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夕されば門田の稲葉
  おとづれて
    芦のまろやに秋風ぞ吹く

The sun fading away with the wind bringing dusk,
Ears of rice in the field whispering soothing voice of fall,
No human visits this hut ― a host to Nature's call.

『小倉百人一首』071
ゆふされば かどたのいなば おとづれて
 あしのまろやに あきかぜぞふく
源経信(みなもとのつねのぶ)
aka.大納言経信(だいなごんつねのぶ)
男性(1016-1097)
『金葉集』秋・一七三
夕暮れ時、秋風が肌に優しく吹く頃には、
門前の田に実る稲穂もそよそよとれて、
耳をくすぐるその音色も涼しく心地良い・・・
けれど、芦葉いた粗末なこの家には、
吹く風とその音の他には、れる人もない。
【文法・修辞法】掛詞+係り結び
...modern Japanese/English part: Copyright(C) fusau.com 2009
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品詞分解
ゆふ【夕】<名>
され【され】<自ラ四>已然形
ば【ば】<接助>
かどた【門田】<名>
の【の】<格助>
いなば【稲葉】<名>
 おとづれ【】<他ラ下二>連用形・・・「訪れ」
 おと【】<名>・・・「音」
 つれ【】<自ラ下二>連用形・・・「連れ」
て【て】<接助>
あし【葦】<名>
の【の】<格助>
まろや【丸屋】<名>
に【に】<格助>
あきかぜ【秋風】<名>
ぞ【ぞ】<係助>
ふく【吹く】<自カ四>連体形・・・「ぞ」との係り結び



修辞法
掛詞
<おとづれて>
1)「訪れて」
2)「音連れて/摺れて」
解題
 現代の語感では「夕方が去る・・・夜になる?」と誤読しがちな「夕さる」だが、この「さる」は「人間の意志・思惑に無関係にやって来ては、また去って行く」という「無情なる(自然現象の)往来」を指すもの。であるから「夕さる=夕方になる/夜さる=夜になる」の意味となる。当然、「朝さる」ならば「朝になる」のであるが、万葉の昔以降、この使い方は殆ど見られない。理由は以下の通り:
1)「夜が去り、無情にも朝が来る」時間帯には大方の人間は眠っているのだから、その「自然現象としての時間の推移」を感じることは最初から不可能である。
2)「暗黒の時間帯としての夜が去り、明るい希望に満ちた時間帯としての朝が始まる」ことを、「無情にも朝が来る」と残念がる気持ちは、一般的な脈絡ではほとんどない。
3)「素晴らしい夜が早くも過ぎ去ってしまい、無情にも朝が来る」という「心残りな情感」を表わすものとして、「有り明けの月」という自然界最強の「歌枕」があるのだから、単なる「夜→朝」の時間的推移を表わすだけで何の心もこもらぬ無粋な「朝さり」の出番は、ない。
 「門田」というのは、地名か誰かの苗字にも見えるが、実際には「家の門前にある田」の意味。現代日本には「田んぼ」そのものすらロクに知らぬ人が多いから、ここも解説が必要であろう。普通、「田」は、家の目の前にはない。農家の人々は、畦道を通って、自分のうちの田畑への野良仕事に出向くのであり、住み家と田畑との間には、それなりの空間距離があるのである。それが、「門田」の場合、ないのである:家の門のすぐ前に田があるのである・・・それだけ、自分の「領土」が狭いのである・・・広大な農地を持ち、その土地からの豊富な収穫で豪勢に暮らす平安の世の「荘園領主」達(自ら耕すこともせず、他人に仕事させて自分達はただ遊び暮らす"遊民"族)から見れば、社会の対極に位置する小農家のつましい御百姓の生活の様態を、この「門田」の二文字は表わしているのである。
 「のまろや」もまた然りで、「芦の葉」などというものは、貴族の生活の中では「葦簀=立て掛けて日除けや目隠しに使う簡便な調度品」に使う程度のものでしかないのに、この小農家の粗末な小屋(=丸屋)の屋根は、「」でいて雨露をいでいるのである。「つましい」を通り越して「わびしい」感じが漂ってくる固有名詞のオンパレードである。
 そんな狭苦しくびしい生活の哀感を、更に引き立てる効果音が「門田の稲葉おとづれて・・・秋風ぞ吹く」である。秋風は、生命の息吹きに満ち溢れていた夏が過ぎ去った後に吹くものだけに、それだけでも寂しいというのに、その秋風が「門前にある田にあって頭を垂れている稲穂に吹き付けて、まるで衣擦れの音のように、さやさやと涼しげに響いてくる」というのである。この音は、疲れ果てた都会人が田んぼの畦道に寝っ転がって聞く自然の背景音楽としてならば、耳に心地よい癒し効果をもって響くであろう・・・が、この歌の中ではこれを「"のまろや"の中」で聞いているのである。「門前にある田の稲穂が風に揺れて擦れ合って立てる衣擦れに似た小さな音」が、途中で何にもられずに聞こえてくるほどに、この家と田の間の空間的間隔は極小なのである。
 「のまろや」自体もまた、奥行き・天井ともに、狭苦しいほどに極小なのであろう。外界からの侵入音がよく響く共鳴箱として機能するためには、開放的な広がりを持つ京都の貴人の邸宅のような作りでは駄目で、とにかくこぢんまりと小さく音が籠もり反響するようでなくては、サウンドボックスとしての用を為さないのであるから。
 この「のまろや」の「戸」は、当然、開け放たれているであろう・・・音が屋内に入ってくるためには「門戸開放」は必須条件である;が、音以外は、何も、誰も、入って来ないのであろうか?この開け放たれた門戸をくぐって、「門田を"訪れ"た秋風が、稲葉の"音摺れ"を誘う音」以外の、自然の音や、人間の生活の音や、好ましからざる訪問者が、この「のまろや」を訪れることは、ないのであろうか?・・・ないのであろう。好ましい訪問客が訪れてくれることすらも、ないのであろう。「音れて・・・秋風吹く」ではなくて、「訪れて・・・秋風"ぞ"吹く」のだから、秋風以外の訪問は、ないのであろう ― 係り結びの「ぞ+連体形」の強調形は、この「のまろや」を「訪れる」者が「秋風だけ」であることを力説しているのである。
 人が訪わぬ寂れた場所を、ただ「季節」や「風」だけが律儀に訪れる、という情趣は、以下に掲げる二つの短歌にも見る通り、歌の世界では古来よく詠み込まれてきた「歌枕」である:
 訪ふ人もなき宿なれど来る春は八重葎にもらざりけり(『新勅撰集』春上・八・紀貫之
 八重葎茂れる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来にけり(第47番歌恵慶法師
 ・・・何ともつましくわびしいこの71番歌は、しかし、現実の農家の情景を眼前に見て詠んだものでもなければ、社会の底辺に暮らす農民の心の叫びでもなく、それを代弁する社会派詩人のものでもない。「田家秋風」なる漢詩風の御題目に沿って詠まれた、平安貴族の「題詠歌・・・ヴァーチャル田舎屋ソング」なのである。所は、京都の西、梅津にあった源師賢の山荘の歌会。詠み手は、大納言(正二位)まで出世した源経信第74番歌作者源俊頼の父)という貴族である。
 だが、単に題詠であるからといって、この歌に色濃い田園趣味を、偽物風情として切り捨てる訳にはいかない。京都の御公家田舎の農家の生活を詠んだ、という事実そのものに着目すべきであろう。平安の世はまだまだ安泰ではあったが、辺鄙な地方での人々の暮らしにそろそろ着眼点を置かなければならぬ程度には、京都の飽和と、地方の胎動が、この詠み手の時代には既に始まっていた、という背景事情を抜きにしては、この題詠歌を語ることは出来ないのである。公家の世の崩壊と武家の台頭にはまだ丸々一世紀もある時代だが、『古今集』(905)からは既に一世紀を経過し、紫式部や清少納言、和泉式部らの才女たちが散文・詩文で大輪の花を咲かせた一条帝時代(980-1011)からも半世紀は経過していた時代・・・微妙な秋風は、この歌同様、平安の世そのものにも既に吹き始めていたのである。
 作者源経信の生没年は1016-1097。享年82の生涯であるから、当時としては長寿である。最後は「太宰権帥」として九州の任地で没しているが、さりとてあの菅原道真のような左遷の末の非業の死ではなく、当代随一の歌人としての名声を得、正二位・大納言という堂々たる地位まで昇りつめた末の大往生である。
 彼の(歌人としての)人生にとって意に沿わぬものがあったとすれば、それはあの第四の勅撰集『後拾遺和歌集』(1086)であろう。時代を代表する歌人が選任の栄誉に浴する勅撰和歌集の撰者として、白河天皇(72代)の勅命を受けて『後拾遺集』を編んだのは、自他共に認める第一人者の源経信ではなく、若輩者藤原通俊だったのである。もっとも、この事情に対して経信が完全にを曲げてしまった訳ではなく、また、通俊も編集にあたっては自らの未熟さをよく自覚して幾人もの先輩歌人達の意見を積極的に求めており、経信との間には(後に『後拾遺問答』として知られることになる)意見交換を取り交わしてはその意見を容れて選歌の入れ替えを行なっている上に、第一次奏覧本を世に出した後も、その内容を批判した経信の『難後拾遺』が世に出るや、直ちにその意見を重視して歌の入れ替えを行なった再奏本まで作っている。そうした訳だから、通俊経信との間にドロドロとした確執があった、というような歌壇の内実の醜悪さを示すエピソードとして『後拾遺問答』や『難後拾遺』を持ち出すのは、下世話な三面記事的興味の暴走と言うべきであろう。
 そうした経緯を抱えた『後拾遺集』は、特にこれといった作風上の特色を持たない ― というか、雑多な作者の雑多な作風が入り乱れていて、「前衛的な"金葉集"」とか「幽玄有心の新古今調」とかの決めのフレーズで総括することが困難な歌集である。敢えて言うなら、女流歌人の作品が全体の約三割を占めるということが一大特徴を成している(因みに小倉百人一首』の男女比は79:21)・・・が、これは別に女性重視のフェミニズムの産物ではなく、この集に収めるべき和歌の時代背景にあの「一条朝」が含まれており、一条天皇の中宮彰子(+歌人列伝では大幅に見劣りするが、中宮定子側も)の後宮で活躍した女流歌人たちの抜群の秀歌の数々に対し当然の敬意を表した結果が、この女流歌人の大躍進、ということである。それ以外では、「神祇」・「釈教」という新たな部立てが加わったこと、「詞書」の長大化、あたりがよく指摘されるが、後者はそのままこの和歌集の(あるいは、編者通俊の)生煮え感を示すもの(・・・歌だけで立派に独り立ちできるなら、言い訳めいた詠歌事情の説明など、そうそう出しゃばる必要もあるまい?)と、意地悪く言い放つこともできそうな特徴でしかない。
 そうして、総じて、成功作とは言えなかったせいもあろう、『古今集』から50年後の『後撰集』、その50年後の『拾遺集』までを、日本勅撰和歌集の「三代集」と呼んで、『拾遺集』から80年後に成立したこの『後拾遺集』との間には一線を画す、という日本文芸史上の慣例がある(重要度から見た「三大和歌集」としては、『万葉集』・『古今集』・『新古今集』に言及するのが慣例)。また、慣例通りで言えばこの『後拾遺集』から更に半世紀以上の時間的間隔は置かれるべきであった次代勅撰集『金葉和歌集』(1126)は、前作から40年という"前倒し"の形で、前回源経信を撰者から外して煮え湯を飲ませた白河院が、その息子源俊頼に花を持たせる形で編ませており、その作風も、さしたる特色のなかった『後拾遺集』に当てつけるかの如く際立って革新的(あるいは、前衛的)に走った点に、前作からの反動的影響が及んでいると見ることが、できないでもない。・・・やはり、平安の世にも和歌の世界にも、微妙な秋風が吹き始めていたのである。
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