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わたの原漕ぎ出でてみれば
  ひさかたの
    雲ゐにまがふ沖つ白波

Rowing out into the Ocean,
Looking ahead so far and deep,
Skies greet Seas with waves of clouds
Or clouds of waves so closely white.

『小倉百人一首』076
わたのはら こぎいでてみれば ひさかたの
 くもゐにまがふ おきつしらなみ
藤原忠通(ふぢはらのただみち)
aka.前関白太政大臣法性寺入道(さきのかんぱくだいじゃうだいじんほっしゃうにふだう)
男性(1097-1164)
『詞花集』雑下・三八二
大海原に舟を漕ぎ出し、遙か彼方めて見れば、
空の向こうにう雲と、見紛うばかりの白い波が、
海の果てには踊っているよ。
【文法・修辞法】本歌取り+枕詞
...modern Japanese/English part: Copyright(C) fusau.com 2009
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品詞分解
わたのはら【海の原】<名>
こぎ【漕ぎ】<他ガ四>連用形
いで【出で】<他ダ下二>連用形
て【て】<接助>
みれ【見れ】<他マ上一>已然形
ば【ば】<接助>
ひさかた【久方】<名>
の【の】<格助>
くもゐ【雲居】<名>
に【に】<格助>
まがふ【紛ふ】<他ハ四>連体形
おき【沖】<名>
つ【つ】<格助>
しらなみ【白波】<名>



修辞法
本歌取り
わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣り舟」『古今集』羈旅・四〇七(小野篁)・・・『小倉百人一首』第11番歌
枕詞
ひさかたの【久方の】・・・(語義未詳)(1)(天空関係)「」「雨」「空」「月」「星」「雲」「日」「光」にかかる(2)(天下国家関係)「都」にかかる
解題
 「わたの原」は「果てしなく広がる大海原」。
 「久方の」は「雲」に掛かる「枕詞」。このほかにも「天」・「雨」・「空」・「月」・「星」・「日」・「光」といった「天空関係の語」に掛かる、雄大な広がりを持った響きの語である。
 「沖つ」の"つ"は「場所」を表わす格助詞で、「海の遙か彼方にある=沖合の」の意となる。この"つ"は、上代にして既に一定の語にしか付かなくなっていた定型句形成成分で、「天+つ+風=天つ風(空を吹く風)」、「目+つ+毛=まつげ(睫毛=目に生える毛)」、「遠+つ+近江=遠江(とほたふみ・・・"近江琵琶湖に近いとこ"の遠いやつ、とはへんてこな名だが・・・現在の静岡県)」等も同組成の語。
 そうした雄大なる語句の組み合わせで演出した視覚的パノラマ舞台に乗るのは、「雲居に紛ふ沖つ白波=雲かと見紛うばかりの遙かな沖合の白い波」。・・・もう、遠すぎて、空と海との"白"の区別も付かないほどの彼方へと、この詩の視線は広がって行く。
 実に気宇壮大な情景の中、一つだけ小さなものがある:「漕ぎ出てみれば」がそれである。これは「舟」である。上記の雄大なる自然のパノラマの中にあって、「漕ぎ出す舟=手漕ぎボート」は、何ともちっぽけな存在である。、たとえこれが「蒸気で動く洋上の不沈要塞超弩級戦艦"大和"(全長265メートル。1941年建造、1945年4月7日14時23分九州坊岬沖にて撃沈)」であろうが、「ワープ航法で宇宙を駆けるGalaxy-class starship Enterprise U.S.S. NCC-1701-D(全長641メートル。2363年建造、2371年Veridian三番惑星上にて大破)」であろうが、それが人造物である以上、大自然と対置されてしまえば、どうしようもなく小さなことに変わりはない。
 折角雄大なる大自然へと「視線」を広げたのだから、細かな「舟」という「視点」に縛られる必要などないのに、この人は、「自分は、小さな手漕ぎの舟という、ささやかにして心細げな自然界の一点から、無限に広がる大自然へと、心も視界も自由に飛翔させている」と書いているのだ・・・何故であろう?・・・雄大なる自然とちっぽけな人為の対照の図式を際立たせたかったのか?、そんなはない。その対照の図式が生み出す情感は「寂寥感」でしかなく、「雄大」を旨とするこの歌の詩情には、全くそぐわない。「小さくか弱い我が身の心細さ」が、「雄大なる大自然」の中を進むにつれて「希望の広がり」を宿す、という図式を演出したかったのか?・・・だが、その心理の推移の途中経過が、何一つ描かれていないのは、不手際であろう。
 ・・・こうした疑問の答えとしては、『小倉百人一首第11番歌を掲げる以外、手はないようである:
 わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣り舟(『古今集羈旅・四〇七・小野篁
 本当は失意の旅ではあるけれど、「大海原に広がる無数の島々を目指して、あの人は元気そうに船出したよ」と、折りあらば、そして心あらば、船漕ぐ漁師のお兄さんよ、私の愛しい人にはそう伝えておくれ。
 ・・・詳しい事情は11番歌の解題に譲るが、この歌の漕ぎ手(小野篁)は「左遷先の島への航海」という「小さくか弱い我が身の心細さ」を抱えた中で「雄大なる大自然」の中に無数に広がる島々目掛けて「元気よく出航した・・・と、愛する人にだけはせめて伝えておくれ」と、精一杯の強がりを見せていたのである。
 この第11番歌を下敷きにしつつ、この第76番歌は大海原へと「漕ぎ出でて」みたのである。その結果、小さな手漕ぎの舟という「視点」なる"汚点"を、本来「視線」一本で雄大に統一しておけばよかったこの歌に、付けてしまった、という顛末・・・詩的に述べれば、そういう事になる。
 もしこの76番歌を、11番歌律儀な「本説取り」として解釈するつもりなら、次のようになる:
 「失意の旅の船出には、私の気持ちも暗かった。心細さで一杯だった。が、小さな舟でいざ大海原へと漕ぎ出してみれば、空の向こうに漂う雲と、見紛うばかりの白い波が、海の果てには踊っている。あぁ、何と雄大な自然の光景であろうか・・・遠流の我が身のちっぽけな制約も、流れ行く先途の不安も、一気に消し飛ぶ思いがした私である。」・・・と、いうことには、小野篁(いくら豪気な彼の性格でも)、まずなることはないであろう。つまりは、どのみちこの歌では、「漕ぎ出でてみれば」が難点となるのである。
 それとも、この歌、が結局この配流先から僅か1年半で朝廷復帰して「参議」という要職まで上り詰めたという故事をも下敷きにして、「"hindsight(全てを知っての後知恵)"でめて見れば、人生万事ケセラセラ(なるようになるさ)」というような、お気楽ソングとして編まれたものであろうか?・・・だが、そうなると、折角の雄大で大柄な歌のさまが、下品な影を帯びることになる。
 「本歌取り」・「本説取り」の落とし穴、という一点、別にそれを指摘するための歌として藤原定家はこれを選んだ訳ではあるまいが、やはりそれが(詩人的には)気になる作品ではあった・・・が、大方は、好い歌である。
 これは「海上遠望」の題詠歌。詠み手は、藤原忠通(1097-1164)。平安時代も終幕にかかり、陰謀渦巻く時世の中、政治上の最高権力者「関白」に昇るも、晩年に失脚して法性寺道長建立の「法成寺」とは異なる)に隠居する(能筆家としても有名な彼の書道が「法性寺流」と呼ばれる所以である);が、政治的謀略に長けた忠通は、その子孫達に、明治維新までずっと続く「摂関家世襲」という置き土産を残すことになる・・・もっとも、忠通の時代には既に「摂政・関白」自体が形骸化しており、権門一族の対立は激しく、父と子と言えども骨肉相食む争いを繰り広げていた(天皇と上皇すらその例外ではなかった)のだが。
 忠通の失脚の原因は、1158年の加茂祭に於ける藤原信頼一行との喧嘩騒動;この信頼は、平安末期から鎌倉初期の政界を暗躍することになる"妖怪"後白河天皇(77代)の近臣なのであった・・・公家の世の崩壊は、もう、間近に迫っていたのである。
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