徒然草001)いでや、この世に生まれては

 いでや、この世に生まれては、願はしかるべきことこそ多かめれ。みかどの御位はいともかしこし。竹の園生の末葉まで、人間の種ならぬぞやむごとなき。一の人の御有様はさらなり、ただ人も、舎人など賜はるきははゆゆしと見ゆ。その子うまごまでは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下つ方は、程につけつつ、時にあひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いと口をし。
 法師ばかりうらやましからぬものはあらじ。「人には木の端のやうに思はるるよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞかし。勢ひ猛にののしりたるにつけて、いみじとは見えず。増賀ひじりのいひけむやうに名聞くるしく、仏の御教へにたがふらむとぞおぼゆる。ひたぶるの世捨人は、なかなかあらまほしきかたもありなむ。
 人は、かたち、有様のすぐれたらむこそ、あらまほしかるべけれ。ものうちいひたる、聞きにくからず、愛敬ありて、ことば多からぬこそ、あかず向かはまほしけれ。めでたしと見る人の、心劣りせらるる本性見えむこそくちをしかるべけれ。品かたちこそ生まれつきたらめ、心はなどか賢きより賢きにも移さば移らざらむ。かたち、心ざまよき人も、才なくなりぬれば、品くだり、顔にくさげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるるこそ本意なきわざなれ。
 ありたき事は、まことしき文の道、作文、和歌、管弦の道。また有識に公事の方、人の鏡ならむこそいみじかるべけれ。手などつたなからず走り書き、声をかしくて拍子とり、いたましうするものから、下戸ならぬこそ男はよけれ。
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