・わし<る>(終止形)・わし<る>(連体形)・わし<れ>ども(已然形)・わし<れ>(命令形)}
・・・**の形で後に添えた文字 ― (否定する)・けり(過去にする)・(言い切る)・(体言へと続ける)・ども(前後を逆接でつなげる)・(命令する) ― へと続けるのに適切な末尾の形が、古語の動詞では6つに分かれるのだ(動詞によっては6つ以下、の場合もある)。これを「活用」と呼ぶ。変化する部分(ら・り・る・る・れ・れ)が「活用語尾」であり、変化しない部分(わし)は「語幹」と呼ばれる。このように活用(=語尾変化)が可能な語を「活用語」と呼ぶ。古語の場合、次の4種類の活用語がある。
-古語の活用語-
1)動詞(+補助動詞)
2)助動詞
・・・「動詞」・「助動詞」の活用は、各語ごとに異なる。
3)形容詞:
{から(未然)・く/かり(連用)・し(終止)・き/から(連体)・けれ(已然)・かれ(命令)}(ク活用)
{しから(未然)・しく/しかり(連用)・し(終止)・しき/しかる(連体)・しけれ(已然)・しかれ(命令)}(シク活用)
4)形容動詞:
{なら(未然)・なり/に(連用)・なり(終止)・なる(連体)・なれ(已然)・なれ(命令)}(ナリ活用)
{たら(未然)・たり/と(連用)・たり(終止)・たる(連体)・たれ(已然)・たれ(命令)}(タリ活用)
 語句は、文中でのその機能に応じて異なる「品詞」に区分されるが、古語の場合は全部で10品詞(「補助動詞」/「代名詞」を「動詞」/「名詞」と別にカウントすれば12品詞)。上の語句以外は「非活用語」で、列挙すれば以下のごとし:
-古語の非活用語-
5)名詞(+代名詞)
6)連体詞
7)助詞
8)接続詞
9)副詞
10)感動詞
 全文漢字表記される中国語の場合は、既述した通り、全てが「非活用語」だが、日本語(古語でも現代語でも)には「活用語」があり、その「連用形」に続けて次のような「助動詞」を添えれば、意味の上では「過去」へと寄せることが可能ではある:
連用形+き)
連用形+けり)
連用形+つ)
連用形+ぬ)
(特殊連用形)+り)・・・形の上では四段活用動詞の「命令形」/サ行変格活用動詞の「未然形」につながるのだが、本源的には「連用形+あり」の変形なので「特殊連用形」としておく
連用形+たり)
 このように「連用形」に助動詞を続けることで記述される「過去」は、しかし、英語に於ける「過去形」とは趣が異なる。そもそも「き・けり・つ・ぬ・り・たり」と6種類も存在すること自体、日本語に「過去形」が存在しないことの証明であろう:本当の「過去形」があるなら「1種類」だけの筈である(英語なら「run」に対する過去形は「ran」だけで、「rin」・「ren」・「ron」・「ryan」・「ryon」みたいな品揃えはない)。
 古語には「あり」(及びその丁寧語「はべり」)という語がある。「・・・という事態が存在する」の意味を表わす基本的な語であるが、「存在する」というのは「現在進行中の事態として存在する」のと同時に「確定事実として(=過去の事として)存在する」をも含むものである。上掲の「"過去"の助動詞」は、その「存在」が「過去寄り」のものであることを強調するために添えられるものなのだ。
 つまるところ、「"過去"の助動詞」とは言っても、その表わす意味は「時制としての過去」ではなく、「過去の事態」に対する「話者の心的態度」でしかないのである。そして、その「心的態度」を表明する話者の立ち位置は常に「現在」なのである。
 各助動詞ごとに異なる「その過去の事態に対する(現在からの)話者の心的態度」は、各古語ごと、使用例ごとに、おいおいじっくりそのニュアンスを確認してほしい。ここで確認しておくべきはただ、「過去の助動詞は、実は、過去形ではなくてニュアンス記号である」という事実であり、この現象は、古語のみならず現代語にもそのまま通じる「現在形一辺倒言語としての日本語」の一大特性、ということである。
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