宇治拾遺物語(巻十 七)120豊前王の事

 今は昔、柏原の帝の御子の五の御子にて、豊前の大君といふ人ありけり。四位にて、司は刑部卿、大和守にてなんありける。世の事をよく知り、心ばへすなほにて、おほやけの御政をも、よきあしきよく知りて、除目のあらんとても、先、国のあまたあきたる、望む人あるをも、国のほどにあてつつ、「その人は、その国の守にぞなさるらん。その人は、道理立てて望むともえならじ」など、国ごとにいひゐたりける事を、人聞きて、除目の朝に、この大君の推し量りごとにいふ事は、つゆたがはねば、「この大君の推し量り除目かしこし」と言ひて、除目の前には、この大君の家にいき集ひてなん、「なりぬべし」といふ人は、手をすりて悦び、「えならじ」と言ふを聞きつる人々は、「なに事言ひをる古大君ぞ。さえの神祭りて、狂ふにこそあれ」など、つぶやきてなん帰りける。「かくなるべし」といふ人のならで、不慮に、異人なりたるをば、「あしくなされたり」となん、世にはそしりける。されば、おほやけも、「豊前の大君は、いかが除目をば、いひける」となん、したしく候ふ人には、「ゆきて問へ」となん仰せられける。
 これは、田村、水の尾などの御時になんありけるにや。
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