古典時代の【垣間見】は罪にはあらず

WEB古文講座『扶桑語り』より・・・「古語随想」ちょいかじり和語教養講座

 うら若き女性が縁側に座っている姿を垣根越しにき込むのは、現代日本なら犯罪行為だが、古典時代の「垣間見=かいばみorかいまみ」は恋の小道具。
 古典時代の「日記」が「他人に読まれ、自らの文才を評価してもらうための、これ見よがしのレジュメ(resume=身上書)」であったのと同様、「垣根の向こう側の美女」は「見られるのを待っていた」というのが古典様式なので、中古の文学を読む際にはこの点を忘れないように(&現代世界ではこうした「古典的放縦」が許されぬことも忘れぬように)。
 そうして垣根越しに見て「この女性とお近づきになりたい」と思った男は、気の利いた和歌など添えて、手紙を書くわけである・・・が、歌がショボかったり、筆跡が汚かったりすると、女からは見向きもされない。それにそもそも、男の家柄や社会的地位がそこそこ高くないと、子供が生まれた場合に世襲させるべき引き出物が何もないのだから、そういう男の恋路もまた険しいものがあったわけだ。こうして、何度出しても返事のない手紙を書き続ける男の物語が、幾つも生まれたわけである(が、後代に残ることもほとんどないまま時の彼方に虚しく消え果てたわけである)。
 また、当時は一夫多妻制であり、男が複数の妻を持つのが許されたように、女性の方でもやはり一人の男性ばかりに操を立てることが求められる(江戸時代みたいな)時代ではなかったので、一旦恋愛関係が始まっても、男・女双方ともに、あまり気を抜いてはいられなかったのである。
 そうした幾多の恋の物語の生まれるきっかけとなったシーンが「垣間見」・・・現代の「覗き見」のように犯罪ではないが、色々な意味で罪作りな行為であったことは間違いないようだ。
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