堤中納言物語007)思はぬ方にとまりする少将

 昔物語などにぞ、かやうのことは聞こゆるを、いとありがたきまであはれに、浅からぬ御契りのほど見えし御ことを、つくづくと思ひ続くれば、年の積もりにけるほども、あはれに思ひ知られけり。
 大納言の姫君、二人ものし給ひし、まことに物語に書きつけたる有様に劣るまじく、何事につけても、生ひ出で給ひしに、故大納言も母上も、うち続きかくれ給ひにしかば、いと心細き古里にながめ過ぐし給ひしかど、はかばかしく御乳母だつ人もなし。
 ただ、常に候ふ侍従、弁などいふ若き人々のみ候へば、年に添へて人目稀にのみなりゆく古里に、いと心細くておはせしに、右大将の御子の少将、知るよしありて、いと切に聞こえわたり給ひしかど、かやうの筋は、かけても思しよらぬことにて、御返り事など思しかけざりしに、少納言の君とて、いといたう色めきたる若き人、何の便りもなく、二所大殿籠りたる所へ、導き聞こえてけり。
 もとより御心ざしありけることにて、姫君をかき抱きて、御帳の内へ入り給ひにけり。思しあきれたるさま、例のことなれば書かず。
 おしはかり給ふにしもすぎて、哀れに思さるれば、うち忍びつつ通ひ給ふを、父の殿聞き給ひて、「人のほどなど、口惜しかるべきにはあらねど、何かはいと心細き所に」など、許しなくのたまへば、思ふ程にもおはせず。女君も、しばしこそ忍び過し給ひしか、さすがにさのみはいかがおはせむ、さるべきに思し慰めて、やうやううちなびき給へるさま、いとどらうたくあはれなり。昼などおのづから、寝過ぐし給ふをり、見奉り給ふに、いと貴にらうたく、うち見るより心苦しきさまし給へり。
 何事もいと心憂く、人目稀なる御住まひに、人の御心もいと頼み難く、「いつまで」とのみ詠められ給ふに、四五日いぶせくて積もりぬるを、「思ひしことかな」と心細きに、御袖ただならぬを、我ながら「いつ習ひけるぞ」と思ひ知られ給ふ。
  人ごごろ秋のしるしの悲しきにかれ行くほどのけしきなりけり  
など、「手習ひに、馴れにし心なるらむ」などやうにうち歎かれて、やうやう更け行けば、ただうたたねに、御帳の前にうち臥し給ひにけり。
 少将、内より出で給ふとておはして、うち叩き給ふに、人々おどろきて、中の君起し奉りて、我が御方へ渡し聞こえなどするに、やがて入り給ひて、「大将の君のあながちに誘ひ給ひつれば、長谷へ参りたりつるほどの事」など語り給ふに、ありつる御手習のあるを見給ひて、
  常磐なる軒のしのぶを知らずして枯れゆく秋のけしきとや思ふ  
と書き添へて見せ奉り給へば、いと恥づかしうて御顔引き入れ給へるさま、いとらうたく子めきたり。
 かやうにて明かし暮らし給ふに、中の君の御乳母なりし人は失せにしが、女一人あるは、右大臣の少将の御乳母子の左衛門の尉といふが妻なり。たぐひなくおはするよしを語りけるを、かの左衛門の尉、少将に、「しかじかなむおはする」と語り聞こえければ、按察の大納言の御もとには心留め給はず、あくがれありき給ふ君なれば、御文などねんごろに聞こえ給ひけれど、つゆあるべきこととも思したらぬを、姫君も聞き給ひて、「思ひの外に。あはあはしき身の有様をだに、心憂く思ふ事にて侍れば。まことに強きよすがおはする人を」などのたまふも哀れなり。さるは幾程のこのかみにもおはせず、姫君は、二十に一つなどや余り給ふらむ。中の君は、今三つばかりや劣り給ふらむ。いとたのもしげなき御さまどもなり。
 左衛門、あながちに責めければ、太秦に籠り給へる折を、いとよく告げ聞こえてければ、例の、つつましき御さまなれば、ゆゑもなく入り給ひにけり。姉君も聞き給ひて、「『我が身こそあらめ、いかでこの君をだに、人々しうもてなし聞こえむ』と思へるを、さまざまにさすらふも、世の人聞き思ふらむ事も心憂く、亡きかげにもいかに見給ふらむ」と、はづかしう、契り口惜しう思さるれど、今はいふかひなき事なれば、いかがはせむにて見給ふ。
 これも、いとおろかならず思さるれど、按察の大納言、聞き給はむ所をぞ、父殿いと急に諫め給へば、今一方よりはいと待ち遠に見え給ふ。この右大臣殿の少将は、右大臣の北の方の御せうとにものし給へば、少将たちもいと親しくおはする、かたみに、このしのび人も知り給へり。右大臣の少将をば、権の少将とぞ聞こゆる。按察の大納言の御もとに、この三年ばかりおはしたりしかども、心留め給はず、世と共にあくがれ給ふ。この忍び給ふ御ことをも、「大将殿におはする」など思はせ給へり。いづれも、いとをかしき御ふるまひも、あながちに制し聞こえ給へば、いといたく忍びて、大将殿へ迎へ給ふをりもあるを、いとどかるがるしうつつましき心地のし給へど、「今はのたまはむ事を違へむもあいなき事なり。あるまじき所へおはするにてもなし」など、さかしだち進め奉る人々多かれば、我にもあらず、時々おはする折もありけり。
 権少将は、大将殿のうへの、御風の気おはするにことつけて、例の泊り給へるに、いと物騒がしく、客人など多くおはする程なれど、いと忍びて御車奉り給ふに、左衛門の尉も候はねば、時々もかやうの事に、いとつきづきしき侍もささめきて、御車奉り給ふ。大将殿のうへ、例ならず物し給ふ程にて、いたく紛るれば、御文もなき由、のたまふ。
 夜いたく更けて、かのところに詣でて、「少将殿より」とて、「忍びて聞こえむ」といふに、人々皆寝にけるに、姫君の御方の侍従の君に、「少将殿より」とて、御車奉り給へるよしを言ひければ、ねぼけにける心地に、「いづれぞ」と尋ぬる事もなし。「例も参る事なれば」と思ひて、「かうかう」と君に聞こゆれば、「文などもなし。『風にや。例ならぬ』など言へ」とのたまへば、「御使こち」と言はせて、妻戸を開けたれば、寄り来るに、「御文なども侍らぬは、いかなる事にか。また、御風の気の物し給ふとて」といふに、「『大将殿のうへ、御風の気むづかしくおはして、人騒がしく侍る程なれば、この由を申せ。さきざきの御使に参り侍る人も候はぬ程にて』など、返す返す仰せられつるに、空しく帰り参りては、必ずさいなまれ侍りなむず」といへば、参りて、「しかじか」と聞こえて進め奉れど、例の、人のままなる御心にて、薄色のなよよかなるが、いとしみ深う懐かしきほどなるを、いとど心苦しげにめして、乗り給ひぬ。侍従ぞまゐりぬる。
 御車寄せて下し奉り給ふを、いかであらぬ人とは思さむ。限りなく懐かしう、なめやかなる御けはひは、いとよく通ひ給へれば、少しも思しもわかぬほどに、やうやうあらぬと見なし給ひぬる心惑ひぞ、現とはおぼえぬや。かの昔夢見し初めよりも、なかなか恐ろしうあさましきに、やがて引き被き給ひぬ。侍従こそは、「いかにと侍る事にか」と、「これはあらぬ事になむ。御車寄せ侍らむ。」と、泣く泣くいふを、さばかり色なる御心には、許し給ひてむや。寄りて引き放ち聞こゆべきならねば、泣く泣く几帳の後にゐたり。
 男君は、ただにはあらず、優に思さるる事もありけむ、いと嬉しきに、いたう泣き沈みたまふ気色も道理ながら、いと馴れ顔に、かねてしも思ひあへたらむ事めきて、様々聞こえ給ふ事もあるべし。隔てなくさへなりぬるを、女は死ぬばかりぞ、心憂く思したる。かかる事は、例の、哀れもあさからぬにや、類なくぞ思さるる。
 あさましき事は、今の一人の少将の君も、母上の御風よろしきさまに見え給へば、「彼所へ」と思せど、「夜など、きと尋ね給ふ事もあらむに、折節、なからむも。」と思して、御車奉り給ふ。これは、さきざきも、御文なき折もあれば、何とものたまはず。例の清李参りて、「御車」といふを、申し伝ふる人も、一所はおはしぬれば、疑ひなく思ひて、「かく」と申すに、これも「いとにはかに」とは思せど、今少し若くおはするにや、何とも思ひ至りもなくて、人々御衣など着せ換へ奉りつれば、我にもあらでおはしぬ。
 御車寄に、少将おはして物などのたまふに、あらぬ御けはひなれば、弁の君、「いとあさましくなむ侍る」と申すに、君も心敏くこころえ給ひて、日ごろも、いとにほひやかに、見まほしき御さまの、おのづから聞き給ふ折もありければ、「いかで『思ふとだにも』」など、人知れず思ひ渡り給ひける事なれば、「何か、あらずとて疎く思すべき」とて、かき抱きておろし給ふに、いかがはすべき。さりとて我さへ捨て奉るべきならねば、弁の君も下りぬ。女君は、ただわななかれて、動きだにもし給はず。弁いと近う、つととらへたれど、何とかは思さむ。「今はただ然さるべきに思しなせ。世に人の御為あしき心は侍らじ」とて、几帳押し隔て給へれば、せむ方なくて泣き居たり。これも、いとあはれ限りなくぞおぼえ給ひける。
 おのおの帰り給ふ曉に、御歌どもあれど、例のもらしにけり。男も女も、いづ方も、ただ、同じう御心の中に、あいなう胸ふたがりてぞ思さるる。さりとて、また、もと、おろかにはあらぬ御思ひどもの、めづらしきにも劣らず、いづ方も限りなかりけるこそ、なかなか深きしも苦しかりけれ。
 「権少将殿より」とて御文あり。起きもあがられ給はねど、人目あやしさに、弁の君ひろげて見せ奉る。
  思はずに我が手になるる梓弓ふかき契りのひけばなりけり  
「あはれ」と見いれ給ふべきにもあらねば、人目怪しくて、さりげなくつつみていだしつ。
 今一方も、「少将殿より」とてあれば、侍従の君、胸潰れて見せ奉れば、
  浅からぬ契りなればぞ涙川おなじ流れに袖濡らすらむ  
とあるを、何方にもおろかに仰せられむとにや。返す返す、ただ同じさまなる御心のうちどものみぞ、心苦しう。
とぞ本にも侍る。
 劣り優るけぢめなく、さまざま深かりける御心ざしども、はてゆかしうこそ侍れ。なほとりどりなりける中にも、めづらしきはなほ、立ち優りやありけむに、見馴れ給ふにも、年月もあはれなるかたは、いかが劣るべき、と、本にも、「本のまま」と見ゆ。
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