解題
ここは春の二条院。月明かりの下、
宮仕えの女房たちは、物語に興じての
夜更かしの末に、そろそろ眠い時間を迎えています。優雅なる
宮人たち(男性です)と女房たちとで過ごす夜は、広いお部屋の片隅で、思い思いに寝るのです。個室に
引き籠もって楽しいひそひそ話の続きをする男女もいるけれど、そうした特別な夜の延長戦をしにどこかへ消える人たち以外は、仲良しの猫ちゃんたちか、修学旅行の高校生の団体みたいに、のんきで優雅な
雑魚寝と
洒落込むのです。
色恋の
色濃い平安中期の貴人たちの邸宅内とはいえ、少なくとも
衆人環視の
雑魚寝部屋の中でだけは、男性諸氏もそれなりにお
行儀が良かったようです・・・けど、大人の男と女が、同じ部屋の中のすぐそばで寝るのですから、一応「
御簾」と呼ばれる略式の
間仕切りだけは置いてあります。そんな中、「枕が欲しいわ・・・」と
呟く女性の声を聞いて、
御簾の向こう側から「ぬーっ」という感じで腕を差し入れて来たのは、藤原
忠家さんという男性・・・「それなら、私の
腕枕を貸してあげましょう」というわけで、「よろしかったら、別のお部屋で、二人一緒に寝ましょうか」という謎掛け、でもあるのでしょうね、これ。
貴女なら、どう受けますか、この
腕枕?
この歌の作者は、こう受け流してその場を切り抜けました:「まぁ、ご親切に
腕枕、ですか・・・でも、ご遠慮しておきますわ。だって、軽々しくお借りしてあなたの腕の中で寝たりしたら、後で浮き名が立つでしょう?それも、春の夜の夢みたいに、短く
儚い束の間の恋の噂が・・・そんな浮ついた評判が立ったら、お互い、自分の名前に傷が付くでしょうから、ここは
貴方のお気持ちだけいただいて、お礼にこの歌を、さしあげます」・・・
「春の夜の夢」は短く
儚いものの象徴。「夢ばかり」という形で、実際の「夢」とは違う
比喩的な使われ方をしているので、後続の「枕」との間で、「夜・寝」の連想でつながる「
縁語」になります。「かひなく」は「甲斐なく=実りもなく・無意味に」と「かひな=腕」の
掛詞。
迂闊に相手の男性の誘いに乗って、その
腕枕に頭を乗せてしまえば、その結果として立つことになる(「
手枕"に"」の格助詞がその原因を表わします)浮き名が「かひなし・・・あまり実のある嬉しい評判にはならない」という訳です。ずいぶんいろんな言葉の
綾を、さりげなく織り込んだ上品なお断わり文句・・・しかもこれ、
即興歌なんです。スゴい!見事の一言です。相手の気持ちも名誉も傷つけず、自分の名前も(女性としての誇りとかいろんなものも)
疵つけず、
乙女のピンチを
歌詠みのチャンスに転じて、彼女はさぞや、名を上げたことでしょう。
彼女の名は「
周防内侍」。父親(
平棟仲)が「
周防守」で自分が「
内侍司」に務めていたのでこの名前なのですが、「
内侍」と名の付く女性には、こうした当意即妙の機知の人が多かった・・・というか、そういう才覚がなければ務まらない役職だった、というほうが正しいでしょう。「
内侍司」というのは
後宮十二宮と呼ばれる役所の一つで、その仕事は「天皇の近くに常に控え、
謁見する者達との取次役を務める」というもの・・・係は全員、女性でした。採用の条件が目に浮かぶようですね:「
容姿端麗・
性格温厚・
博学博識・
当意即妙・・・」。
こんな素敵な歌を
即興ですっと詠んでしまう
周防内侍という人は、
内侍の
鑑みたいな女性だったんでしょうね、きっと。彼女の生きた時代(1037頃-1109頃)は、平安時代の安定期。
和泉式部・紫式部・清少納言・
赤染衛門ら、女流文学の
大輪の花が咲き誇った「一条帝(第66代:980-1011)」の時代からほぼ半世紀後、「
後冷泉天皇(在位:1045-1068)・
後三条天皇(在位:1068-1073)・白河天皇(在位:1073-1087)・堀河天皇(在位:1086-1107)」の四代に
亘って
内侍として宮中にあった女性です。この
宮仕え期間(とその長さ)から、
周防内侍は、あの『
栄花物語』続編(全10巻)の筆者(の一人)ではないかと言われています。彼女以外には「
出羽弁」という女性をも作者とする説がありますが、いずれにせよ「宮中に長く仕え、文筆能力に優れ、
如何なる状況でも美しく切り抜けてしまう才知と穏やかな性格の持ち主・・・の女性」という条件を満たしていないと、あの才女
赤染衛門が書いたという『
栄花物語』(正編)の後継者にはなれません・・・
周防内侍は、この歌一首だけでも、十分その資格者だったろうという気がします。
この歌を平安末の『
千載和歌集』(1188)に入れた
藤原俊成は、既に崩壊の最終段階にあった貴族社会の中から、まだ
雅びなる歌のやりとりが貴族の日常を彩っていた一世紀も昔の宮中の情景を、どんな思いで見ていたのでしょうか。