宇治拾遺物語(巻十一 七)131清水寺御帳給はる女の事

 今は昔、たよりなかける女の、清水にあながちに参るありけり。年月つもりけれども、露ばかり、そのしるしと覚えたることなく、いとどたよりなくなりまさりて、果ては、年ごろありける所をも、その事となくあくがれて、よりつくところもなかりけるままに、泣く泣く観音を恨み申して、「いかなる先世のむくいなりとも、ただすこしのたより給ひ候はん」と、いりもみ申して、御前にうつぶし伏したりける夜の夢に、「御前より」とて、「かくあながちに申せば、いとほしくおぼしめせど、すこしにてもあるべきたよりのなければ、そのことをおぼしめし歎くなり、これを給はれ」とて、御帳のかたびらを、いとよくたたみて、前にうち置かると見て、夢さめて、御あかしの光に見れば、夢のごとく、御帳のかたびら、たたまれて前にあるを見るに、さは、これより外に、たぶべき物のなきにこそあんなれと思ふに、身のほどの思ひしられて、かなしくて申すやう、「これ、さらに給はらじ。すこしのたよりも候はば、にしきをも、御帳にはぬいて参らせんとこそ思ひ候ふに、この御帳ばかりを給はりて、まかり出づべきやうも候はず。返し参らせさぶらひなん」と申して、犬防ぎの内に、さし入りて置きぬ。またまどろみゐたる夢に、「などさかしくはあるぞ。ただたばん物をば給はらで、かく返し参らする。あやしきことなり」とて、また給はるとみる。さてさめたるに、また同じやうに前にあれば、泣く泣くかへし参らせつ。
 かやうにしつつ、三たび返し奉るに、なほまたかへしたびて、はての度は、この度かへし奉らんは無礼なるべきよしをいましめられければ、かかるとも知らざらん寺僧は、御帳のかたびらを、盗みたるとや疑はんずらんと、思ふも苦しければ、まだ夜ぶかく、ふところにいれて、まかり出でにけり。これをいかにとすべきならんと思ひて、ひきひろげて見て、きるべき衣もなきに、さは、これを衣にして着んと思ふ心つきぬ。これを衣にして着てのち、見と見る男にもあれ、女にもあれ、あはれにいとほしきものに思はれて、そぞろなる人の手より、物をおほく得てけり。大事なる人のうれへをも、その衣を着て、知らぬやんごときなき所にも参りて申させければ、かならずなりけり。かやうにしつつ、人の手よりものを得、よき男にも思はれて、たのしくぞありける。されば、その衣をばおさめて、かならず先途と思ふことの折にぞ、とり出でて着ける。かならずかなひけり。
★自分の「ツィッター」アカウント上で、この『宇治拾遺物語』の章を紹介してみる→