宇治拾遺物語(巻十 六)119東人生贄を止むる事

 今は昔、山陽道美作国に、中山、高野と申す神おはします。高野は蛇、中山は猿丸にてなんおはする。その神、年ごとの姿に、かならず生贄を奉る。人の娘のかたちよく、髪長く、色白く、身なりをかしげに、姿らうたげなるをぞ、選び求めて、奉りける。昔より今にいたるまで、その祭おこたり侍らず。
 それに、ある人の女、生贄にさしあてられにけり。親ども泣き悲しむこと限りなし。人の親子となることは、さきの世の契りなりければ、あやしきをだにも、おろかにやは思ふ。まして、よろづにめでたければ、身にも増さりておろかならず思へども、さりとて、のがるべからねば、なげきながら月日を過ぐすほどに、やうやう命つづまるを、親子とあひ見んこと、いまいくばくならずと思ふにつけて、日を数へて、明け暮れは、ただねをのみ泣く。
 かかるほどに東の人の、狩といふ事をのみ役として、猪のししといふものの腹たちしかりたるはいと恐ろしきものなり、それをだに、なにとも思ひたらず、心にまかせて、殺しとり食ふことを役とする者の、いみじう身の力つよく、心たけく、むくつけき荒武者の、おのづから出できて、そのわたりにたちめぐるほどに、この女の父母のもとに来にけり。
 物語するついでに、女の父のいふやう、「おのれ、女のただひとり侍るをなん、かうかうの生贄にさしあてられ侍りけり。さきの世にいかなる罪をつくりて、この国に生まれてかかる目を見侍るらん。かの女子も、『心にもあらず、あさましき死にをし侍りなんずるかな』と申す。いとあはれにかなしう侍るなり。さるは、おのれが女とも申さじ、いみじううつくしげに侍るなり」と言へば、あづまの人「さてその人は、今は死に給ひなんずる人にこそはおはすれ。人は命にまさることなし。身のためにこそ、神もおそろしけれ。この度の生贄を出ださずして、その女君を、みづからにあづけ給ふべし。死に給はんことにこそおはすれ。いかでか、ただひとりもち奉り給へらん御女を、目の前に、いきながらなますにつくり、きりひろげさせては見給はん。ゆゆしかるべき事なり。さる目見給はんもおなじ事なり。ただその君を我にあづけ給へ」と、ねんごろに言ひければ、「げに目の前にゆゆしきさまにて、死なんを見んよりは」とて、とらせつ。
 かくてあづま人、この女のもとに行きてみれば、かたち、すがた、をかしげなり。愛敬めでたし。物思ひたるすがたにて、よりふして、手習ひをするに、涙の、袖の上にかかりて濡れたり。かかるほどに、人のけはひのすれば、髪を顔にふりかくるを見れば、髪もぬれ、顔もなみだにあらはれて、思ひいりたるさまなるに、人の来たれば、いとどつつましげに思ひたるけはひして、すこしそばむきたるすがた、まことにらうたげなり。およそ、けだかく、しなじなしう、をかしげなること、田舎人の子といふべからず。東人、これをみるに、悲しきこと、いはん方なし。
 されば、「いかにもいかにも我が身なくならばなれ、ただそれにかはりなん」と思ひて、この女の父母にいふやう、「思ひかまふる事こそ侍れ。もしこの君の御事によりて滅びなどし給はば、苦しとやおぼさるべき」と問へば、「このために、みづからは、いたづらにもならばなれ。更に苦しからず。生きても、なににかはし侍らんずる。ただおぼされんままに、いかにもいかにもし給へ」といらふれば、「さらば、この御祭の御きよめするなりとて、しめ引きめぐらして、いかにもいかにも、人な寄せ給ひそ。また、これにみづから侍ると、な人にゆめゆめしらせ給ひそ」と言ふ。さて日ごろこもりゐて、この女房と思ひすむこといみじ。
 かかるほどに、年ごろ山につかひならはしたる犬の、いみじき中にかしこきを、二つ選りて、それに、いきたる猿丸をとらへて、明け暮れは、やくやくと食ひころさせてならはす。さらぬだに、猿丸と犬とはかたきなるに、いとかうのみならはせば、猿をみては躍りかかりて、食ひ殺す事限りなし。さて明け暮れは、いらなき太刀を磨き、刀をとぎ、剣をまうけつつ、ただこの女の君とことぐさにするやう、「あはれ、先の世にいかなる契りをして、御命にかはりて、いたづらになり侍りなんとすらん。されど、御かはりと思へば、命は更に惜しからず。ただ別れ聞こえなんずと思ひ給ふるが、いと心ぼそく、あはれなる」などいへば、女も「まことに、いかなる人のかくおはして、思ひものし給ふにか」と、言ひ続けられて、悲しうあはれなることいみじ。
 さて過ぎ行くほどに、その祭りの日になりて、宮司よりはじめよろづの人々こぞり集まりて、迎へにののしり来て、新しき長櫃を、この女のゐたるところにさし入れて言ふやう、「例のやうに、これに入れて、その生贄出だされよ」と言へば、この東人、「ただこのたびのことは、みづからの申さんままにし給へ」とて、この櫃にみそかに入り伏して、左右の側に、この犬どもを取り入れて言ふやう、「おのれら、この日ごろいたはり飼ひつるかひありて、このたびの我が命に変はれ。おのれらよ」と言ひて、かきなづれば、うちめきて、脇にかい寄りて、みな伏しぬ。また日ごろ、研ぎ磨きつる太刀、刀みな取り入れつ。
 さて、櫃の蓋をおほひて、布して結ひて、封つけて、我が女を入れたるやうに思はせて、さし出だしたれば、鉾、榊、鈴、鏡をふり合はせて、先追ひののしりて、持て参るさま、いといみじ。
 さて、女、これを聞くに、我にかはりてこの男のかくて去ぬるこそ、いとあはれなれと思ふに、また不意に事出で来ば、我が親たちいかにおはせんと、かたがたに嘆きゐたり。されども、父母の言ふやうは、「身がためにこそ、神も仏も恐ろしけれ。死ぬる君のことなれば、今は恐ろしきこともなし。同じ事を、かくてをなくなりなん。今は滅びんとも苦しからず」と言ひゐたり。かくて生贄を御社に持て参り、神主、祝詞いみじく申して、神の御前の戸をあけて、この長櫃をさし入れて、戸をもとのやうにさして、それより外の方に、宮司をはじめて、次々の司ども、次第にみな並びゐたり。
 さるほどに、この櫃を刀の先して、みそかに穴をあけて、東人見ければ、まことにえもいはず大きなる猿の、たけ七八尺ばかりなる、顔と尻とは赤くして、むしり綿を着たるやうに、いらなく白きが、毛は生ひあがりたるさまにて、横座によりゐたり。次々の猿ども、左右に二百ばかり並みゐて、様々に顔を赤くなし、眉をあげ、声声に鳴き叫びののしる。いと大きなるまな板に、長やかなる包丁刀を具して置きたり。めぐりには、酢、酒、塩入りたる瓶どもなめりと見ゆる、あまた置きたり。
 さて、しばしばかりあるほどに、この横座にゐたるを猿寄り来て、長櫃の結ひ緒をときて、蓋をあけんとすれば、次々の猿ども、みな寄らんとするほどに、この男、「犬ども、食らへ。おのれ」と言へば、二つの犬躍り出でて、中に大きなる猿を食ひて、うち伏せて、ひき張りて、食ひ殺さんとするほどに、この男髪を乱りて、櫃より躍り出でて、氷のやうなる刀を抜きて、その猿をまな板の上に引き伏せて、首に刀をあてて言ふやうは、「おのれが人の命を絶ち、そのししむらを食ひなどするものは、かくぞある。おのれら、承れ。たしかにしや首切りて、犬に飼ひてん」と言へば、顔を赤くなして、目をしばたたきて、歯をま白にくひ出して、目より血の涙を流して、まことにあさましき顔つきして、手をすり悲しめども、さらに許さずして、「おのれが、そこばくのおほくの年ごろ、人の子どもをくひ、人の種を絶つかはりに、しや頸切りて捨てん事、ただ今にこそあめれ。おのれ、神ならば、我を殺せ。更に苦しからず」といひながら、さすがに、首をばとみに切りやらず。さるほどに、この二つの犬どもに追はれて、おほくの猿ども、みな木のうへに逃げのぼり、まどひさわぎ、叫びののしるに、山もひびきて、地も返りぬべし。
 かかるほどに、一人の神主に神憑きていふやう、「今日より後、さらにさらにこの生贄をせじ。長くとどめてん。人を殺すこと、懲りとも懲りぬ。命を絶つ事、今よりながくし侍らじ。また我をかくしつとて、この男とかくし、また今日の生贄にあたりつる人のゆかりを、れうじわづらはすべからず。あやまりて、その人の子孫の末々に至るまで、我、まもりとならん。ただとくとく、このたびの我が命を乞ひうけよ。いと悲し。我を助けよ」と宣へば、宮司、神主よりはじめて、おほくの人ども、驚きをなして、みな社のうちに入り立ちて、さわぎあわてて、手をすりて、「理おのづからさぞ侍る。ただ御神に許し給へ。御神もよくぞ仰せらるる」といへども、この東人、「さなすかされそ。人の命を絶ち殺す物なれば、きやつに、もののわびしさを知らさんと思ふなり。わが身こそあなれ、ただ殺されん、苦しからず」と言ひて、さらに許さず。かかるほどに、この猿の首は、斬り放たれぬと見ゆれば、宮司も手惑ひして、まことにすべき方なければ、いみじき誓言どもをたてて、祈り申して、「今より後は、かかること、さらにさらにすべからず」など、神もいへば、「さらばよしよし。今より後は、かかることなせそ」と、言ひふくめて許しつ。さてそれより後は、すべて、人を生贄にせずなりにけり。
 さてその男、家にかへりて、いみじう男女あひ思ひて、年ごろの妻夫になりて、過ぐしけり。男はもとより故ありける人の末なりければ、口惜しからぬさまにて侍りけり。その後は、その国に、猪、鹿をなん生贄にし侍りけるとぞ。
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