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吹くからに秋の草木の
  しをるれば
    むべ山風を嵐といふらむ

Gales of wind make pale autumnal grass.
Disgusting wrath of Nature, this gusty minion of doom.
Mountains of wind ― storm, this tomb of Fall.

『小倉百人一首』022
ふくからに あきのくさきの しをるれば
 むべやまかぜを あらしといふらむ
文屋康秀(ふんやのやすひで)
男性(?-c.885)
『古今集』秋下・二四九
吹いたそばから秋の草木が萎れるので、
=嵐」というだろう、
なるほどもっともな呼び名である。
【文法・修辞法】掛詞+離合
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品詞分解
ふく【吹く】<自カ四>連体形
からに【からに】<接助>
あき【秋】<名>
の【の】<格助>
くさき【草木】<名>
の【の】<格助>
しをるれ【萎るれ】<自ラ下二>已然形
ば【ば】<接助>
むべ【宜】<副>
やまかぜ【山風】<名>
を【を】<格助>
 あらし【】<名>・・・「嵐」
 あらし【】<形ク>終止形・・・「荒し」
と【と】<格助>
いふ【言ふ】<自ハ四>終止形
らむ【らむ】<助動_詠嘆>終止形



修辞法
掛詞
<あらし>
1)「嵐」
2)「荒し」
解題
 「あらし」という語が、「嵐」と同時に「荒らし」とも書ける点に着目した掛詞に加えて、部首的に分解した「山」+「風」の直後に「嵐」の一字を置くことに逸興を見せる知的遊戯が売り物の一首。この種の「A+B=C」の図式に漢字をバラして織り込む技巧は「離合」と呼ばれ、元々は漢詩の技巧の一つ(類例:「雪ふればごと()に花ぞ咲きにけるいづれをとわきてをらまし」『古今集』冬・三三六・紀友則・・・「木+毎=梅」)。
 この歌が詠まれたのは、宇多天皇が『新撰万葉集』(上巻:893年成立)の撰進に先立って兄の是貞皇子に依頼して開かせたという「是貞親王家歌合」席上でのこと・・・当然「題詠」であり、現実の秋の厳しい山風に吹かれて詠んだものではない。
 詠み手文屋康秀。例の『古今和歌集』「仮名序」で紀貫之が寸評を加えている"昨今の著名な歌詠み6人"(後代六歌仙」と評されるようになる面々)のうちの一人で、その貫之評はこうである:「ことばはたくみにて、そのさま身におはず。いはば、あき人のよき衣きたらむがごとし。」(巧みに言葉を操るレトリックはあるが、綺麗に飾った外装に、中味が伴わず、ちぐはぐな感を与える。言うなれば、下世話な取引だの金銭計算だのに明け暮れる商売人が、外見だけは立派だけど何とも似合わない高級衣裳を身にまとっているようなものだ。)・・・当人は気の利いたことを言っているつもりのようだけど、言葉を操っているつもりが言葉に振り回されているばかりの空々しい歌、ということである。
 「僧正遍昭」もやはり「より優先型」の批判を受けているが、彼の歌にはまだ優雅な言葉遊びがよく似合う貴族的な余裕が感じられるものが多いのに対し、文屋康秀の歌には、はっきり言って鼻につくほどの言葉の空回りが多く、貫之の言う通り「綺麗なおベベを身にまとっても、中身がこれじゃあ、ちぐはぐだよなぁ・・・」と、溜息や舌打ちが座のあちこちから漏れ聞こえそうな代物が多い。例えば次の和歌(『古今集』哀傷・八四六)など、崩御した天皇のに服した際の哀傷歌だが、まぁ、ヒドい代物である:
 深草のみかどの御国忌の日よめる
 ・・・「深草の帝」の「御国忌」ではなく、「深草の」「帝の御国忌」。深草は天皇の陵墓が多くある土地の名で、この場面で亡くなった帝は「仁明天皇」、御年41歳にして世を去った帝の国葬に参列して、文屋康秀は追悼の歌を捧げている訳であるが・・・
 草ふかき霞の谷に影かくしてる日のくれしけふにやはあらぬ
 ・・・冒頭の「草ふかき」は地名「深草」のベタな読込みで、この種の隠し文字を歌中に織り込む「物名」と呼ばれる芸当を得意とした康秀が、得々としてこれをやっている図が目に浮かぶようである。
 ・・・「霞の谷に影かくし」は、季節が春であることを「霞」で表わし、天皇陛下のお姿(=影)がこの世から消えた(=かくし)ことを悲しむ服喪の座であることを、例によって、レトリック駆使して忙しげに表現している。
 ・・・「てる日のくれしけふ」には、天照大神の子孫ということになっている日本の天皇を「てる日」と呼ぶと同時に、僅か41歳という仁明天皇の享年を「日盛り」になぞらえる技巧をも織り込んでいる訳だ。
 ・・・と、まぁ、ここまでの作り込んだ技巧は、それなりに見事・・・ではあるのだが、最後が何ともいけない:
 「てる日のくれしけふにやはあらぬ」・・・「若くして亡くなられた帝の、おぉ、そういえば何と、今日がその命日ではないか!」・・・って、一体崩御の何十年後の歌なのだ、これは!?とツッコミ入れたくなる最悪のオチ。帝のに服そうとして満座に居並ぶ人々の一体誰が「おぉ、そういえば今日がその命日!」などと言うものか!今更のように気付きの付加疑問文使うなら、「けふにやはあらぬ?Hey, it was **years ago today, wasn't it?おぉ、あれって**年前の今日じゃなかったっけか?・・・但し、**> 10とする」あたりでなければ思いっきりハズしてドッ白けであろう・・・この種の大袈裟な驚き方を織り込むのが当時流行の文芸作法だったとしても、これではあまりに白々し過ぎて、直前までのガンバりに頑張った技巧の末脚がバテバテになった印象が強烈すぎて、後ろからドタマぶん殴りたくなるほどのダメ歌・・・舌打ちや失笑が漏れ聞こえるぐらいならまだ有り難いもの、と覚悟してもらわねばならぬ。
 途中まではいい線いっていながら、肝心のところでグシャッと崩れて落ちる、こうした竜頭蛇尾の和歌を「腰折歌」と呼ぶ・・・文芸的技巧の追求に終始する連中の腰は、また、よくこうして折れるのだ・・・康秀の駄目歌で目がれたら、その分、実感をもって「あぁ、こういう歌が、コシオレ、って言うわけね」と学んで賢くなるとよろしかろう。そうした知識と引き替えでなければ引き合わぬほどにつまらぬ出来の、何の用も為さぬ駄作である。
 総じて、文屋康秀の歌は一級品ではない。「小才しかない身で技巧に走り過ぎる歌人はよくコケる」という悪い見本を提示するためだけに、「仮名序」で貫之はこの人物を引き合いに出したのだ、と見ることも十分可能な水準でしかないのである。実際、この歌人の歌のごときは、この『古今集』以降の勅撰和歌集にはたったの一首しか入集していない。それが康秀の「実力」なのである。
 結局、よくよく考察してみれば、巷間六歌仙」などと称されることになった歌人のうち、「小野小町」以外は、称揚するために名を挙げられたのではなく、批評のために引っ張り出されただけ、とさえ思われるほどだ。その寸評の要諦を、ワースト1から逆順で列挙すれば、次の如し
1)「大伴(大友)黒主」=歌に面白味はあるけど、雰囲気が田舎臭い。
2)「文屋康秀」=言葉をいじくり回して美麗な詩文にしようと頑張ってるけど、空疎な中味にハリボテの外装を宛がってるみたいで、ちぐはぐな感あり。
3)「僧正遍昭」=文体は華麗だが、スタイル第一で中身が乏しく、ウソっぽい二次コン歌(=絵やアニメの中の二次元美女への恋にウツツ抜かしてる感じ)。
4)「在原業平」=何か言いたくてうずうずしてるのは伝わってくるけど、結局何が言いたいのかが、言葉不十分でいまいちわかり辛い。
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5)「小野小町」=じんわりしなしなと心に染みる感じだけど、力強さはない・・・のはやっぱ女だから、かな?身体が弱い美女が伏目がちに溜息ついてる感じ。
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番外)「喜撰法師」=どこの言葉がどこに掛かるかよくわからん・・・まぁ、一首しか見てないんだから総評加えること自体、不可能なんだけどね。
 ・・・これら6人のうち、1)~4)までは実在の歌人だが、5)・番外)については、まことしやかに寸評加えている紀貫之(を初めとする『古今和歌集』撰者連)が自ら創出した架空歌人の可能性もあるのである。「小野小町」作とされる歌には、他の4人に見られたような文体上の統一性が乏しいし、「喜撰法師」に至っては現存する歌はたった一首のみ。批評に見られる微妙な温度差も、小町と喜撰だけは取って付けたような別建て扱いの感を強くさせるもので、そこには文芸的作為の匂いがする。
 まぁ、何にせよ、「六歌仙」などという御題目に振り回されるのだけは、愚かで無益だから、やめておくことだ。六人の名を無意味に覚え込もうとするよりも、真に見るべき価値ある歌人は「業平」・「遍昭」・「小町」のみと割り切って、彼ら/彼女らの歌だけを『古今集』の中から拾い読みする方が、よっぽど実のある振る舞いというものである。
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