【ゆ】【らゆ】~【らる】【る】

WEB古文講座『扶桑語り』より・・・「古語随想」ちょいかじり和語教養講座

-中古の「る」・「らる」/上代の「ゆ」・「らゆ」-
 「自発」の助動詞「る」・「らる」は中古以降の成立で、上代には「ゆ」・「らゆ」であった。その用法は「自発」のみにとどまらず、「受身」と「可能」の意味をも表わした;が、「る」・「らる」とは異なり、「ゆ」・「らゆ」には「尊敬」の意味はなかった(これは「す」の担当であった)。
 「ゆ」・「らゆ」(並びに中古以降の「る」・「らる」)の最も根源的用法は「自然にそうした事態が発生する=自発」であるが、そうした自然発露的事態を「受動的立場で受け入れる=受身」の行動様態が奈良時代に於ける自然と日本人との関係の基本線であったのか、などと感じると何とものどかな話になる。
 一方で、そうして自然発生的に生じた「事態の展開に恵まれ、首尾良く事が成立した=可能」という展開になると、古来(21世紀初頭の現代に至るまで)引き継がれてきた日本人の「能力というものに対する意識・主体性の薄さ、他力本願・手柄横取り体質」に思いを致さざるを得ない。「事」は「自発」的に「成る」ものであり、人間は自分の周囲に好都合に展開する「出来事」に恵まれることであれやこれやの「事」が「可能」になるのであって、個人的な意志と努力に支えられた能力の発揮によって「事」を「為す」という主体性行動原理は、古今、日本人には極めて(西欧的基準からすれば’異常’なほどに)希薄なのだ。
-上代・中古=「不可能or不成立」/「可能」となるのは中世以降-
 その証拠に、「ゆ」・「らゆ」は「可能=能力・可能性の高さから見て’為せる’」の意味を表わさない;否定専用語なのである。「る」・「らる」が肯定形で用いられて「可能」の意味を表わすようになるのは鎌倉時代(西暦1200年前後)になってからの話であって、平安時代全般を通じてのその意味は「不可能=事態の自然的展開に恵まれることなく、結局事は’成らなかった’」という「現象面から見た’出来事’の’不出来’」のみであった。「事態の不成立」を遺憾な事として渋い顔をする受動的感性だけがあって、「行為遂行の失敗」を理知的に分析する眼力がまるでないわけである。「成らなかった!」と嘆くばかりで、「為すためにはどうすればよいか?」と原因面まで突き詰めて考える体質がないのである;「能力をもっと高める必要がある」とか「実現するための障害物を取り除く必要がある」とか「そもそも実現可能性が低すぎるのだから、現実的に達成不可能と見て、遂行努力そのものを放棄すべきである」とかの発想とは無縁なのが、この国古来の「和風ゆ・らゆ・らる・る型可能性思考法」なのだ・・・道理で、「実現できっこない約束」だの「無益な努力やそれを強制する無能な学校・上司・社会構造」だのが平然と横行するお国柄なわけだ。
 幕末に於ける「尊皇攘夷!」の空念仏や、第二次大戦期の「鬼畜米英撃退!(それも、竹槍でB29を落とす、的なアホ丸出しの精神論で・・・)」を見ただけでも、「feasibility study:実現可能性の考察」というものがいかに「非日本的」であるかが、嫌というほどよくわかるであろう。「為せるか否か」など論外であって「成るか成らぬか」こそが和風命題 ― 事をこの議論に持ち込んでしまえばあとはもう「成る!成るに決まってる!(・・・だって、ここは神国日本なのだからっ!)(・・・だって、自分はそう信じてるからっ!)」の盲信的猛進展開が待っているだけ ― 「為せば成る、為さねば成らぬ、何事も」などと言いつつ、「為す」ことの真の意味がまるでわからぬまま闇雲に突っ走るばかり ・・・これは地獄への片道切符である・・・まぁ、そんなやり方ばかりで数千年来生きてきて、未だに絶滅せずにいること自体が、「天晴れ!神国ニッポン!」の驚嘆を誘う奇跡、と言えぬこともあるまいが・・・。
 が、無論これは、過去形や完了形で語ってよい笑い話ではない。「戦争放棄!」を高らかに謳う憲法第九条の国体に「軍隊に非ざる自衛隊」が存在するのも、百害あって一利なしの「箱モノ行政」だの「整備新幹線」だのの企画倒れ行事が平然と「成る」のも、「可能性」の捉え方に根源的欠陥を抱え続ける倭国の病理現象なのだから、「今まで数千年来それで大丈夫だったから」といって「今後も’無手勝流’で’ゆらゆらるるる・・・’と漂っていれば日本国/日本人は自然に生きられる」とは、誰にも言えぬのだ・・・「奇跡」は、21世紀には似合わない。
-「ゆ」から生じた「えもいはれず」的表現-
 文献学的に言えば、上代に於ける「不可能」の「らゆ」としては、「いのねらえぬ(寝の寝らえぬ=I simply cannot sleep)」の使用例のみが見つかっており、それ故に活用表も未然形「らえ」以外は軒並み「○」のオンパレードである。
 一方、「ゆ」の方は(命令形を除く)全活用形を具備している({え・え・ゆ・ゆる・ゆれ・○})。特に注目すべきはその連用形「え」であり、これは「得」に通じる意味を表わすものとして、例の「え・・・ず=・・・する、という事態を得る事が’不可能’=到底・・・できない」という形の相関構文の構成要素となるものであった。
 一般の受験生・古文学習者にとっては「上代=奈良時代」はノーマークでOKな時代ではあるが、「え」にまつわるこの種の事情は覚えておいたほうがよい;試験には出ないが、脳裏には良い味の知的スパイスとなる話なら、ガツガツ食らい込むに越したことはないのだから。
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