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明けぬれば暮るるものとは
  知りながら
    なほ恨めしき朝ぼらけかな

It's a long day that has no night;
A night never falls without a daybreak.
Still, my heart breaks at the start of a day,
Which, invariably, is the end of the night
When we have to leave for daily lives apart.

『小倉百人一首』052
あけぬれば くるるものとは しりながら
 なほうらめしき あさぼらけかな
藤原道信(ふぢはらのみちのぶ)
aka.藤原道信朝臣(ふぢはらのみちのぶあそん)
男性(972-994)
『後拾遺集』恋二・六七二
夜が明ければまた日が暮れる、それが自然の成り行きというもの。
そうしてまた夜になれば、愛しいあなたにえるのだから、
愛し合った素晴らしい夜が、夜明けと共に終わるのを、
そうまで恨むこともない・・・
とは、頭ではわかっているけれど、でもやっぱり恨めしい、
束の間でもあなたと別れねばならぬ「衣衣の朝」というやつは。
...modern Japanese/English part: Copyright(C) fusau.com 2009
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品詞分解
あけ【明け】<自カ下二>連用形
ぬれ【ぬれ】<助動_完了>已然形
ば【ば】<接助>
くるる【暮るる】<自ラ下二>連体形
もの【もの】<名>
と【と】<格助>
は【は】<係助>
しり【知り】<他ラ四>連用形
ながら【ながら】<接助>
なほ【猶】<副>
うらめしき【恨めしき】<形シク>連体形
あさぼらけ【朝朗け】<名>
かな【かな】<終助>
解題
 この歌は、主語の補足と、状況の補足ができなければ、意味の捕捉もわぬ歌である。
 出だしの「明けぬれば」と「暮るるもの」の主語は誰でも問題なく補足出来るであろう:"<夜>明け"も"<日>暮れ"も、誰もが毎日経験していることなのだから。
 文法的に言えば、「明け+ぬれ(已然形)+ば」は「こうしてすでにもう(夜が)明けてしまったので」の確定事態を指す言い回し(確定条件);だが、この部分には「明け+な(未然形)+ば」(仮定条件・・・より正確に言えば、恒常条件)の「夜が明けてしまえば」で解釈したほうがよい響きがある・・・何故だかおわかりか?・・・後続の「暮るるもの」とのコンビネーション・プレイが「夜明けがくれば、常にまた、日暮れもくる」という普遍的真実を述べるためには「<今夜という特別な夜>が<すでにもう明けてしまったので>」という個別的状況に限定される「確定条件」では具合が悪く、「<およそどんな夜>であっても<それが明けてしまえば>・・・やがて<日暮れがやってくる>」という概括化された「恒常条件」の方が好適だから、である。しかしながら、この歌の背後には「今夜という特別な夜は、すでにもうこうして明けてしまった」という状況が厳然として存在し、そのことを作者が後半で「うらめし」と嘆く構造にもなっているのだから、「確定条件」の解釈もまた必要であり、単なる文法的約束事を越えて「確定条件/恒常条件」の双方にまたがる錯綜的解釈を読み手に求めている点が、少々高度な(文法一辺倒の御仁の手には余る)構造になっている・・・のであるが、まぁ、そんな文法上の変則性など大して重要なことではない:ここで大事なのは「およそ、どんな夜だってきっと明けるもの」/「夜明けがくれば、日暮れもまたくるもの」という万古不変の地球上の真理を、なぜこの詩人がわざわざ述べているかの理由の方:そんな当たり前のことを「知りながら・・・なほ恨めしき朝ぼらけ」の部分の解釈こそがこの歌のである。「朝ぼらけ」は、初句にあった「明けぬれば=およそ夜が明けたら/すでにこの夜はもう明けてしまったので」訪れる(現に、訪れている)時間帯のことである。それが何故「恨めしい」のであろうか?その絡繰りが解らねば、この歌の意味を明らかにすることは出来ない。
 意味解明の鍵を握るのは第三句「知りながら」の逆接表現である。「知っていながら・・・なお恨めしい」という事が論理的矛盾をむからこその「・・・ながら、なほ~」であるから、裏を返せば「知っているのだから・・・恨む必要はない」となる。何を知っているから、何を恨む必要がないか、それを確認すればよい訳だ:答えは、「夜が明ければ、日暮れが来る」という事実を知っているから「朝ぼらけを恨む必要はない」のである。途中に、語句の欠落から来る少々の時間的飛躍があるから、それを更に補って書けば、「夜が明ければ、昼間になって、昼間が過ぎれば、日暮れが来る・・・のだから、朝ぼらけを恨む必要はない・・・どうせまたその朝が昼になれば日暮れが再び来るのだから」という図式である。
 ここまでは、ミニミニ論理学で片が付く話であるから、中学生でも解るであろう・・・が、そこから先の解釈には、オトナの古典常識が必要である。
 「夜は明けてしまっても、一日たてばまた夜が来る・・・のだから、夜が終わるのを恨む必要はない」と言っている以上、この人は、「夜明けが来ずに、ずっと夜のままだったらいいのに」と思っている訳である。そんなにまでして「夜」に固執する理由が、どこにあるのか?・・・よい子の中学生にはこの理屈までは解るまい;が、大人の古典読みには、ここまで言われればもう既に答えは見えていよう ― 「愛する人と一緒に過ごす夜の愛の営みが、夜明けと共に打ち切られてしまうのが、惜しいから」である。古典的詠歌状況の中で頻出するこの「夜明けが恨めしい状況」をもきちんと補って読まねば、この歌の解釈は不可能、という訳である。
 案の定、この歌は「後朝の歌」 ― 夜通し愛し合った女性に対し、後日、男が「あの夜は、ホント、良かったよ・・・」と言って送り、「だから、また、逢おうね」と求める愛の想いを込めた歌である。
 詠み手は藤原道信(972-994)。彼の母親はあの藤原伊尹(第45番歌)の娘。伊尹は、数々の謀略を巡らして藤原家の勢力を伸長させた末に「摂政」という地位まで上り詰めた途端、49歳で急死してしまい、世上、「陥れられた人々の呪いか?」とかれたという曰く付きの人物である。その呪いの鎖を断ち切るため、という訳でもあるまいが、道信伊尹の弟(即ち彼の伯父)藤原兼家の養子となり、左近中将(従四位上)まで出世したが、僅か23歳で病死している・・・どうも、この種の話が多すぎるのがこのあたりの時代のおぞましさである。
 そういえば、この世ならざるものを自在に操る「陰陽師」として有名なあの安倍晴明(921-1005)の活躍時期も、ちょうどこの伊尹(924-972)・兼家(929-990)と同時代・・・世の中がドロドロになると、オカルトもまた流行る、ということか・・・。
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