【のたまふ】=「のりたまふ」

WEB古文講座『扶桑語り』より・・・「古語随想」ちょいかじり和語教養講座

 古文での出現度数が極めて高い「のたまふ」は、現代語では「宣う・曰う」などと書くが、語源的には「告り+給ふ=のりたまふ→のたまふ」である。
-「のり」は超越的ノリ-
 この「告り」は、天皇陛下の御言葉「みことのり(詔)=御+言+告り」に見られる通り、「上位者から、下位者に対し、上意下達の形で言葉・命令が下されること」を意味するものである。
 「のりと(祝詞)」の語源にもこの「告り」があり、こちらは「人間界の上に位置する神や超自然的存在の霊威を、下界にいる人間の上に、降臨するよう、言葉で訴えかけるもの」である。
 この種の「超越的な力が自分に対して及ぼされること」の意味での「告り」を、神聖なる気持ちを表わす「い(斎・忌)」をもって希求するのが「いのり(祈り)」である。
-こういうことを「のたまふ」のが日本語-
 このように根源的な部分で「畏敬の念」を含む「告り」は、それ自体一種の尊敬語であるから、ここに「たまふ(給ふ)」を付けた「告り給ふ→のりたまふ→のたまふ」はある意味で「二重敬語」とも言えるだろう。ともあれ、こうして「のたまふ」は「言ふ」の敬語として用いられるようになったが、「のたまひたまふ」などという重複形態はさすがにバカっちすぎて用いられなかったわけである。が、皇族関係には「のたまはす」なる敬語付き表現も用いられた;一般には「のたまふ+す=二重敬語」と呼ばれるが、語源学的に見れば「三重敬語」のわけである。まぁ、所詮は言葉の上での敬意に過ぎぬのだから、重ねたければ重箱みたいにいくらでも重ねてしまえばよいのだ・・・宮中の別称は「九重」だから、いっそ「9重敬語」だの、「’十二ひとへ’に敬ひ申しをり候」みたいな語があっても構うまい。冗談言ってるわけではない:ただの「お付け(=本膳に付け加える出し汁)」のことを御馬鹿丁寧に「お+み+お+つけ」などと御上品三段攻撃で飾り立てたやつを毎日かっ喰らっている日本人の言語なのだから・・・。
 さて話を戻して、この「のたまふ」の表記としては、「宣ふ」のみならず、「宣たまふ」となることもある。「告り給ふ」の意味を縮約したものとして「宣ふ」表記が生じた以上、そこにさらに「たまふ」を付けるのは重複というもの(=「のたま(宣)+たまふ」)だから、語源学的に見ればこれは誤記となる;が、このあたりの表記形ならまだマシなほうである。古文の中には「の給ふ」や「の玉ふ」なる迷惑表記も平然と見受けられるのだから・・・「宣給ふ」や「告玉ふ」ならまだしも、「平仮名’の’+漢字=の給ふ」では、誰がどう見たってこの「の」は「格助詞」である!・・・この種の「読む者の迷惑も考えられぬ知的劣格者」の暴挙もまた、日本語の無法言語化を加速度的に促進する悪性virus(ウィルス・バイラス)であって、口にするのも汚らわしい代物ではあるが、古文を読む時に実際出くわすことの少なくない雑菌類であるから、予め用心しておくに(&反面教師とするに&思い切って口に含んでムシャムシャ食って下痢ピー重ねて免疫作って試験に備えておくに)越したことはない。
-上位者に対し下位者が「のたまふ」場面-
 古語「のたまふ」は、このように、本源的に「告り=上意下達の言い渡し」に由来するものであるから、時として次のようなヘンテコな身分上下の使い方が見られる:
 ◆身分が下の者が、自分よりも上位者に対して話している場面で、「自分が、自分よりも下の相手に対し、上位者のその発言を受け売りする形で<のたまひ>聞かせる」の意味で用いる「のたまふ」もある。
 実例としては、次のような感じである:
「いとかしこき仰せ言に侍るなり。姉なる人に<のたまひ>みむ」(『源氏物語』「帚木」)
現代語訳)それは実に素晴らしい仰せ言でございます。私も、姉に対し、<その素晴らしき仰せ言>を<(×)言い聞かせ><(○)申し聞かせ>ましょう。
 ・・・自分よりも上の立場の人物の「仰せ言」であるから、これを他者に伝達する場合にも、「言ふ」では貶めることになってまずいので、「のたまふ」を用いるわけである。何ともややこしいことで、入試場面での意地悪出題者の対受験生用イヤガラセ要員として以外にはさしたる意味も持たぬ語法であるが、まぁ、こうしたクダラぬところにチマチマとややこしい和語の特性の一つとして、覚えておきたければそうするがよろしかろう。
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