宇治拾遺物語(巻四 十)062篤昌忠恒等の事

 これも今は昔、民部大輔篤昌といふ者ありけるを、法性寺殿の御時、蔵人所の所司に、義助とかやいふ者ありけり。件の篤昌を役に催しけるを、「我はかやうの役はすべき者にもあらず」とて、参らざりけるを、所司、小舎人をあまたつけて、苛法に催しければ、参りにけり。さてまづこの所司に、「物申さん」と呼びければ、出であひけるに、この世ならず腹立ちて、「かやうの役に催し給ふはいかなる事ぞ。まづ篤昌をばいかなる者と知り給ひたるぞ。承らん」と、しきりに責めけれど、しばしは物もいはでゐたりけるを、叱りて、「宣へ。まづ篤昌がありやう承らん」といたう責めければ、「別の事候はず。民部大輔五位、鼻赤きにこそ知り申したれ」と言ひたりければ、「をう」と言ひて、逃げにけり。
 また、この所司がゐたりける前を、忠恒といふ随身、異様にて練り通りけるを見て、「わりある随身の姿かな」と忍びやかに言ひけるを、耳とく聞きて、随身、所司が前に立ちかへりて、「わりあるとは、いかに宣ふ事ぞ」と咎めければ、「我は、人のわりのありなしもえ知らぬに、ただ今、武正府生の通られつるを、この人々、『わりなき者の様体かな』と言ひ合はせつるに、少しも似給はねば、さてはもし、わりのおはするかと思ひて、申したりつるなり」といひたりければ、忠恒、「をう」と言ひて逃げにけり。この所司をば荒所司とぞつけたりけるとか。
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