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玉の緒よ絶えなば絶えね
  ながらへば
    忍ぶることの弱りもぞする

Frail string of life that keeps me alive,
Snap if you will, for, live long if I should,
My love might come out... hold out how long could I?

『小倉百人一首』089
たまのをよ たえなばたえね ながらへば
 しのぶることの よわりもぞする
式子内親王(しょくし/しきしないしんわう)
女性(1149-1201)
『新古今集』恋一・一〇三四
人の生命力をつなぎ止めるという命の糸よ、
切れるならいっそ切れてしまっておくれ。
切れもせずにこのまま生き続けていれば、
今のところ隠しおおせているあの人への恋心も、
隠す力が弱ってしまい、人に知られたその先に、
どんな困った人生が待っていることか、
わかったものではないのだから。
【文法・修辞法】係り結び
...modern Japanese/English part: Copyright(C) fusau.com 2009
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品詞分解
たまのを【玉の緒】<名>
よ【よ】<間投助>
たえ【絶え】<自ヤ下二>連用形
な【な】<助動_完了>未然形
ば【ば】<接助>
たえ【絶え】<自ヤ下二>連用形
ね【ね】<助動_完了>命令形
ながらへ【長らへ】<自ハ下二>已然形
ば【ば】<接助>
しのぶる【忍ぶる】<他バ上二>連体形
こと【事】<名>
の【の】<格助>
よわり【弱り】<自ラ四>連用形
も【も】<係助>
ぞ【ぞ】<係助>
する【する】<自サ変>連体形・・・「ぞ」との係り結び



修辞法
縁語
・・・巷間、この歌の中に次の縁語関係が成立すると説く書があるが、現実には成立しない:
<を>
(×)(たまの)「緒」・・・「絶え」につながる
・・・玉の「緒」(つなぎ止める糸状のもの)が「絶え」につながるのは当たり前の話、こうして直結してしまえばそれは「縁語」ではなく、直接的な「主語―述語」関係になってしまう。「直接的結合」ではなく、「間接的連想」により結ばれた語句どうしが「縁語」である以上、「たまのを」と「絶え」は、「縁語」ではない。
・・・「を」と「たえ」が縁語になるためには、中間に、無関係な第三の語句(または、意味)が介在せねばならぬのであって、例えば次の歌の中でなら、「を」と「たえ」の間に「縁語」関係が成立する:「緒」と「絶え」が直接に結びつくのではなく、第三の語「尾」を介して間接的につながる関係だからこそ、である:
 見る影も 絶えて久しき 枯れ花 風も避く身を 月な照らしそ
 みるかげも たえてひさしき かればな かぜもよくみを つきなてらしそ
「恋人が訪れてくれることも久しくなく、人目に触れることもないうちに、見る影もなく枯れてしまったススキの花のような私・・・秋風さえもが避けて通るそんな私の姿を、照らし出すのはやめてくださいな、お月さま。」
(C) fusau.com 2009
・・・気付いたであろうか、上の歌にはもう一つの縁語関係が潜んでいることに:
<かげ>
(恋人を訪ねることで施す恩恵としての)「影」・・・(物理的な月光としての)「影」(この歌の中には存在しない)を介して「月」につながる
・・・この場合、「影」と「月」との間に、第三の語句は介在しない。が、意味の上で「影」は二重の陰影を宿しており、「1)月影」とは異なる「2)恩恵」の意味で使われているこの歌の中の「影」は、「月」とは「直接的結合」を果たすことなく「間接的連想」として「縁語」の関係でつながり得るのである。
・・・「第三の語句」もなく、上例の如き「第三の意味」の介在もなしに「直接的結合」を果たしてしまう「たまのを」と「たえ」との間には、「縁語」関係は成立し得ないことが、御理解戴けたであろうか?
・・・中には、無理矢理強弁して次のような論法を振り回す者もいるかもしれない:
曰く、<「たまのを」とは、「魂の緒」であって「玉の緒」ではない。「"玉"の緒」ならば「真珠を糸でつないだもの」だから、そこでの「緒/絶え」は「直接的結合」ということになって「縁語」とは呼べないかもしれないが、「"魂"の緒」なのだから「間接的連想」となり、故に「縁語」関係が成立する>・・・馬鹿げた屁理屈である:そもそも「魂の緒」とは、人の「」(生命力)を「すぐに切れやすいいもの」に見立てる連想+「玉」と「魂」との同音性から成立した語句であり、その成立段階からにしてもう「魂の緒≒玉の緒」と「絶え」とは切っても切れぬ直接的関係にあったわけである:が故に、これらの「緒/絶え」が同一短歌中に(第三の語句も意味も中間に介在させることなしに)併存しているのをえて「縁語」と呼ぶのは、ナンセンスである。
・・・もっとも、「魂の緒」と「玉の緒」の同一性を感じ取ることもできずに全くの別語扱いしてしまうような人(現代日本人は大抵そうであろう)ならば、<「魂の緒」と「絶え」は「縁語」>と論じる資格あり、とも言えよう・・・が、その程度の文法・単語力では、和歌の修辞法を論じる資格なし、となることは言うまでもない。
解題
 「本歌取り」とまでは言えないが、この歌の200年前の下敷きとも言うべき和泉式部の歌を最初に紹介しておこう:
「絶えしころ絶えねと思ひし玉の緒の君によりまた惜しまるるかな」『和泉式部日記』二九
(愛しいあの人の命が絶えた頃は、同じように絶えてしまえばいいのにと思っていた私の命なのに・・・あなたに出会って、また愛しい思いで生き続けている今の私です)
 かつての恋人の為尊親王(冷泉天皇の第三皇子)に先立たれた数年後、その弟の敦道親王の求愛に応えて詠んだ、「恋多き女」和泉らしい和歌である。最初の「絶え」は「為尊親王の生命が<絶ゆ>」であるから、後続の「玉の緒」との間接的関連性を生じ、「縁語」となる;が、両者の中間部にある「絶えね」は、「玉の緒」を直接の主語とする「糸が切れる」意であるから、そこにあるのは「主語―述語」関係であって、間接的意味つながりの「縁語」とは認め難い。言葉の綾を自在に操り、「縁語」と「collocation:連語(="玉の緒"と言えば"絶ゆ"というような定型的に結び付く語句どうしの組み合わせ)」の微妙な境界線をいたずらっぽく弄ぶあたりが天性の「言葉の魔術師」和泉式部らしいところで、後続部「君に<より:拠り>」でまた「より:縒り」を通じて「玉の緒」を手繰り寄せる「縁語」としての間接的イメージの膨らみを持たせている上に、歌趣としては(彼女より一世代前の)藤原義孝の手になる第50番歌『君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな』を踏まえてロマンティックなドラマ性をも演出している。
 「玉の緒よ絶えなば絶えね!」というこちら第89番歌の思い切った開き直り方は、そういうわけで、詠み手式子内親王の独創というわけではないようである。独創でないものを借り物として引く以上、そこには原典になかった新たな生命が宿っていなければ詩歌としての生命線は断ち切られるわけだが・・・さて、この歌の「玉の緒」の輝きや、いかに?
 「玉の緒」とは、球状の物体の中央に開けた穴を通してこれらをつなぎ止める紐状のもの、例えば「真珠のネックレス・・・の糸」である。ここでは「玉の緒」となっているが、別表記をすれば「魂の緒」即ち「人間の霊魂をつなぎとめるもの・・・生命力」のことを、「玉/魂」の同音性に絡めて指す語である。首飾りであれ数珠であれ、それをつなぎ止める糸(「玉の緒」)は、往々にして切れる(この歌の中の古語で言えば「絶ゆ」)。ここで象徴的に言及されている人間の生命(「魂の緒」)もまた同様で、人間、死ぬ時はあっけなく生命の糸が切れるものである。それを、この歌では、「絶えなば絶えね・・・切れるというのなら、切れてしまうがいい」というのである。随分と開き直った譲歩調の命令文だが、その理由は後続部で明らかになる:「永らえば=このまま死なずに長生きしたら」、「忍ぶることの弱りもぞする=耐え忍ぶ今の気持ちが、弱ってしまって、もう耐えきれなくなったりすると、いやなので」・・・いっそ、耐えられなくなる前に、耐え忍んでいる今のうちに、ブチッと切れて終わりになった方が、楽だから、というのである。
 そうまで悲愴な覚悟をもって、この歌人、いったい何を耐え忍んでいるのであろうか?忍ばねばならぬ理由が何かあるのだろうか?忍び切れずにその何かを表に出せば、死ぬよりひどい運命が待っている、とでもいうのだろうか?
 この歌は、「忍ぶる恋」の題で作られた題詠歌である。・・・なぁーんだ、そういうことか、例の、本当にそういう立場にある訳じゃないのに、そういう立場の人になりすまして歌を詠むというあの虚構的な大袈裟さに満ちた中身のない空騒ぎの歌か・・・と、そう思うのは、この歌の場合、実はまだ早計である。
 詠み手式子内親王(1149-1201)。後白河法皇の第三皇女で、高倉天皇の異母姉。10歳の時、「葵祭」で有名な京都の加茂神社斎院となる。この「斎院」が、この歌の場合にはキーワードとなる:それは「忍ぶ人」、、「忍ばねばならぬ立場を強要された女性」のことだから。
 「斎院」は、嵯峨天皇(52代)が、兄の平城上皇(51代)との政争の際、賀茂大神に「自分が勝利したら、皇女を神に奉仕する女性として捧げる」と誓いを立て、実際に勝利したのでその娘(有智子内親王)を捧げ、これを「斎王」と呼んだことに始まる。「斎院」の原義は「斎王の住居」だが、古典時代には個人の名を直接呼ぶことをり、その居所を代用呼称とする習慣があったため、「斎院」が「斎王」の意味で用いられる場合の方がむしろ多い。
 神に仕える聖なる女性としての斎院は、当然、男性との恋愛関係を持ってはいけない・・・が、この禁を破った末の悲恋の物語も、古典の世界には数々残る(例:第63番歌「いまはただおもひたえなむとばかりをひとづてならでいふよしもがな」)。死ぬほど辛い「忍ぶ恋」や、死ぬよりひどい「ならぬ恋」が、斎院の女性たちには付き物だったのである。式子内親王のこの歌は、そうした彼女らの心の叫びなのかもしれない。少なくとも、嘘で固めた言葉だけの新古今ヴァーチュアル恋歌とは、詠み手の立場上、一線を画す必要があろう。現実にこの歌が彼女の斎院時代に詠まれたものか否かは、この際、問題にはならない。式子内親王を「現or元 斎院」として聞き手が意識している限り、彼女のこの歌は、単なる恋歌には終わらぬのっぴきならぬ重みをもって響くのだ。
 式子内親王は、10歳の時から約10年ほど、そうした「男子禁制」の立場にあったが、二十歳頃に「退下(=役を辞す)」している。理由ははっきりとは伝わっていない・・・病気になって「れ」たから辞したのか、異性との「れ」た交渉の末に聖なる場所から追われたのか・・・彼女を巡る資料はあまり多く世に残っては(少なくとも、出ては)いないし、わかりやすい力関係で動く政界はともかく、もやもやとした宗教界(ましてや色恋)を巡る事情は、傍目にはっきり見えてはこない。
 こうして聖界から俗界に戻った彼女は、1185年(36歳で)「准三宮(あるいは、准三后三后宣下」を受けて、太皇太后皇太后皇后(=三后)に次ぐ扱いを受ける「非皇族ながら皇族扱いの臣下」となり、1190年頃(40歳前後)に出家したが、この間には男女関係を巡るあれこれがあったらしい、と伝わっている。一時、親王時代の順徳天皇(守成親王)を「猶子(現代の養子に近いが、純然たる契約による形式上の親子関係)」として迎える話が持ち上がるも、立ち消えとなる。彼の立太子(1200)から一年後、京都から鎌倉へと政治の実権が移り変わってほぼ10年後の、1201年に死亡・・・享年53。
 彼女の名前は日本の歌壇ではよく話題に上るが、それは彼女が藤原俊成・定家親子と深い関わりを持つ女性だったからである。俊成は彼女の和歌の師匠であり、彼の歌論書『古来風体抄』(1197)は式子内親王に執筆を依頼されて書いたもの。俊成の息子の定家も内親王家にはしばしば出入りしていた記録が残る。記録の初出は1181年であるから、内親王32歳、定家19歳の頃。内親王家の「家司(・・・家事を司る係)」を務めていたという説もあるが、実情は不明。定家の日記『名月記』(1180-1235)には、内親王の晩年の病気から死に至るまでの克明な記録が残っており、両者の結び付きの深さを感じさせるが、それが式子内親王の歌学的情熱によるものか、下世話な想像が思い描きたがるような13歳年下の男子との恋愛関係とみることができるものなのか、資料もないし、あったとしても心理の真理を書いてある道理もないので、よくはわからない。
 勅撰和歌集には、俊成が編んだ『千載集』(10)、定家が編者の一人だった『新古今集』(44)を皮切りに、全157首が入集している・・・これに対し、現存する彼女の和歌総数は400首少々・・・鎌倉初期に活躍した著名な女流歌人としては、明らかに少ない。歌集が散逸してしまったのであろうが、そうして散ってしまったのが、不幸な偶然によるものなのか、政治上(その他)の思惑による人為的消失なのか、これもまた、確証の手段は何も残されてはいない。
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