宇治拾遺物語(巻十 八)121蔵人頓死のこと

 今は昔、円融院の御時、内裏焼けにければ、後院になんおはしましける。殿上の台盤に人々あまた来て、物食ひけるに、蔵人貞高台盤に額を当てて、ねぶり入りて、いびきをするなめりと思ふに、やや暫しになれば、怪しと思ふほどに、台盤に額を当てて、喉をくつくつと、くつめくやうに鳴らせば、小野宮大臣殿、いまだ頭中将にておはしけるが、主殿司に、「その式部丞の寝様こそ心得ね。それ起こせ」と宣ひければ、主殿司寄りて起すに、すくみたるやうにて動かず。怪しさにかい探りて、「はや死に給ひにたり。いみじきわざかな」と言ふを聞きて、ありとある殿上人、蔵人、物も覚えず、物恐ろしかりければ、やがて向きたる方ざまに、みな走り散る。
 頭中将、「さりとてあるべき事ならず。これ、諸司の下部召してかき出でよ」と行ひ給ふ。「いづ方の陣よりか出すべき」と申せば、「東の陣より出すべきなり」と宣ふを聞きて、内の人ある限り、東の陣にかく出で行くを見んとて、つどひ集りたるほどに、違へて、西の陣より、殿上の畳ながらき出でて出でぬれば、人々も見ずなりぬ。陣の口かき出づるほどに、父の三位来て、迎えへ去りぬ。「かしこく、人々に見あはずなりぬるものかな」となん人々いひける。
 さて二十日ばかりありて、頭中将の夢に、ありしやうにて、いみじう泣きて、寄りて物をいふ。聞けば、「いと嬉しく、おのれが死の恥を隠させ給ひたる事は、世々に忘れ申すまじ。はかりごちて、西より出させ給はざらましかば、多くの人に面をこそは見えて、死の恥にて候はましか」とて、泣く泣く手を摺りて悦ぶとなん、夢に見えりるける。
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