【歌】・・・うたた・・・うたて・・・

WEB古文講座『扶桑語り』より・・・「古語随想」ちょいかじり和語教養講座

 「歌」と言えば、昔=「短歌」、今=「カラオケ」と、今も昔も妙に日本人には馴染みの深い芸当であるが、「歌ふ(うたふ)」という行為が、その語源に於いて「訴ふ(うたふ・・・うったふ)」と同値であることは、重度のカラオケ中毒症患者(&被害者)がわんさかひしめく現代日本に於いては把握しておくべき必須知識と言えるであろう。
 他者に何かを「訴ふる」場合、その内容は昔も今も「我が身のみには背負いきれぬ悲惨な状況」である。裁判所に訴え出て「ひどい誰かの行為を断罪&あわれな自分の損害を回復」せんとする原告の必死の自己主張も、お医者様に「先生、私、この頃とっても***なんです」と病状を懇々と訴える患者の泣き言も、はたで聞かされてあまり気分の良いものではない(・・・だからこそ’迷惑料’としての医療・司法関係者の報酬は、法外なまでに高額なのかもしれない)。
 この種の「訴ふ」と同列に連なるのが「歌ふ」である。胸中に溜まった心情を吐き出すために「歌ふ」人は、本筋の歌人以外にはほとんど存在しない(&本物の歌人など実は圧倒的少数派でしかない)というのが古今変わらぬ実情ではあるが、嘘っぽい思いでも安っぽい恋情でも何でもかんでもとにかく「声に乗せて息を吐き出す営みを他人の前で演じること」は、不思議なストレス発散効果を持つものであること、カラオケ・ジャンキーだらけの現代日本に於いては言ふべきにもあらざる真理であろう。それだけに、当人としてはひたすら気持ち良く「歌ふ」わけであるが、聞かされてる方が必ずしも当人ほどに良い気持ちであるわけもない。大方は、「自分も歌って気分良くなるつもり・・・だから、こいつのつまらん歌も聞き流してやろう」の我慢リスナーでしかない。
 そんな他人の気持ちをまるで無視して、ただひたすら当人が気持ち良くなるためだけの営みを延々・ズンズン続けてしまえば、どうなるか・・・古語では、この種の状態を「うたた」と形容する。漢字表記すれば「転」である:一旦転がり出した事態が加速度を付けて延々続くさま・・・こうした「ァタタ」的にイタい展開に対する周囲の人間の心理は「うたて」・・・「歌って!」ではなく「やめて!」・「もぅいい加減にしたってゃ!」の感じである。「うたた」は状況描写語/「うたて」は心理語であるが、いずれも「うた・うた・うた・うた・・・」の「誰かさんの個人的思惑を好き放題垂れ流してるばかりのエンドレスエスカレーション状況」への嫌気から生じたものである。
 博奕鉄火場では、勝ち誇って能書き垂れるヤツに向かって「ウタうなょ(=偉そうにベラベラ解説するなよ)」と釘を刺す場面が今でも見られるが、同様の訓戒はカラオケ場にも必要なもののような気がする(・・・と、この筆者の「うたいぶり」もなかなかに「うたた」・「うたて」・「うたてし」・「うたてあり」・「うたてなり」の感とともに受け止められているかもしれないが・・・ん?そう感じてる人達はもはや受け止めもせずに逃げ出してるから、関係ないか・・・ぁはは、んならこれからも好き放題解説垂れちまうことにしようかな)。
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