【けり】を付けるのは話者の主観

WEB古文講座『扶桑語り』より・・・「古語随想」ちょいかじり和語教養講座

 古語の「けり」はよく「過去の助動詞」と呼ばれるが、英語の動詞末尾に「…ed」を付けての「過去形」とは質的に全く異なるのが「連用形+けり」の表現であって、その表わす意味は「...ということが過去にあったのでしたっけ」という「述懐」であったり、「おやまぁ、今ふと気付けば...じゃぁありませんか」という「気付き」であったりはするが、「時制としての過去」では決してない。
 「けり」(及び「き」)が過去時制記号でないという事実は、古語を英語に翻訳してみればすぐわかる。
古語)彼の人、四十と<なり>て、余命の<短き>を<知り>、宿願いかで<果たさ>で<おく>べきかと<<念じけり>>。
英語)The man, when he <<became>> forty years old, <<knew>> that he <<had>> only a few more years to live and strongly <<thought>> to himself how he <<could leave>> his life-long wishes <<unfulfilled>>.
 古語には6つの活用語=語尾変化させて「き/けり」を付けることが可能な語が登場するが、実際「けり」を付けているのは最後の<<念じけり>>だけ;後はすべて<現在モード>で語られている。これに対し英語では全てが<<過去形>>(<<unfulfilled>>のみは過去分詞形)であって、「過去というステージ」の上で語られる動詞は一切の例外なく<<過去形にすべし>>と命じるのが英文法の鉄則なのである。
 もし仮に上の古文の活用語を「英語ふう」に律儀逐一<<完全過去形>>で記述しようと試みれば、次のような「ヘンテこぶん」になってしまうであろう:

変な古文)彼の人、四十と<<なりける>>時、余命の<<短かりける>>を<<知りける>>によりて、宿願いかで<<果たさざりける>>ままで<<おきける>>ことか<<あるべかりける>>と<<念じけり>>。
 活用語尾ごとにいちいち「けり、けり、けり」を聞く「ケリケリへんてこ文」がいかに不自然な代物か、よ~く感じてもらえたことであろう。このように、「古語の時制は基本的に現在モード一辺倒」なのであって、それが「過去の話」であることは、個々の動詞の末尾の語形で語るのではなく、話の脈絡から感じ取ってもらうのが古典時代の(そして現代の)日本語の一大特徴なのである(この点、「過去形」を持たない中国語と同じ)。ただ、話の端々で、思い出したように「これって、過去の話、なんですよねぇ」という形で話者の述懐を(話者の気分に応じて恣意的に)入れるのが古語「けり(&き)」の特性である(この点、その種の「過去寄せ記号」を持たず現在形貫徹の中国語とは異なる)。
 そうした特性を持つ古語の「けり」は、「文中」にはほとんど登場しない。「文頭」にあって「これから、昔の話をします」と宣言したら、「文末」で「...以上、昔語りとして、話しました」と確認しつつ文章を締めくくるまで、ほとんど「けり」など付けずに「現在モードのみ」で進行するのが日本語の特徴なのである。
 そうして、最後の最後に「以上で、私の昔語りは、終わりです」として物語の終了を宣言することを、汎用的に「事態に決着を付ける」の意味で用いた慣用句が、「けりを付ける」である・・・決然たる態度で何事かに対する最終決着を望むスタンスを示すこの言い回しは、古語の「けり」が「過去時制表示記号」ではなく「話者の心的態度表明記号」であることを、よく示すものであると言えるだろう。

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