解題
三条天皇の
第68番歌「心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき
夜半の月かな」(『
後拾遺集』雑一・八六〇)と似た発想の歌。
厭世観を基調とした歌だけに、軽々しく下敷きにできるものではありません・・・が、こちらの歌の作者の人生にもまた、それなりの陰影があったようです。
藤原
清輔は、歌道の名門六条家の人で、父は
勅撰集『
詞花集』の撰者
藤原顕輔。その補佐にあたった息子の
清輔は、しかし、編集方針を巡って父と対立してひどく
疎まれ、官位も低いままに終わりました。
後に、二条天皇に取り立てられて『
続詞花集』を撰じたものの、天皇
崩御によってこの歌集もまた
勅撰集としては日の目を見ずに終わりました。
父の死後は
六条藤家を継いで、歌学の著作を幾つも残しましたが、同時代人にはやはり歌学の
大立者藤原俊成(
釈阿)がおり、『
千載和歌集』の編者としても名を成した彼の家系(
御子左家)は歌壇に君臨・・・『
小倉百人一首』を編んだ
藤原定家も
俊成の息子です・・・その一方で、平安から鎌倉への激動期に
清輔の
六条藤家は衰退し、南北朝期にはとうとう断絶してしまいます。
暗い影を背負った歌、とは言えますね。それだけに「辛くて暗い人生も、時の助けを借りれば、懐かしく
愛しい輝きを放つもの」という、一歩引いたところから今の自分を
観照し受け入れようとする姿勢には、元気づけられる人も多いはず・・・哀しいけれど、よい歌です。