【すくすく】・【すくよか】が嫌われる時代&土地柄

WEB古文講座『扶桑語り』より・・・「古語随想」ちょいかじり和語教養講座

-現代人はストレートがお好き-
 「すく」は、「すっく」(と背筋を伸ばして立つ)とか「まっすぐ」(straight一気通貫面前二翻)とかの直線的イメージを持つ擬態語である。
 「すくすく」育つ赤ちゃんとか、「すこやか」な健康を祈る大人たちとかは、現代的語感からはすこぶる「健全」な感じ・・・なのであるが、どうも古典時代の「すく」には、あまりそうした好感の響きがこもらなかったらしい。
-平安人は直情径行がキライ-
 「すく」の文字を二つ重ねて畳語化した形容詞「すくすくし」の語義は、次のように、段階的に悪いものになってゆく:
1)「実直」
 ・・・これは、まぁ、悪くはない。但し、平安人はこの種の「まめ」な態度を、あまり高く評価はしない。「実用第一」は「雅びは度外視」に通じるから、つまらない、という発想である。
2)「生真面目
 ・・・融通が利かず、面白くないし、時として困りものだ、となる。御公家さんというものは、自分じゃ何一つしない&できないものだから、下々の者たちの地に足のついた実直なる下支えの上に生きているくせに、着実な仕事ぶりだの武家のどっしりした構えだのに触れると、「あやし(怪し)・・・なんやよぅわからん」・「いやし(卑し)・・・あぁ、汚らわしい、触れんとこぅ」となるのだ。自分側としては気の利いたねぎらいのつもりで軽い冗談など投げてやっても、それに対しうまく反応できない下々の者の実直さに触れると「すくすくし」としてこれを小馬鹿にしたがる・・・「特権階層」を自称する連中のさもしい根性などいつの時代も変わらぬものであって、自分自身のプレイグラウンド上でのローカル・ルールでうまくプレイできぬ者を見つけては(というか、人為的に作り出しては)これを馬鹿にすることで、自らの相対的優位を確認したがるその根性は、柱状の物体を見ると後ろ足の一本を高々と跳ね上げてなるべく高い位置に自らのションベン引っ掛けて自分のポジションを「居丈高」に誇示したがる雄犬ワンコの衝動を、二足歩行ザルなりの’洗練度’で演じてるだけ(なのに、当人はバカすぎてそれを自覚する知性・感性・品性がない)・・・文芸的にはさしたる価値もない日本の古典文物も、そうした「わかってない上物気取りの愚かしさ」の見本市として批判的に読み流せば、それなりの使い出はあるものだ。
3)「無愛想
 ・・・相手の話や訴えかけに反応して、それなりに面白がったり悲しんだりの芝居っ気に富んだ応対ぐらいすればいいものを、自分自身の内面の心情にのみ実直に張り付くばかりで、’それが、どうした’・’つまらんものはつまらん’・’そんなのどうでも関係ない’的な木で鼻をったような態度を貫いて、人間味が感じられない。この感じは、現代に至るまで、関西人が関東もんを嫌う場合の典型的な反応として引き継がれているから面白い。関西人が関東者に対し「笑いに和する雅びさ」があるか否かのソナー探知反応的な「ボケ=わざとヘンなことを演じてみせること」を投げかける/関東者はそこに「ワンコの電信柱への小便かけ」的なキナ臭い「優越性確認行動=キミはどの程度まで雅び洒落を演じられるヒトかな?ひとつ見てやろう。さぁ、この上の句に対する、下の句やいかに?」を感じ取り、不愉快に思ってこれを無視する/関西人はこの「ツッコミ=相手のボケた行動に機敏に呼応しての、社交辞礼的な混ぜっ返し」のなさを見て(やっぱ、こいつぁカントモンや・・・アカンな、こいつとはよぉ付き合えへん。イケ好かんやっちゃでホンマ)と、その「すくすくし」さに白ける・・・この図式、冷徹に見抜いているのは「非関西人」のみである。「自分は高級人種;反応できん相手は下賤の者」という思い上がりのになっている者自身には、無自覚な高慢さゆえに、決して見えない面の疵・・・相手の目にはそれがありありと見えるから、ますます一層「ふん。勝手にやってるがいいさ!」とばかり非関西人は関西人への無反応を意地でも貫くこととなり、関西人はまた「クソ。つまらんやっちゃ!」となって、両者の溝は加速度的に深まるばかり。
 何ともお寒いそうした「関西人村八分の図」の一端を、古典時代の京都の御公家はんどもの「すくすくし」の中にでも読み取れれば、関西の人にもそれ以外の日本人にも、古文学習の効用たるや、大なるものがあろう・・・などと、実にすくよかなることばっか書いたこの「’すく’はイケ好かん西国事情」のエッセイの結びは、次のような決着で、どないゃ:
◆本来「すくやか(健全)」なるべき笑いでも、それを「みやび(優雅)」判定社交度試験めいて使おうとする魂胆が少しでも混じった途端に「むつかし(ムッ!と口を噤みたくなる)」と化す・・・そもそもが、自然的笑いを、対人判定資料に使おうという根性そのものからして、何とも貧乏臭い「まめ(実用第一)」で「すくすくし(生真面目)」すぎる「鄙び(ひなび)・里び(さとび)・田舎び(いなかび)」にして、「都び・宮び・雅び」とは似て非なるもの、そなぃ思ははりまへんか?・・・「笑い」はあくまで「笑は<る>=自発性の」もの;「笑は<る>=受身指向」や「笑は<す>=他者にも強いる」もんと、ちゃいまんねん。
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