宇治拾遺物語(巻一 三)003鬼に瘤取らるる事

 これも今は昔、右の顔に大きなる瘤ある翁ありけり。大柑子の程なり。人に交じるに及ばねば、薪をとりて世を過ぐるほどに、山へ行きぬ。雨風はしたなくて、帰るにことよわりて、山の中に心にもあらず泊まりぬ。また木こりもなかりけり。恐ろしさすべき方なし。木のうつほのありけるにはひ入りて、目も合はず屈まりゐたるほどに、遥かより人の音多くして、とどめき来る音す。いかにも山の中ただ一人ゐたるに、人のけはひのしければ、少し生き出づる心地して見出しければ、おほかた、やうやうさまざまなる者ども、赤き色には青き物を着、黒き色には赤き物を褌にかき、おほかた、目一つある者あり、口なき者など、おほかた、いかにもいふべきにあらぬ者ども百人ばかりひしめき集まりて、火を天の目のごとくにともして、我がゐたるうつほ木の前にゐまはりぬ。おほかた、いとど物覚えず。
 むねとあると見ゆる鬼、横座にゐたり。うらうへに二ならびに居並みたる鬼、数を知らず。その姿おのおの言ひ尽くしがたし。酒参らせ、遊ぶ有様、この世の人のする定なり。たびたび土器始まりて、むねとの鬼、ことのほかに酔ひたる様なり。末より若き鬼一人立ちて、折敷をかざして、何といふにか、くどきくせせる事を言ひて、横座の鬼の前に練り出でてくどくめり。横座の鬼盃を左の手に持ちて笑みこだれたるさま、ただこの世の人のごとし。舞ひて入りぬ。次第に下より舞ふ。悪しく、よく舞ふもあり。
 あさましと見るほどに、横座にゐたる鬼のいふやう、「今宵の御遊びこそいつにもすぐれたれ。ただし、さも珍しからん奏でを見ばや」などいふに、この翁、物の憑きたりけるにや、また然るべく神仏の思はせ給ひけるにや、あはれ、走り出でて舞はばやと思ふを、一度は思ひ返しつ。それに何となく鬼どもがうち揚げたる拍子のよげに聞こえければ、「さもあれ、ただ走り出でて舞ひてん、死なばさてありなん」と思ひとりて、木のうつほより烏帽子は鼻に垂れかけたる翁の、腰に斧といふ木伐る物さして、横座の鬼のゐたる前に踊り出でたり。この鬼ども躍りあがりて、「こは何ぞ」と騒ぎ合へり。翁、伸びあがり屈まりて、舞ふべき限り、すぢりもぢり、えい声を出して一庭を走りまはり舞ふ。
 横座の鬼のいはく、「多くの年ごろこの遊びをしつれども、いまだかかる者にこそあはざりつれ。今よりこの翁、かやうの御遊びに必ず参れ」と言ふ。翁申すやう、「沙汰に及び候はず、参り候ふべし。この度にはかにて納めの手も忘れ候ひにたり。かやうに御覧にかなひ候ひて、静かにつかうまつり候はん」と言ふ。横座の鬼、「いみじく申したり。必ず参るべきなり」と言ふ。奥の座の三番にゐたる鬼、「この翁はかくは申し候へども、参らぬ事も候はんずらんと覚え候ふに、質をや取らるべく候ふらん」と言ふ。横座の鬼、「然るべし、然るべし」と言ひて「何をか取るべき」と、おのおの言ひ沙汰するに、横座の鬼のいふやう、「かの翁が面にある瘤をや取るべき。瘤は福の物なれば、それをや惜しみ思ふらん」といふに、翁がいふやう、「ただ目鼻をば召すとも、この瘤は許し給ひ候はん。年ごろ持ちて候ふ物を故なく召されん、ずちなき事に候ひなん」と言へば、横座の鬼、「かう惜しみ申すものなり。ただそれを取るべし」と言へば鬼寄りて、「さは取るぞ」とてねぢて引くに、おほかた痛き事なし。さて、「必ずこの度の御遊びに参るべし」とて暁に鳥など鳴きぬれば、鬼ども帰りぬ。翁顔を探るに、年ごろありし瘤跡なく、かいのごひたるやうにつやつやなかりければ、木こらん事も忘れて家に帰りぬ。妻の姥、「こはいかなりつる事ぞ」と問へば、しかじかと語る。「あさましきことかな」と言ふ。
 隣にある翁、左の顔に大きなる瘤ありけるが、この翁、瘤の失せたるを見て、「こはいかにして瘤は失せ給ひたるぞ。いづこなる医師の取り申したるぞ。我に伝え給へ。この瘤取らん」と言ひければ、「これは医師の取りたるにもあらず。しかじかの事ありて、鬼の取りたるなり」と言ひければ「我その定にして取らん」とて、事の次第をこまかに問ひければ、教へつ。
 この翁いふままにして、その木のうつほに入りて待ちければ、まことに聞くやうにして、鬼ども出で来たり。ゐまはりて酒飲み遊びて、「いづら、翁は参りたるか」と言ひければ、この翁恐ろしと思ひながら揺るぎ出でたれば、鬼ども「ここに翁参りて候ふ」と申せば、横座の鬼、「こち参れ、とく舞へ」といへば、さきの翁よりは、天骨もなく、おろおろ奏でたりければ、横座の鬼、「この度はわろく舞ひたり。かへすがへすわろし。その取りたりし質の瘤返したべ」と言ひければ、末つ方より鬼出で来て、「質の瘤返したぶぞ」とて、いま片方の顔に投げつけたりければ、うらうへに瘤つきたる翁にこそなりたりけれ。
 物うらやみはすまじき事なりとか。
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