堤中納言物語010)よしなしごと

 人のかしづくむすめを、ゆゑだつ僧、忍びて語らひけるほどに、年の果てに山寺に籠るとて、「旅の具に、筵、畳、盥、半ざふ、貸せ」と言ひたりければ、女、長筵、何やかや供養したりける。それを、女の師にしける僧の聞きて、「我も、もの借りにやらむ」とて、書きてありける文のことばのをかしさに、書き写して侍るなり。世づかずあさましきことなり。唐土、新羅に住む人、さては常世の国にある人、我が国には山賤、みやつこの乞ひまろなどや、かかることばは聞こゆべき。それだにも。
 簾垂編みの翁は角大師のむすめに名立ち、賤しき中にも、子どもの生ひ先侍りけるになむ。それにも劣りたりける心かなとは思すとも、わりなきことの侍りてなむ。
 世の中の心細く悲しうて、見る人聞く人は、朝の霜と消え、夕べの雲とまがひて、いと哀れなることがちにて、「あるは少すくなく、なきは数添ふ世の中」と見え侍れば、「我が世や近く」とながめ暮らすも、心地つくしくだくことがちにて、「なほ、世こそ、稲光よりもほどなく、風の前の火よりも消えやすきものなれ」とも、うらがなしく思ひ続けられ侍れば、「吉野の山のあなたに家もがな、世の憂き時の隠れ家に」と、際高く思ひ立ちて侍るを、いづこに籠り侍らまし。
 富士のたけと浅間の峰とのはざまならずは、竈山と日の御崎との絶え間にまれ、さらずは、白山と立山とのいきあひの谷にまれ、また愛宕と比叡の山との中あひにもあれ、人のたはやすく通ふまじからむ所に、跡を絶えて籠りゐなむと思ひ侍るなり。この国はなほ近し。唐土の五台山、新羅の峰にまれ、それもなほけ近し、天竺の山、鶏の峰の岩屋にまれ、籠り侍らむ。それもなほつち近し。雲の上にひらきのぼりて、月日の中にまじり、霞の中に飛び住まばやと思ひ立ちて、このごろ出で立ち侍るを、いづちまかるとも、身を捨てぬものなれば、いるべきものども多く侍る。誰にかは聞こえさせむ。年ごろも御覧じて久しくなりぬ。情ある御心とは聞き渡りて侍れば、かかる折だに聞こえむとてなむ。
 旅の具にしつべき物どもや侍る。貸させ給へ。まづ、いるべき物どもよな。
 雲の上にひらきのぼらむ料に、天の羽衣ひとつら、料に侍る、求めて給へ。それならでは、ただの袙、衾、せめて、なくは、布の破襖にても。または、十余間の檜皮屋ひとつ、廊、寝殿、大殿、車宿りも用侍れど、遠きほどは所狭かるべし。ただ、腰に結ひつけてまかるばかりの料に、屋形ひとつ。
 畳などや侍る。錦端、高麗端、繧繝端、紫端の畳。それ侍らずは、布縁さしたらむ破れ畳にてまれ貸し給へ。玉江に刈る真菰にまれ、逢ふこと交野の原にある菅薦にまれ、ただあらむを貸し給へ。十布の菅薦な給ひそ。
 筵は、荒磯海の浦にぞ刈るなる出雲筵にまれ、生の松原のほとりに出で来なる筑紫筵にまれ、みなとが浦に刈るなる上つ総筵にまれ、底いる入江に刈るなる田並筵にまれ、七条のなは筵にまれ、侍らむを貸し給へ。またきなくは、破れ筵にても貸させ給へ。
 屏風も用侍り。唐絵、大和絵、布の屏風にても、唐土の黄金を縁に磨きたるにてもあれ、新羅の玉を釘に打ちたるにまれ。これらなくは、網代屏風の破れたるにもあれ、貸し給へ。
 盥や侍る。丸盥にまれ、うち盥にもあれ、貸し給へ。それなくは、かけ盥にまれ貸し給へ。
 けぶりが崎に鋳るなる能登鼎にてもあれ、真土が原に作るなる讚岐釜にもあれ、石上にあなる大和鍋にてもあれ、筑摩の祭に重ぬる近江鍋にてもあれ、楠葉の御牧に作るなる河内鍋にまれ、いちはらに打つなるさがりにまれ、富、片岡に鋳るなる鉄鍋にもあれ、飴鍋にもあれ、貸し給へ。
 邑久につくるなる火桶、折敷もいるべし。信楽の大笠、あめの下のつがり簑も、たいせちなり。伊予手箱、筑紫皮籠もほしく侍り。せめては浦島の子がこ籠にまれ、しかの皮袋にまれ、貸し給へ。
 わびしきことなれど、露の命絶えぬ限りは食ひ物もよう侍り。妙香合子の信濃梨、斑鳩山の枝栗、三方の郡の若狭椎、天の橋立の丹後和布、出雲の浦の甘海苔、枝箸の賀茂まがり、若江の郡の河内蕪、野洲、栗太の近江餅、小松、加太の伊賀乾瓜、翔け鷹が峰の松の実、道の奥の島のうべあけび、外山の柑子橘。これ侍らずは、やもめのわたりの煎り豆などやうの物、賜はせよ。
 いでや、いるべき物どもいと多く侍り。せめてはただ、足鍋ひとつ、長筵ひとつら、盥ひとつなむいるべき。もしこれら貸し給はば、すずろならむ人にな給ひそ。ここに使ふ童、大空のかげろふ、海の水のあわといふ、二人の童べに給へ。
 出で立つ所は、科戸の原の上の方に、天の川のほとり近く、鵲の橋づめに侍り。そこに必ず送らせ給へ。これら侍らずば、えまかりのぼるまじきなめり。世の中に、物のあはれ知り給ふらむ人は、これらを求めて給へ。なほ、世を憂しと思ひ入りたるを、もろ心にいそがし給へ。
 かかる文など、人に見せさせ給ひそ。「ふくつけたりけるものかな」と見る人もぞ侍る。御返りは空によ。ゆめゆめ。
 つれづれに侍るままに、よしなしことども書きつくるなり。聞くことのありしに、いかにいかにぞやおぼえしかば。風の音、鳥のさへづり、虫の音、波うち寄せし声に、ただ添へ侍りしぞ。
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