【言問ふ】は、ただの質問のみにてはあらず

WEB古文講座『扶桑語り』より・・・「古語随想」ちょいかじり和語教養講座

 古典時代と現代との習俗の違いから来る錯覚語義は数多いが、「言ふ」や「住む」が「男が女に言い寄り、恋愛・夫婦関係を結ぶ」の語義になる場合などはその最たるものだろう。現代のように男と女が学校だの職場だの電車の中だのといった普通の場所で平然と共存することのなかった時代だからこそ、男女の親密な歩み寄りには、物理的近接の前段階としてまず「手紙で相手に働きかけること」が必要だったので、「言ふ」はその意味でも現代よりはるかにロマンチック濃度が高いのだ。
 男女が親密になった後もなお、「言ふ」や「呼ばふ」や「語らふ」の恋愛語感は続く。「手紙」を通じての文字媒体での語らいから、肉声(+肉体)を通じての直接交渉へと段階が上がるだけに、至近距離でのひそひそ話のなまめかしさは、またひとしおなのだ。
 「言問ふ」もまたそういうロマンス系語の仲間であるが、この語の場合はもう少し客観的な「意思疎通」や「質問」や「音信・訪問」、あるいは「仲間同士の親しげなお喋り」の意味で用いられる場合も多いので、単なるオトモダチをカレシやカノジョ(orオホモダチ)にせぬよう、脈絡を注視してほしい。
 ちなみに、現代に於ける異性への積極アタック語「口説く(くどく)」は、平安文物には登場しない。「口撃」可能な至近距離に居合わせる男女は、平安期の場合、すでにもう相当以上に密接な関係なのだから、今更「くどく」必要もないのであって、「口説く」が異性への「woo/court」を意味するようになるのは、男と女が平然と同じ場所を占有するようになる近世以降の歌舞伎用語あたりからのことである。
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